第20話 ゆりとの出会い➀

 コロナウイルスが流行り始め、すれ違う人々の顔は下半分だけ白かった。

 面白いくらいに皆マスクをつけていた。

 それに紛れるように瀬奈もマスクをつけた。

 元々顔を隠す為にマスクをして出勤していたが、この時期は周りの風景に馴染めるので楽だった。


 営業会社は、密室で大勢が電話をかけ続ける。

 ただでさえ、誰かが風邪を引くと蔓延しやすかった。

 オフィスに入る前はアルコールで手の消毒をする事や、検温をするよう呼びかけられた。


 その何倍も感染しやすいのがピンサロだ。

 客から菌をもらう事、自分から他の女の子へ移す事。


 粘膜接触が多いので、そのリスクは高かった。

 何かしら特別な予防対策が行われるはずだと、瀬奈は思い込んでいた。

 しかし一向にその兆しはなかった。


 女の子がうがいするコップは共通の物だし、使用後は水で軽く流すだけだった。

 客も手洗いうがいはしないでシートに通された。

 店長にも聞いてみたが「上からの指示がないと、やり方は変えられないんだよねぇ」と、やる気のない返事をされた。

 相変わらずの不衛生さと、取り組む気のない店の対応に、瀬奈はすっかり呆れてしまった。


 フリーの接客を終えた瀬奈は、ダメ元で二度目のうがいをした。

 待機室に戻ろうとした時、ふと足を止めた。

  

 前にランが話していたのはこの人だ。

 瀬奈は一目で分かった。

 稼げるから在籍している三十代。


 彼女は、二十代前後の女子が集まるピンサロであきらかに浮いていた。

 悪目立ちじゃない。

 落ち着きと色気がたっぷりのお姉さんといった感じで、女としての格の差を感じられた。 

     

 すっかり心奪われた瀬奈は、出来るだけ低く柔らかい声で自己紹介した。

 他の若い女子とは違う、大人の女の仲間として見られたかった。

 彼女は穏やかな表情で瀬奈を受け入れてくれた。

「ゆりです、よろしくね」


 瀬奈は、そっと壁に貼られたランキング表に目をやった。

 ゆりの名前は上から数えて三番目にあったので、すぐに見つかった。

 そして今月が始まってまだ四日しか経っていないのに、十一本も本指名の客が来ていた。


 亜麻色の髪は胸を覆うようにゆるやかに巻かれ、ふわふわとしたとした柔らかい毛だった。

 センター分けにしたヘアスタイルは、どこを隠すのももったいない、彼女の顔にぴったりだと瀬奈は思った。

 丸みを帯びたおでこの形の良さ。

 その下にある、ぱっちりとした二重まぶたは、さぞアイシャドウの塗り甲斐があるだろう、と思わせるほど幅広かった。

 顔の小ささの割に、笑うと口が大きく開いた。

 唇の形が良く、赤いルージュがよく似合っている。

 思わず瀬奈は自分の顔を隠すように、前髪を手で直した。


「風俗初めてなんだ。大丈夫?きつくない?」

「そうですね、なんとか!」

 瀬奈は、ゆりの質問に元気よく答えた。

「ガチできついです」という本音は、小さなプライドが邪魔して言えなかった。


「ならよかった。すぐ辞めちゃう子多いから。楽しい仕事なんだけどね」

 ゆりは微笑んだ。

 瀬奈は思わず視線を外した。

 信じられなかった。

「エロの回転寿司」「性欲処理場」なんて呼ばれるピンサロを、楽しいと言って働いている娘なんて見た事がなかった。


「ゆりさんは、こういうお仕事は今まで…?」

「私ね、デリヘルから移ってきたの」

「ヘルス系って、結構ハードってゆうか、キツくないですか?」


 ボーイから聞いた事があった。

 ヘルス系は本番以外のサービスは大抵させられる。

 まず、ローターや電動マッサージ機、略して電マの使用が可能だ。

 瀬奈は電マを使った事がないので、そのしんどさはピンと来なかったが、かなり激しい刺激らしい。

 そして素股が許されている。

 素股は挿入ではないので油断されがちだが、妊娠の可能性がゼロではない。

 万が一孕んでしまった時の責任は店で取ってもらえない。

 ボーイはいかにピンサロは安全で素晴らしいのかを謳っていた。

 それを聞いて、瀬奈もピンサロでよかったと思えた。


「しんどいって言っても、ここだってかなり体力は使うしね。人によるのかもしれないけど、私は結構面白かったよ」

 ゆりの笑みは柔らかかった。

 それは愛想でも冗談でもなく、本当に面白かったのが伝わり、瀬奈を驚かせた。

「監視が無いから本番強要とかあるって聞いた事あるんですけど、大丈夫だったんですか?」

 デリヘルは店舗ではなく、ホテルや自宅へ出張するサービスだ。

 それだけでも瀬奈にとってはリスクだった。


「遊び方間違えてる人はいるよね、残念だけど。決められた範囲で遊べない奴ってダサいよね。まあ女の方から誘う場合もあるらしいけど」

「え、どうしてそんな事?!」

 欠点のないゆりの顔の中で、眉間にしわが生まれた。

 綺麗なものが崩れる様に、瀬奈は少しドキドキした。


「一つは、本番させた方が楽だから。早くイッてもらえるし、要するに手抜きね。稀に本気で欲情する子もいたけど、ほぼないかな。二つ目は指名を取る自信がないから。でもそうやってズルして指名取ろうとする女って、店にも他の女の子にとっても迷惑なんだよね」

「はぁ……」

「客もさ、マジで最初から本番やりたいならソープ行きゃいいし。なんでもありの遊びなんて、遊びになってないと思わない?ズル出来てラッキーていうより、単に遊ぶセンスがないか、金がないだけだよね」

 ゆりは、静かに言った。

 瀬奈は同意も反論も出来なかった。

 知らなかったし、考えた事すらなかった。

 神妙な顔をして、ただ聞いていた。


 ゆりは煙草を咥え、細い指を絡めたジッポーで火をつけた。

 目を伏せると、長いまつげが頬に影を落とした。

 口角の下がった赤い唇からは、少しだけ黄ばんだ歯が覗いた。

 その姿から、どことなく人の分厚さが滲んでいるように思えた。


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