第22話 師匠と弟子

 勤務後、新宿三丁目の居酒屋で二人は落ち合った。


 ここまでボーイが足を延ばす事はない。

 ゆりが連れてきたのは、汚い大衆居酒屋だった。


 ゆりは黒霧島のロック、瀬奈はレモンサワーを注文した。


 制服を脱いだゆりは、非現実のケミカルさが抜けて、ごく普通の女に見えた。

 ベティーの更衣室で、他の女の子達の私服姿を見る事はあった。


 カレンの私服をチェックした時、全身をブランド物で揃えていたのが衝撃だった。

 まだ十九歳の少女だ。

 親の金ではなく、自分で稼いだ金でブランド物を着飾る。

 瀬奈には恐ろしく、そして眩しくも見えた。

 自分の為だけに金を使える事への羨ましさもあった。


「ストレス発散で買っちゃった」

 満面の笑みを浮かべながら、カレンは両手に二つずつショッピング袋をぶら下げていた。

 それを買った金は亮太から、もしかしたら瀬奈が彼に渡した金からかもしれない。そう思うとやるせなかった。


 華やかでスタイリッシュで、自分より数段おしゃれな大人に見えたカレンの姿が目に焼きついていた。

 それ以来、ランキングの上位者はブランド物を持つというイメージがあったが、ゆりには一つもなかった。


「あー私、物に執着なくてさ。むしろ拘らなさすぎるって、怒られた事ある」


 ゆりは屈託なく笑った。

 それでもゆりの選んだシンプルな服装は、存分に彼女の美しさを引き立てていた。

 瀬奈が履けば、はち切れんばかりのソーセージのようになりそうな、デニムのスキニーパンツは、ゆりの細長い脚を際立たせていた。

 ゆりの前でスキニーは履かないと、瀬奈は心に誓った。

 ゆるりと羽織ったV字の紅いニットセーターは、肌の色と対照的で、彼女の白さがより一層栄えた。

 ゆりの素材の良さは、派手な柄もロゴも装飾も必要としていない。

 瀬奈はそれを眺めながら、自分の問題は顔だけじゃない。

 ダイエットも始めなくちゃ……。

 と思い始めると、酒が進まなくなるので、一旦忘れることにした。


 炭酸が瀬奈の喉を駆け抜ける。

 しゅわしゅわとした足音が、異常に気持ちよく感じられた。


 同い年のランとも外で会った事はない。

 店のルールを破るなんて初めてだった。

 相手がゆりだったから、ついてこれた。

 だけど同僚と外で会うなんてとても自然な事で、瀬奈は罪を犯している気にならなかった。


「ゆりさんって、稼いだお金は何に使うんですか?」

「うん?貯まりっぱなしだね」


「将来の計画とかないんですか?」

「そういうのあった方がいいなって思うけど、いつ死ぬか分かんないしさ。

 逆にいつまで生きられるのかも謎だし。

 何か必要になったら、その時に使えばいいとしか。

 今が楽しければいいんじゃない?って」


 なんて荷物の少ない人だろう、と瀬奈は思った。


「欲しい物とかないんですか?」

「それ聞かれるの苦手なんだよね。

 だって、この世にある物って、一つも私の物なんてないじゃない」


「え、どういう意味ですか?買った物とか、今着てる服とか……」


「そうね、それも含めて自分の物とは思わない。

 お金だってそう、あんな紙ペラ。

 物だって、紙ペラだって、簡単に奪い合えるから」


「はあ」

「だから意味がないって思っちゃうんだよね。

 でも。

 私が肌で感じた事って、強ければ強いほど、いくら言葉を尽くしたって百パーセントは誰にも共有出来ないし、忘れて失う事もないじゃない。

 それは私のものだって言い切れると思う」


 瀬奈は、曖昧な相槌しかうてなかった。

 上手くゆりを掴めなかった。

 なぜ肌で感じたがるのか。

 欲しいのは、自分だけの濃密な瞬間なのだろうか。

 何かを確かめたがっているような気もした。


「ゆりさんにとって、この仕事ってなんですか?」


「質問ばっかだね」

「…すみません」


「じゃあ逆に聞くけど」

 ゆりは瀬奈の顔を覗き込んだ。

 瀬奈は、ゆりの黒く大きな瞳に吸い込まれそうだった。


「この仕事を一言で表すとしたら、なんて言葉を選ぶ?」


「えー。感情を、押し殺す?うーん、『我慢』ですかね」


「我慢、ね。そんなん言っているうちはアマチュアなのよ」

 ゆりは静かに言った。


「どういう意味ですか!?」

 瀬奈はあからさまに焦った。


「ミルクちゃんは何を我慢してるの?」

「だって。知らない男に膣の中を弄り回されたりとか、汚いチンコをしゃぶる事とか」


「触れ合うことが嫌なの?」

「はい。それに私、周りの娘より……」


 瀬奈は恥ずかしかった。

 悩みを聞いて欲しいけど、それと同じくらいの強さで言いたくなかった。

 気がつくと、言葉の代わりに熱い涙が湧き上がった。


「ま、周りの娘より、ぶ、ぶぅぅ、す、でえ」


 最後まで言えずに、瀬奈は垂れそうになった鼻水をすすり、飲みこんだ。

 どろりとしたしょっぱさが舌に残った。


「誇りを持て」

 ゆりの声は鋭かった。


「は、はい」

「まず、あんたが気にしてる顔だけでは人気は決まらない。

 美人は見飽きたら終わる」


「え?」

「まずその考え方辞めなさい。

 客が、人を見た目でしか判断してないって、決めつける事が一番の問題だから」


 瀬奈は戸惑った。

 自分の中の大前提を一瞬でひっくり返された。

 思いもよらなかったが、客を「見た目でしか判断出来ない男」だと決めつけるのは、馬鹿にする事でもあるのかもしれない。

 しかし、美人だからこその発想にも思えた。


「やっぱり、美人さんだと視点が違いますね」

「私の苦労を知らないくせに、つべこべ言うな!」

 ゆりにピシャリと制され、瀬奈は両手を太腿の上に置いた。


「あんたは何で勝負出来るかって、サービスのクオリティーになる。

 客に与える安心感、癒し、雰囲気。

 それからプレイではベストを尽くす誠意。

 そこが命でしょ?

 あのね、あんたの話だと、まるで自分が被害者みたいじゃない。

 だけどね、こんなに自分が愛されてるって実感出来る仕事は、他にないよ?」


 瀬奈は小さく頷いた。


「プレイだってやり方次第なのよ。

 三十分だけでも、孤独を溶かして感動させる事だって出来る。

 でも、今のあんたみたいに拒否感持ってたら、そりゃ態度で相手に伝わるよ。 

 たしかに、ピンサロって、ナメられやすい職業かもしれない。

 でも全員が馬鹿にしてくる訳じゃない。

 現に私は『心も身体も満足させてくれる仕事ぶりを尊敬する』って言ってくれるお客さんがついてるよ。

 こんなに励みになる言葉ってないでしょ」


 ゆりは、にんまりと口角を上げてみせた。

 その唇にグラスをつけ、ぐいっと飲み干す。

 とても美味しそうだった。

 その充実感を味わうようにゆりは目をつむった。


 瀬奈は唾を飲んだ。

「でもいきなりそんな風になれないです」

 瀬奈の正直な気持ちだった。

「焦る必要ないよ。だけどあんたって、どうしてここに来たの?」


 

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