第9話 生まれ変わる
瀬奈のベティーへの入店は、あっという間に決まった。
面接は、やはり喫茶店ルノアールで行われた。
ピンサロだと分かって面接に来る者は少ないようで、歳もあるせいか、ボーイにはかなり驚かれた。
そのリアクションからベティーも、ガールズバーを装って求人広告をしているのではないかと瀬奈は思った。
しかし後から聞いた話によると、
「アニメキャラクターのコスプレが出来るメイド喫茶」という謳い文句で広告を出していたらしい。
いずれにしても卑怯だと瀬奈は思った。
店に入ると、途端に昼を奪われたように真っ暗になった。
外からの光が完全に遮断された空間は、とても人工的な感じがした。
頭上を照らすミラーボールや、鼓膜を圧迫する大音量の音楽は、瀬奈が人生で一度しか行った事のないクラブを連想させた。
瀬奈は雰囲気に圧倒されて足がすくんだ。
亮太は、こんな場所に来ていたのか。
ここで性行為が出来るなんて、瀬奈には信じられなかった。
だけど狭いライブハウスで、マイクの音が割れてしまうくらいに大きな声で歌う亮太なら、へっちゃらなのかもしれない。
ボーイは立ちすくむ瀬奈に気付かず歩いていくので、瀬奈は慌ててついていった。
暗い空間を抜けると、蛍光灯の白い光が瀬奈の目を突き刺した。
二階まで階段を上ると、更衣室だった。
シュテンダーに大量の制服がかかっていた。
ボーイはその中から無造作に一着選び、瀬奈に手渡した。
ベティーは、女子高生のコスプレをした女の子たちがサービスする店だった。
コスプレといっても簡易的なもので、リアルさより効率を重視されたものだった。
ピンクのワイシャツには、ボタンの代わりにチャックが施され、着替えが素早く出来るようになっていた。
グレーのチェックのスカートは、お尻がギリギリ隠れるか隠れないかくらいの短さで、すぐにパンツが見えた。
リボンも用意されていたが、付けてもすぐ外す事になるので、ほとんどの女の子が付けていないと言われた。
渡された制服からは、すでに他人の匂いがした。
香水の甘い匂いと煙草の匂いがうっすら混じっていた。
制服は、週に一度しかクリーニングに出されない。
その不潔さに瀬奈はゾッとしたが、ここで拒否するわけにもいかなかった。
着替えを終えた瀬奈は、おそるおそる全身鏡を覗いた。
その姿があまりにも悲惨で、やっぱり帰ろうかと思った。
こんな姿、亮太ですら勃起出来ないだろう。
チェックのスカートの上には、みっともない下っ腹が乗っかっていた。
真っ先に、ウエストの中にしまっていたピンクのシャツを外に出し、体のラインをぼやけさせた。
そうすると余計にスカートが短く見えた。
むき出しの太腿は、象の足みたいに太かった。
後ろにきつく縛った黒い髪も、いかにも真面目な感じで浮いていたのでほどいた。癖が付いていたが、いくらかマシになった。
紺のソックスとローファーも履いた。
これだけは本物だった。自分が学生時代に履いていた物とよく似ていた。
自己嫌悪の中でも、その懐かしさに瀬奈は目を細めた。
着替えが済むと、この店のボーイの矢崎という男に出会った。
先程までのボーイは矢崎に敬語を使っていたので、年はあまり変わらなそうだったが、矢崎が格上なのだろう。
茶髪でストレートの長い前髪を、斜めに分けてセットしている。
少しホストのような雰囲気があった。
キリッとした眉毛と薄い二重まぶた、笑うと綺麗に上がる口元が愛らしく、「この人、女に困ってなさそうだな」と、瀬奈はしみじみ感じた。
最初に通った暗い空間に戻った。
ここには十個のフラットシートが並べられ、そこで接客するようだった。
ここをフロアと呼ぶと教えられた。
瀬奈は一番手前のシートに案内された。
畳一畳もない、とても狭いスペースで、黒地に金色のラメが入ったビニール素材で作られていた。
矢崎は、瀬奈の隣に座った。
瀬奈は緊張して正座をしていたが、足を崩すよう促されたので、それに従った。
ブラックライトに反応して、矢崎の白いシャツが異様に青く光って見えた。
矢崎は瀬奈の体に触れるくらいの距離まで近づいてきた。
瀬奈はそれだけでドキドキしたが、近づかないと音楽が大き過ぎて、互いの声が聞こえない為だった。
まず源氏名を決めた。
矢崎から希望の名前を聞かれ、なな、ももか、ゆきな、と今まで出会ってきた可愛い女友達の名前を順番に口にしてみた。
結局どの名前も使われていた。
すでに在籍している六十人以上の女の子と被らない名前を考えるのは難しかった。
「肌が白いから、ミルクは?」
そう提案したのは矢崎だった。
「そんなキラキラネーム無理です!」
慌てて瀬奈は否定した。
「でも源氏名だしね。覚えてもらいやすいのがいいよ。
ほら、写真にはモザイクがかかってるし、白くて綺麗なお肌は瀬奈さんのチャームポイントでしょ?」
「はあ……。」
瀬奈は思わず赤面した。
こんな簡単にチャームポイントを見つけてくれる男性は初めてだった。
しかも苦し紛れではなく、当然だという顔で。
なんだかくすぐったい感じがした。
だけどこういう時、なんと答えればいいのか分からなくて、瀬奈はただ俯いた。
「なに?なんか僕嫌なこと言った?」
矢崎は心配そうに顔を覗きこんだ。
瀬奈はすぐさま首をブンブン横に振った。
「もしかして、瀬奈さん照れてるの?可愛いーな!
じゃあ、僕の独断で、今日からあなたはミルクちゃんです!!」
矢崎に名付けられると、瀬奈はほんの一瞬、生まれ変わったような心地になった。
可愛い女の子になれたような、自分であって自分じゃない、そんな不思議な感覚が面白かった。
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