第12話 初めて目にする敵の顔

 営業会社では、売り上げを伸ばせる土日は絶対に休めなかった。

 平日で二日の休みが取れたが、瀬奈は責任者なので連休はなかなか取らせてもらえない。

 週五日営業会社、週二日ベティーという無休の日々が始まった。


 ベティーの出勤初日から三日後が、二回目の出勤日だった。

 その日から瀬奈は、フリーの客をひたすら付けられた。

 連続の接客は、仕事がまだ不慣れな瀬奈にとっては、しんどかった。

 稼げて嬉しい、と思える余裕もなかった。


 店側としては、入店したばかりの女の子の顔を覚えてもらう為と、どのくらい本指名の客を取れるのか様子を見る期間らしい。

 本指名の客が取れない女の子には、フリーの客をつけてもらいにくくなるそうだ。


 ただ、瀬奈がこの話を聞いたのは、ずっと先の事だった。

 当時の瀬奈は訳も分からず、ただ処理をこなし続けた。

 飛んでくる球をひたすら打ちまくるバッティングセンターのようだった。


 ふらふらの力の入らない足で、瀬奈は待機室に戻った。

 入店してまだ二日目で、知らない女の子がたくさんいた。

 自己紹介しなければならないとは思ったが、その気力さえ残っていなかった。


 椅子に座り込み、頭を垂れた。

 その重みで首の後ろの筋がよく伸びた。

 シートが狭くて無理な姿勢を取り続ける事が多く、筋肉痛だった。


「三十歳になってまで、こんなところいねーから!!」

 無邪気に笑う少女の声がした。

 ハスキーで屈託のない笑い声が、水道の方から待機室まで響いた。


 瀬奈は背筋がひやりとした。

 自分の悪口を言われているのかと思った。

 耳を塞ぐ代わりに、固く目をつむって聞こえないふりをした。


 似合わない制服を身にまとい「大人っぽい二十四歳」のふりをしている自分が恥ずかしくなった。

 そうなのだ、瀬奈はフロアが暗い事と制服なのを利用して、ここぞとばかりに歳をサバ読む作戦だった。

 一緒に働く多くの女の子は、三歳ほど若く客に伝えているそうだ。

 しかし瀬奈は六つも下げて、つまり皆の二倍嘘をついていた。願望もあった。


 それは、ホームページに載せるプロフィールの内容を矢崎に確認された時、瀬奈がお願いした事だった。

 矢崎は拒否しなかった。

 それで瀬奈は許容範囲かと安心した。

 信じる者がゼロじゃない限り、「大人っぽい二十四歳」で居続けようと思った。

 しかし、刻一刻と三十歳が、瀬奈に迫っていた。


「おはようございます!」

 ハスキーボイスの彼女が、待機室に入ってきたようだった。

 その明るい声に、皆が挨拶を返す中で、瀬奈はまだ目を伏せていた。

 関わりたくなかったので寝たふりを続けた。

 写真を撮ってくれた中澤が、瀬奈を起こすように声をかけてきた。


「あの、ミルクさーん。初めましてかな?こちら、カレンさんです」

「え?!」

 瀬奈は思わず身構えた。

 すっかり油断していた自分を引っ叩きたいくらい、一瞬で後悔した。

 そして視界に飛び込んできたカレンの顔に、吸い込まれるように見入った。


 ミルクティー色の髪を肩の上で揺らし、その色に合わせたように、瞳まで色素の薄い茶色だった。


 メイクの力で可愛く見える女の子は多かったが、カレンは顔色を整える程度の薄いメイクだけだった。

 それは生まれたままの彼女の顔が、本当に美しい事を証明していた。

 笑うと涙袋がぷっくりと浮き上がる。

 彼女の澄んだ笑顔を好きにならない人なんていない、と瀬奈は思った。


 中澤は、カレンはドイツ人の祖父を持つクオーターだと紹介した。

 チェックのスカートからは白く、細長い脚が伸びていた。


 完璧に負けた。


 瀬奈は言葉がでなかった。

 名前通りの可憐な少女を目の前に、自分の武器は何一つ使い物にならなかった。いかに無力な存在か、思い知らされた。


 カレンはひまわりのような笑顔で、瀬奈に挨拶をすると、すぐにコールがかかり待機室から出ていった。

 中澤もカレンも、瀬奈が寝ぼけていると思ったのか。ロクに挨拶を返さなかったのを、とがめないでくれたのは救いだった。


 あんな美少女相手に勝てるはずがない。

 瀬奈はすっかり弱気になった。

 亮太が心奪われるのも納得出来るカレンの顔は、瀬奈から女としての自信を搾り取っていった。


 一方で、美しさへの嫉妬が抑えきれなかった。

 どうして、私はあんなに可愛い顔で生まれられなかったんだろう。


 カレンは亮太に貢がなくたって、簡単に夢中にさせることができる。

 ……ずるい。

 どう考えても不公平だった。

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