第19話 凍った神経を溶かして

 入店してから一ヶ月が経った。

 二ヶ月目に入り、ホームページ上の本指名の獲得数ランキングに「ミルク」の名前が登録された。


 瀬奈の本指名の数は0人だった。

 他にも0の女の子はいたが、ランキングの一番下に記載されたのは、自分の名前だった。


「初月はあたりまえの事だし、みんな最初はそうだから」

 矢崎は瀬奈を慰めた。

 瀬奈は何も言えなかった。


 先月の1位姫華は、78本、2位のカレンは75本も本指名をつけていた。

 自分が場違いな所で、無謀な戦いに挑んでしまった事を、痛いくらいに理解した。

 フリーでついた店の常連客に「ランキング低いんだね」と唐突に言われ、カチンと来たりもした。

 瀬奈は一日中、不機嫌だった。


 帰宅し、玄関のドアを少し開けると黄色い明かりが漏れた。

「おかえりー」

 亮太は声だけかけて、瀬奈には目を向けずにテレビの前で横になっていた。

 瀬奈は靴を脱ぎ、バックを放り投げた。

 棚にぶつかり鈍い音がした。

 ぶっきらぼうに洗面所の扉を開けて手を洗った。


「お茶でも飲むー?」

 亮太ののんびりした声が聞こえた。

 答えないでいると、さすがに心配したようだった。

「大丈夫?疲れた?」

「平気、仕事でちょっと。でも私の力不足なだけだから」

 瀬奈は、温かい紅茶の入ったカップを受け取ると、暖をとるように両手で包んだ。


 まさか「あんたが借金してまで追った女と、同じピンサロで働いている」だなんて言えなかった。

 ましてや「そこで私は最下位の女なの」とも。


「そっか。でも瀬奈に出来ない事なんてないでしょ?」

 亮太は無邪気に微笑んだ。

 亮太とこうして穏やかな時間を過ごすのは、久しぶりだった。

 彼の瞳に何の疑いも映っていないのを感じると、

 「それは、大袈裟」そう言って瀬奈も一緒に笑った。


 亮太は、瀬奈を後ろからぎゅっと抱き寄せ、シャツの襟元から中へ、そっと手を忍ばせた。

 その瞬間、瀬奈はゾッとした。


 ベティーの勤務後に、亮太と抱き合うのは初めてだった。

 亮太とのセックスは待ち望んでいたはずだったが、あまりにもタイミングが悪かった。

 ついさっきまで、他の男が触れた身体だ。

 おしぼりで拭いたとはいえ、罪悪感がある。

 それにバレてしまわないか、不安に駆られた。


「りょーちゃん、先にシャワー浴びたいんだけど」

 瀬奈はなるべく落ち着いた声を出した。

 彼の右手は、左の乳房へと辿りついていた。

 そこは、今日六人の男にまさぐられ、しゃぶられた場所だ。

 店での記憶の欠片が、嫌でも瀬奈の脳裏に蘇った。


「だめ、行かせないよ」


 亮太は甘えた口調でささやき、優しく胸を揉んだ。

 瀬奈はゆっくりと、神経を彼の触れる胸に集中させた。

 まるで瞑想しているみたいだった。

 彼の柔らかい指の腹の感触を、一心に感じた。

 襟元から、ブラジャーの内側で乳房が形を変えられていくのが見えた。

 彼の湿った吐息が、耳に吹きかかる。


 りょーちゃんだ。

 瀬奈は頭だけでなく、それを身体で強く感じた。

 すると、力が抜けていった。


 嫌な記憶の破片は、脳裏から剥がれ落ちた。

 瀬奈は自然と彼の肩に、頭の重みを全て預けていた。

 不思議だった。

 亮太の手がとても特別なものに思えた。

 好きな人に触られると、リラックス出来る。

 快感が感じられるようになるのは、その後なんだ。

 性行為には、ほんの少しの脱力が大切な事を知った。


 接客中、どれだけ無駄な力を入れて過ごしていただろう。

 諦めて割り切っているつもりでも、客に触れられるのが本当は怖い。

 触れられる度に、いらない力で身体を固め身構えていた。


 カチカチに凍った氷のような瀬奈の神経を、亮太は血の通った心地いい体温で溶かしていった。

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