第7話 赤黒く染めた誓い

 瀬奈は家に帰り、亮太の匂いを吸い込んだ。

 ほっとすると、やはり今の営業会社のインセンティブを上げてもらう交渉をした方が、現実的に思えた。

 了承してもらえる可能性は低い。

 返済するのにも、かなり時間はかかってしまう。それでもその方が自然でいい。

 亮太に嘘をつくのも嫌だった。


 その晩は、うまく寝つけなかった。

 昨日は突然の事で冷静じゃなかったが、一体彼がどんなお店の、どんな女の子に夢中になったのか知りたくなった。


 亮太が眠りこけた後、瀬奈はそっと彼の財布を覗いてみた。

 何かしら亮太が遊んだ証拠となるものが、例えば店のポイントカードや名刺なんてものがあるかもしれない。

 財布の中には金の他に、ぐしゃぐしゃのレシート、Tポイントカード、クレジットカードやライブの半券、そんな物ばかりで怪しい物は見当たらなかった。

 彼がよく着るジャケットのポケットも探ったがそこにもなかった。

 脱いだばかりのジーンズのポケットや、楽譜のファイルの間、いくつかの鞄の中、昔コレクションしていたCDケースの中。

 瀬奈は、まるで泥棒のように息を殺しながら探した。

 本当に、この部屋には何もないのか?

 見つからなければ、見つからないほど、余計に気になった。


 ベッドの下に、ギターケースが一つあるのが目に入った。

 亮太が今は使わない古い物だった。

 音を立てないように、瀬奈は手元に滑らせた。

 自然と呼吸を止めた。

 開ける時のカチャリという金具音が鳴るのを恐れて、キッチンまで運ぶと、慎重に開いた。ギターの弦の下にケースとの隙間があって、そこには大量のピンク色のカードが挟まっていた。


「歌舞伎町ベティー」と記載されたそれは、子供の頃に集めたカードゲームのように、輪ゴムできちんと束ねられていた。

 一枚抜いてみると、カードは名刺になっていた。

 裏に、中学生の女子のような崩れた丸文字で「カレン」と書かれ、手書きのメッセージも添えられていた。


「りょうたん、いつも来てくれてありがと。

 今日のクンニやばかった、こんな攻め方されたら、もっともっと好きになっちゃうな♥」


 瀬奈は、読み終えると思わず目をそらした。

 手の中にある名刺が、力強く握りすぎて折れた感触がした。


 一体ここが何屋なのか不明で、ネットで検索した。

 ピンクサロンという表示が出た。

 今日面接したばかりなので、瀬奈はその偶然にどきりとした。


 風俗ってピンサロの事だったんだ……。

 ソープだとか、もっとハードな高級店に通っているのかと思い込んでいた。

 自分と同棲しているのにも関わらず、そんなひなびた場所で性処理に通われていたのかと思うと、悲しかった。


 瀬奈がセックスを拒んだ事はなかった。

 亮太から誘ってくる事も少なかったが、瀬奈が誘うと曖昧に断られた事はあった。

 亮太の横顔を見つめながら、切なく眠った夜を思い返すと悔しかった。

 どうしてそんな場所に通わなければならなかったのか。

 瀬奈は分からなかった。


 サイトには顔にモザイクのかかった学生服の少女達の写真がずらりと並んでいた。

 胸を肌けさせる者、露出をほとんどしない者、スカートの裾をめくる者。その中から「カレン」を見つけた。


 私から彼を奪っていたのは、この娘か……。 

 

 十九歳、そして本指名ランキング2位。

 瀬奈は唾を飲んだ。

 煙草の吸殻にでもなって踏みつけられたような気分だった。

 写真はモザイクがかかり顔は分からないが、おそらく相当な美人だ。


 だんだん胃がムカムカしてきた。

 吐きたくなるのを堪えていたら、目にジワリと熱い水滴が滲んできた。

 鏡で見たら、赤黒く染まっているようだった。

 悲しくて泣く事は何度もあったが、怒りに震えて泣くのは初めてだった。

 この現実を、誰かのせいにして怒りをぶつけたかった。

 亮太以外の誰かに……。


 布団から、ガリガリと亮太の歯ぎしりが聞こえてきた。

 瀬奈はベッドへ戻ると、彼の両頰を手で挟み、唇をひよこのようにブチュっと縦に潰した。

 彼は「んぐっ」と寝ぼけた声を出して、途端に静かになった。

 こうすると、いつも鳴り止んだ。


 亮太の寝息を浴びたくて、瀬奈は彼を起こさないように、そっと胸元に頬を寄せた。

 そこには彼の暖かな体温と確かな鼓動があった。


 どんなにりょーちゃんがその小娘の虜になったとしても、今は私の手の中にいる。

 そう自分に言い聞かせた。


 瀬奈は今まで、どのように亮太を愛してきたかを思い返した。

 彼にとって居心地のいい場所を作って、そっと囲うだけだった。

 そっと、なんて言いつつ、惜しみない親切で金を振りかざし、本当は彼を縛りつけたかっただけなのかもしれない。

 いずれにせよ、亮太の心に鎖は繋げられなかった。

 彼の心は、言葉通り、自由だった。


 この行き場のない怒りをぶつけられる先は、カレンしかいなかった。

 殺してやりたくても、瀬奈には実際に行動に移せるような度胸はない。

 でもこの現実から逃げていたら、亮太は借金返済が済んだ後に、瀬奈の金を使って再び彼女に貢ぎ始めるかもしれない。

 それとも、また違う風俗嬢に。


 ふと気がついた。

 今日私は他店舗のピンクサロンに採用されかかった。それなら、ここにも私は入れるだろうか?


 瀬奈は絶対に入ろうと思った。

 根性なら負けない自信があった。


 私はカレンより、価値のある女だ。

 その事を、亮太に、そして自分自身に思い知らせないと、一生惨めな女のままだ。

 それには、カレンを殺すのでなく、亮太を縛りつけるのでもなく、正々堂々その店で1位になるしかない。


 瀬奈は営業会社で1位になった事のある女だった。

 その自信が後押しした。

 女としての魅力で戦うなら、あまりにも高いハードルに思えた。

 だけど、可愛さや美しさだけじゃない。

 何か他のセールスポイントや戦い方さえ見つかればいい。やってみなくちゃ分からない。


 どんなに売るのが困難な商材でも、売ってみせるのが営業マンだ。

「私」という、女の欠陥商品を売ってみせる!

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