第3話 自分の価値の作り方

 瀬奈は、営業会社に正社員として勤務している。

 電話での営業という事もあり、採用されるのは体育会系や、勢いのある者が多かった。大人しい者も稀にいたが、それはあきらかに男性社員の癒し要員として入れられた、美人に限る。事務職以外で三十代以上の女性は、なかなかいなかった。


 そんな会社の雰囲気から、おとなしい瀬奈は完全に浮いていた。

 ここで生き延びる為の、瀬奈の武器は声だった。 

  

 声だけは、昔からよく褒められた。

「鈴のような声」と言われるような、生まれつき高くて女性らしい声質だった。 

 瀬奈自身も、自分の声が好きだった。気の弱さから、息混じりの柔らかい話し方をする事もあり、電話対応では、好印象を与えられた。


「お前、顔はダメだけど声だけで食っていけるよ」

 入社当時の上司の言葉が、瀬奈は今でも忘れられない。

 同期の仲間が同意するように、どっと笑った風景も。


 入社当時、瀬奈の顔はギャグとして扱われた。

 鼻の下のホクロを指摘され「鼻くそ豚」と名付けられた。それが略され「くそブー」と、あたりまえのように呼ばれていた。


 中高大と女子校で、大人しい女子に囲まれて育った彼女は、体育会系のノリや男性からのからかいに、どう答えればいいのか分からなかった。素直に反応してもいいのなら、すぐにでも泣きだしたかった。


 周りの同期だって、完璧な容姿ではなかった。

 けれど、それぞれの欠点を小馬鹿にして笑い合える強さがあった。瀬奈は口角に無理に力を入れて笑ってみせるか、上手い事を言おうとして逆に吃ってしまう事が多かった。精一杯頑張ったが、からかっても面白く反応出来ないのを飽きられ、その呼び名を使われる機会はなくなった。


 瀬奈の心は楽になったが、つまらない人間として認定されてしまった。

 瀬奈を除いた飲み会は、しょっちゅうあるようだった。ノリについていくのは苦手だったが、誘われない事は寂しかった。


 だから何も知らないアルバイトの若い娘たちにお姉さん扱いされ、ご飯に誘われれば、たとえ話が退屈でも素直に喜んでついていった。


「瀬奈さん聞いてぇー。部長に目標の七件まで取れなかったら、俺んち集合ってまた言われちゃったぁー」

「リストの事相談したら、教えられる時に膝の上乗せられてぇー」

「これってセクハラ寸前、というかセクハラじゃんね?」

 こういう話題は、女子だけでのランチで頻繁に出た。

 瀬奈はいつもヒヤヒヤしていた。そういう扱いを、自分一人だけが受けていなかった。

 アルバイトの彼女達は、そのセクハラが本当に嫌だと感じさせないくらい、楽しそうに話した。

 瀬奈にはモテる女だと自慢されている気さえした。共感したくても出来ない自分も悔しくて、仕方なく聞き役に徹した。話のオチ所のない不毛な時間に、心が疲れてしまうこともあった。 

    

 ランチ後は必ず皆でトイレに行く。

 瀬奈は自分が可愛くないのに容姿に拘りすぎると、かえって馬鹿にされそうなので、いつもシンプルな服装とメイクを心がけていた。用を足したら、すぐにそこから出られる。

 でも彼女達は、いつまでも鏡の前でメイク直しやら香水をつけていた。瀬奈は訳が分からなかった。セクハラする上司の前で、色目を使う為としか思えなかった。


 セクハラには、もちろん反対だ。

 しかし、皆はそういうところで甘やかされて羨ましいな、という気持ちも少しはあった。可愛い女子の特権だ。

 だから自分は顔が綺麗じゃない分、仕事の成績だけは絶対に勝とうと思った。一番数字が良い人が、一番魅力的だと考えるようにした。


「あんたが私に似てくれたら、アナウンサーか声優になれたかもしれないね」と、母親に言われた事もあった。

 瀬奈の両親は、瀬奈にあまり関心がなかった。

 五つ年下の妹を贔屓し大切にした。少なくとも瀬奈には、そう感じられた。


 妹は母親そっくりで、瀬奈の顔とは似ても似つかなかった。

 母親は、大学のミスコンで入賞するほどの美人だった。瀬奈とは違う満月のようにまん丸の目だった。その形を辿るように二重のラインが刻まれている。ぷっくりとした唇の中には、小さな歯が整頓されたように綺麗に並んでいた。


 幼い頃の瀬奈は、大人になったら母と同じ顔になっていくと信じていた。

 しかし妹が生まれた時、そうじゃない事に気がついた。

 生まれたばかりの妹は、すでにまん丸の目をしていた。そして髪の毛まで生えていた。自分が生まれた時の写真は、リビングに飾ってあって毎日のように目にしていたが、目の見えない瀕死の猿のようだった。妹は、言葉通り天使のような赤ん坊だった。


 父親は一重まぶたで割腹もよく、瀬奈は完全に父親似だった。

 母の尻に敷かれてしまう気が弱いところまで、そっくりだった。母がなぜそんな父と結婚したのかは謎だ。しかし父には、鼻の下に散らかるホクロがなかったので、瀬奈は羨ましかった。


 大きくなっていく妹は、瀬奈にとって悪魔と化していった。

 妹は、瀬奈の失敗を見て、どう振る舞えばいいのかを学ぶズル賢さがあった。そして瀬奈よりも自分が美しい事をよく自覚していたので、勝気に育った。それもそのはずだった。

 リビングでは、瀬奈の生まれたての写真の隣に、妹の写真が並べられた。それを飾った父親に悪気はなかったのだろうが、瀕死の猿と天使を隣同士に置かれる事は、瀬奈にとって残酷だった。


 勝ち気の妹には、ずっと負けていた。

 妹は小学校では毎年リレーの選手だったし、彼氏も中一の時には出来ていた。友達も華やかな子が多かった。高校も瀬奈よりワンランク上の進学校に入った。本人が嫌がっても生徒会に推薦されるほどの人望もあった。瀬奈から見て妹は、小さな努力で成果を出せる天才だった。


 その嫉妬から解放されたのは、瀬奈が大学に上がる頃だった。

 大学の近くで一人暮らしを始めた。一人ぼっちの家の中で、自分がいかに家族との生活を緊張して過ごしていたのかに気付いた。

 家はとても静かだった。もう、妹と比べられる事はない。負け戦さを終えた瀬奈は、やっと深く息が吸えるようになった気がした。


 今の仕事は瀬奈に向いていた。

 電話を使った営業成績の数字は、器量関係なく戦えるから楽しかった。

 声の良さと彼女のマメさは強みとなったし、力ずくでセールスしなかったのでクレームにもならなかった。


 そこで初めて瀬奈は一番になる喜びを知った。

 無関心な両親も喜んでくれたので、余計にのめり込んだ。

 数字だけを真剣に追い、良い成績を収めては、私にだって才能があるんだ、と自分を肯定しようとした。


 

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