第3話

 波に洗われるように、倒れている少女。

 彼女はうつぶせだったが、俺はすぐに誰かわかった。


 ふさふさの犬のしっぽみたいに量感のあるポニーテールの髪型、結わうリボンも大きくて、前から見ると犬の耳みたいに飛び出している。

 小柄な身体なのに、まるで休むことを知らない火山のような爆発的なエネルギーを持つ、その少女は……。


「あ……アンコっ!?」


 俺は呼びかけつつ駆け寄った。

 抱き起すと、仔犬のように軽い身体、間違いなくアンコだ。


 彼女は口をアヒルのようにして呻いていた。


「ご、ご主人様……あ、アンコは意識がありません……。

 どうか人工呼吸などを、ひとつ……」


「いや、お前、だいぶ余裕あるだろ」


 するとアンコは片目だけ開け、ウインクするようにいたずらっぽく笑う。


「バレてしまいましたか」


「そんなことよりお前、なんでこんな所にいるんだ?」


 アンコは俺の腕に身体を預けたまま、もう点のように小さくなってしまった客船を指さす。


「あの船から泳いできました」


「あの距離を!?」


「はい、大変でしたけど、ご主人様のことを考えてがんばったら、なんとかなりました」


「なんだって、そんなにまでして……。俺はもう、追放されちまったんだぞ」


「アンコのご主人様は、ご主人様だけです! 追放されようが何だろうが、それは未来永劫変わりません!」


 アンコはリボンとポニーテールをピーンと立てて熱弁する。


 彼女は、俺が子供の頃に拾ったみなし子だ。

 その時は小等部に上がる前で、ユニバーは俺のお願いはなんでも聞いてくれたので、彼女をメイドとして家においてやった。


 拾われた恩義なのか何なのか知らないが、彼女は俺に異様に懐いていて、専属メイドを自称するほどだった。

 しかしまさか、追放されてもなお、こうして追ってきてくれるだなんて……。


 兄弟や家族に裏切られたばかりの俺には、それがとても胸に染みた。

 そして絶望に支配されていた俺の心に、一条の光が差した気がする。


 ちょっとホッとしたら、腹が減ってきた。


「なんにしても、アンコが来てくれて助かったよ。お前、なにか持ってないか? 食べ物とか……」


 すると彼女は快活に「ありません!」答えた。


「そ……そうかぁ~」


 俺は名残惜しそうにするアンコを離し、浜辺にあぐらをかいて考えた。


 とりあえずここが、学校の歴史の授業にも出てくる伝説の無人島、『生前地獄リビング・ヘル』であることは間違いない。

 そしてこのままでは、飢えと渇きで早々に浜辺の骸骨の仲間入りをしてしまうだろう。


 ふと目を離したスキに、アンコは3歳児のように駆け出していた。


「ご主人様、お腹が空いてらっしゃるんですか? ならあそこにある果物を、アンコが……!」


 アンコは言うが早いが、短剣のようにトゲが飛び出た木に向かって、躊躇なく突っ込んでいく。


 アンコのメイド服の腰のあたりからは長い紐が垂れていて、砂浜を引きずっている。

 俺はその紐を、とっさに踏んづけた。


 紐がピーンと張って、「ぐうっ!?」とのけぞるアンコ。


 この紐は、彼女のメイド服にのみ装備されているアイテム。

 ようは迷子防止のハーネスみたいなもの。


 アンコは一度思い立ったらまわりが目に入らなくなるタチで、どこにでも飛び出していく。

 それで大怪我したことが何度もあったので、この紐が付けられたんだ。


 アンコは焚火に飛びもうとして、しっぽを踏んづけられたウサギみたいに、じたばたともがいていた。


「は、離してくださいご主人様! アンコがいまから、あの果物を……!」


「待て、あんな木に登ったらズタボロになっちまうぞ」


「構いません! それでご主人様のお腹が満たされるのなら!

