第17話 可愛いは個性を殺す
十二時に店がオープンすると、店内にはボーイの歌うように滑らかなコールが響いた。
「本日も歌舞伎町ベティーへご来場、ご指名誠にありがとうございます。それでは2番姫華さん、1番シートへ。17番マリンさん、5番シート……」
女の子が充満していた待機室から、選ばれた者たちが順番に引っこ抜かれていく。
メイクしたり髪を巻いたり、スマホを触る手を止めて、軽やかにシートへと飛びたっていった。
その姿を、瀬奈はただ見送った。
コールが鳴り止んだ。
静まりかえった部屋には、選ばれし者の優越感の残り香が漂っているようだった。取り残された瀬奈は惨めだった。
「ねえ、暇だよね。なんかして遊ぼう」
いきなり声をかけられた。
瀬奈は顔を上げた。
何度か見かけた事のある娘だった。
しかし挨拶も自己紹介もした事はない。
彼女は、黒い髪を腰まで伸ばし、全ての顔のパーツを丸でこさえたような、あどけない顔立ちをしていた。
待機室には瀬奈と彼女しかいなかった。
「そう、だね……」
遊ぶと言うのが何を指しているのか、瀬奈は分からなかった。
それにこの状況で楽しい気分になんてなれなかった。
「えーと、たしかランさん、ですよね?普段は学生さんなんですか?」
瀬奈は慎重に聞いた。
「違うー、こないだまで働いてたよ」
ランは気の抜けたような、ふわふわとした話し方で、とてものんびりとした印象だった。
「あーそうなんですね。何やってたの?」
「歯科助手」
「すごいね!うん、なんか似合う!」
「ミルクさんは?」
「私は営業。ここってほんとに学生さん多くて、ちょっと肩身狭くて」
「そんなんテキトーなこと言って、話合わせてりゃいいんだよ」
彼女のあどけなさに、瀬奈の心は無防備になってきた。
気がつくと瀬奈は、彼女のおばさんにでもなったかのような気分だった。
「いやー、ランちゃんみたいにいかないよ。『明日何限?』とかさ。『試験が近い』『成人式がー、、』って。なんか私にとっては異次元で。だって私。もうすぐ三十路だし」
ランはニヤニヤしながら瀬奈を眺めた。
「え、ぶっちゃけミルクちゃんいくつ?」
どうして、年下相手にこんな話をしてしまったんだろう。
瀬奈はすぐに後悔した。
だけどランと話しているうちに、今まで周りの女の子と馴染めずに、寂しいと感じていた自分がいた事に気がついた。
無責任に声をかけられただけで、嬉しかったのかもしれない。
「二十九です……。」
瀬奈は観念するように、ぼそりと答えた。
「へっ?タメなんだけど」
ランは噴き出した。
「うそ……ランさんも二十九歳?!」
「そう。私の場合は他の女の子には内緒にしてるけどね」
ランは舌を出した。
瀬奈は一気に肩の力が抜けた。
同い年の人間がいたという事実は、瀬奈に大きな安心感を与えた。
「よかったー、仲間がいて」
「三十超えてる人とか案外いるもんだよ」
心なしかランの声が低くなった。
これまでのランの気の抜けた話し方や、あどけなさは、彼女なりの若作りであり、ここで生きていく為の護身術なのかもしれなかった。
「本当に!?」
「パッと見わかんないからね。ほぼ需要ない私みたいな奴と、稼げるからここにいるって人で別れるけど」
ランは自分が人気がないと認めていても、堂々としていた。
その図太さに、瀬奈は感心した。
瀬奈が顔のコンプレックスの話をすると、ランはポーチからつけまつげと糊を出した。
「皆やってるからやってみ?二重作るのなんか常識だよ」
ランは新しいつけまつげに白い糊をつけ、透明になるまで乾かした。そしてまた別の糊を取り出した。
「目つむって」
瀬奈のまつげの二.三ミリ上に半円を描くように、ランは糊のついた小さな刷毛で白い線を引いた。
瀬奈は半目になって乾くのを待ち、小さな殺又で眼球の真ん中から上に向かって、まぶたを押し込まれた。
痛みはなかった。
目を開けると、うっすらと二重の線があった。
更に、つけまつげを貼ると、よりはっきりとした線が出来上がった。
瀬奈は鏡の中の自分が、別の誰かのように見えた。
目の形が変わっただけなのに、自分という輪郭がぼやけた感じがした。
「なんか目の表情がなくなった気がする」
瀬奈は張り付いたまつげが少し重く、違和感があった。
「でもその方が便利だよ。口元だけ笑っていれば、うざいなって思ってるのとかバレにくいし。これにカラコンすると別人みたいに変わるよ。個性が消えるっていいことじゃない?」
ランは淡々としていた。
身元を隠す為に、自分の素顔から離れる事は合理的だと思えた。
しかし、瀬奈は少し不気味にも感じた。
「可愛いくなるってさ、その時可愛いって呼ばれる誰かの真似して、生まれもった個性を殺すことなのかな」
瀬奈の心に生まれた小さな疑問だった。
生まれたままの素材で生きていけるなら、それがいい。
そうじゃない者が、可愛いの型にハマろうとしたら、誰かに似たような顔が大量発生しやしないか。
大きな目、二重まぶた、長いまつげ、筋が通った細い鼻、小顔。
瀬奈を「可愛い」に限りなく近づけたランは満足気で、そんな疑問に興味はないようだった。
瀬奈はお礼した。
そしてベティーにいる時は、この目を作ってくると約束した。
違和感はあっても、それが指名に繋がるなら、そうするしかなかった。
輪郭のぼやけた瀬奈の方が、たしかに可愛いのだから。
制服を着た二人は、まるで高校の休み時間のように、ゆるやかに過ごした。
完全に、店の活気の蚊帳の外にいた。
瀬奈はフリーをつけられまくる怒涛の期間が、終わったのを察した。
稼げるか稼げないかは別として、今はそれをほっとした。
お喋りをしながら「わかるわかる」と言いあって、ランと共有出来る不幸がある事を、瀬奈は幸せに思った。
ランは、地下アイドルの追っかけだった。
それも月に五十万も注ぎ込む、筋金入りのオタクだ。
彼女はその日三時間だけ出勤し、上がりの時間が近づくと、さらに分厚く顔を塗って、ライブ会場へと向かった。
ランがここに居るのは、堅気の仕事の収入では満足に活動出来ず、時給の為だった。
それは他の風俗とは違う、何よりのメリットだった。
くだらないお喋りの間にも、二千円の時給が発生している。
「あたしこの仕事、真面目にやるつもりないから。推しの為にいるだけだし」
ここにいる事で、ランの金銭感覚はどんどんズレていくのかもしれない、と瀬奈は思った。
自分だってそうなりかねない。
少しだけ怖さを覚えた。
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