 たとえアンコの命が、果物1個と交換になったとしても悔いはありません!」


「やめろ。とにかく今は、俺の言うことを聞け」


 今は窮地でもあったので、いつもより厳しめに叱りつけてやると、アンコはリボンをへにゃりと倒して大人しくなった。


「ご、ご主人様……もしかして、アンコのことがお嫌いになったのですか?」


「そういうわけじゃない。とにかく今はじっとしててくれるか。

 果物を取るにしても、もっといい方法を考えよう」


 すると、アンコはポンと手を打ち鳴らす。

 彼女は落ち込むのも早いが、復活も異様に早い。


「なら、石かなにかを投げてみるというのはどうでしょう!?」


「なるほど、それもひとつの手だな。さっそくやってみよう」


 と思ったが、まわりに石なんてなかった。

 と思ったら、アンコが白い棒みたいなのを木の果物めがけて投げつけていた。


 よく見ると、それは人骨だった。


「お前、よくそんなバチあたりなことができるな……」


「アンコはご主人様のためなら、呪われてもかいません!

 たとえ果物1個で100体の怨霊に取り憑かれようとも、悔いはありません!」


 フンスと鼻息荒くして、骨を投げまくるアンコ。

 こうして見ていると、大好物の骨を武器にする犬に見えなくもない。


 しかし俺も生きるために覚悟を決め、骨を投げまくった。

 しかし名前もわからない木の果物は、まるで鎖で結びついているのかと思うほどに落ちない。


 ……待てよ、こういう時こそ、『スライムフォール』が使えるかも……。


 俺はひとさし指で、虚空に向かって四角を描いた。

 すると、半透明の板のようなものが浮かび上がってくる。


 これは『スキルウインドウ』といって、現在体得しているスキルの一覧の確認と、スキルポイントの割り振りができるんだ。


 『スライムフォール』は『基本』『調整』『能力』という3つのスキルツリーで構成されている。

 各ツリー内にあるのがスキルで、『数量』『高度』『範囲』などの、スキル名の前にある数字は、今そのスキルに割り振っているスキルポイントを示している。


-------------------


スライク レベル22(スキルポイント残2)


基本 (スライムを振らせるための基本事項)

 10 数量 (スライムを降らせる数量)

 01 高度 (スライムを降らす高さ)

 01 範囲 (スライムを降らす範囲)


調整 (降らせるスライムを変更できる)

 01 色彩 (降らせるスライムの色)

 01 体積 (降らせるスライムの大きさ)

 01 重量 (降らせるスライムの重さ)

 01 硬度 (降らせるスライムの硬さ)


能力 (スライムの追加能力)

 01 コントロール (スライムを制御する)

 01 体当たり (スライムが体当たりできる)

 01 高温 (スライムの温度を上げる)

 01 低温 (スライムの温度を下げる)

 NEW! 捕獲 (物体を体内に取り込む)

 NEW! 分離 (捕獲した物体を複数に分離する)

 NEW! 融合 (捕獲した複数の物体を融合する)

 NEW! 吸収 (捕獲した物体を消化吸収する)

 NEW! 放出 (捕獲した物体を体外に放出)


履歴 (今まで降らせたスライムの種類)

 クリアスライム、カラースライム、ホットスライム、コールドスライム


-------------------


 昨晩このリストを確認したときにはレベル21だったのだが、気付いたらレベルが1上がっている。

 レベルはいろんな経験を積むと上昇するんだが、たぶん、追放の一件がいい人生経験になったとみなされ、レベルアップしたんだろう。


 レベル22になったことで、いくつかの新しいスキルが増えている。


 物体を体内に取り込む……。

 もしかしたら、おあつらえ向きかもしれない。


 スキルポイントも2ポイント残っていたので、俺はさっそく新スキルである『捕獲』に1ポイントを振って習得した。

 そしておもむろに、木に向かって手をかざす。


「……フォール、クリアスライム!」


 すると10メートルほど上空から、無色透明のスライムが1匹現れた。


 ちなみにではあるが、スライムを降らすことのできる高さは『高度』のスキルに振られたポイント数によって変わる。

 1ポイントにつき、10メートルの高さから降らすことができるんだ。


 現れたスライムはそのまま落下、樹冠の上にぼとりと落ちる。

 『コントロール』のスキルを使ってそのスライムを制御すると、油のようにしたたっていく。


 木の実に垂れ落ちたところで、『捕獲』のスキルを発動すると、


 ……つるんっ!


 骨をいくら当てても落ちなかった果物が、まるで熟して落ちるかのようスムーズさで枝から離れ、クリアスライムの中に取り込まれた。

 しかも、ふたつ同時に。


 見ていたアンコも、「やったーっ!」と飛び跳ねて喜んでいた。

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