第5話 にゃんことの日曜日

「……おい、起きろ」


「むにゃ~」


「重いから、起きろ」


 朝目が覚めたら、ねねは俺の上に乗っかって寝ていた。


 どうりで二人の力士に挟まってた夢を見るわけだ。


 ねねの体重を力士で表現するのは失礼だと思うけど、夢だから仕方ない。


「ううっ……」


 重いって言われたからなのか、ねねは少しびくっとして、軽く唸った。


 てか、ほんとにいい匂いするんだよね。女の子はみんなこんなにいい匂いするのかな。


 千奈美とはずっと一緒にいたけど、こんなに密着したことがないから、女の子はみんないい匂いしてるのかは分からない。


 小さい頃はよく千奈美と一緒に風呂に入っていたけど、もうとっくの昔のことだから、正直どんな匂いだったかは忘れてる。


 匂いほど思い出せないものはない。


「猫って夜行性なのはほんとなんだな……うわっ!」


 俺の言葉に反応したのか、ねねはいきなり上半身を起こして、俺の上に馬乗りになっている。


 やはり猫って言われたのが腹立ったのかな。


「旦那さん、いいか? 猫はね、夜行性って言われてるけど、ほんとは明け方と夕暮れのときだけ活発なんだよ!」


 怒った理由ってそっち?


 豆知識にどんだけこだわり持ってるの? いや、猫にこだわりを持っているのか。


 でも、確かに、ねねはさっきまでぐっすり寝ていたのに、今は目をキラキラさせている。すっかり目が覚めたみたい。


 やはり猫じゃん。


「あと、旦那さん、私は猫じゃない!」


 豆知識通りに、起きた途端ぴんぴんしているねねにそんなことを言われても説得力ないな。


「はいはい」


「旦那さん、適当~ がおーって食べちゃうぞ!」


 ねねは猫の手のポーズを取って、俺を威嚇してきた。


 全然怖くないけどね。


「それより、どいてくれる? その、当たってるんだけど」


「いやんっ!!」


 恥ずかしくなったのか、ねねは俺の体から跳ねて離れた。


 いや、叫びたいのはこっち。なんでパジャマの下にパンツ履いてないの? ばかなの?


「そ、その染みは昨日風呂の水だから、変なものじゃないから!」


 染みって俺のズボンの上のやつか? なんなのかは分からないけど、それって自爆だよ?


「はいはい」


「旦那さん絶対私の言葉信じてない~」


 ねねは猫の手で目を擦る。泣いてるふりしてるのだろう。ったく、器用なやつだ。


「そうだね、まだ夏本番じゃないし、体についてる水分が全部自然乾燥してなかったんだね」


 一応女の子だから、ここはフォロー入れておく。


 それに、下手に反論してギャーギャー騒がれると起きたばかりの頭に響くし。


「うん、そうだね! 自然乾燥できてなかったもんね!」


 なんでそうなる? 気づけ。やさしさだから。


 にしても、ねねが猫の手のポーズを取ったらさまになるな。さすがにゃんこ星人。


 ねねを起こす前にこっそりしっぽを触ってたのは俺だけの秘密。




 俺はまだ眠くて半目で歩いてるのに、ねねは元気そうに鼻歌を歌いながら軽いステップで食卓に向かった。


「お母さま、朝ごはんはなぁに?」


「ふふっ、今日はねねちゃんのためにマグロの寿司握ったのよ」


 朝から寿司!? 


「やった! マグロ大好き~」


「ねねってツナが大好きなんじゃ?」


「旦那さんってばかなの?」


「お前にだけは言われたくない」


「いいですか? 旦那さん。ツナの原材料はマグロだよ」


 その口調やめて……バカにされてる感半端ないから。


「ふーん。お父さんも寿司でいいの? まだ朝だよ」


「俺は別にいいよ」


 どうやら朝から寿司を食べることに疑問を持っているのは俺だけみたい。




 オエェ。やはり朝から寿司は重い。


 ねねはすごいな。なめるようにマグロを平らげた。シャリだけ残してるけど、お母さん曰く、それもご愛嬌とのこと。


「寝る」


「旦那さん、朝だよ?」


「しんどいから」


 昨日はねねが来てバタバタしてて忘れてたけど、俺は千奈美に振られてるんだった。さすがになにかをする気が起きない。


「年寄り!?」


「そういうことでいいよ……あとその旦那さんって呼び方はなんとかならないのか」


「旦那さんは旦那さんだよ?」


 思わずため息を吐きたくなった。


「百歩譲ろう。家ではそう呼んでいいけど、人の前では絶対そう呼ぶなよ?」


「えぇ、ひどい」


 ひどかろうとなんだろうと、俺は既婚者であることを隠さなきゃ。千奈美に知られたくないから。


「じゃ、私も寝る!」


 俺が席から立ち上がって、部屋に戻ろうとした瞬間、ねねの甲高い声が響く。


「なんで?」


「だってずっと旦那さんと一緒にいたいもん」


「「朝からラブラブだな!」」


 いいハーモニーを作ったお母さんとお父さんも十分ラブラブだと思うがな。


 あと、ラブラブではない。


「好きにして」


「やったー!」


 単純なのだろうか。ねねの喜びのツボはかなり浅い気がする。


 悪く言えば、ちょろい。




 部屋に入ってベッドの上で横たわったら、眠気となんとも言えない気持ちが襲ってきた。


 千奈美とはもう話さないほうがいいのかな。


 7年間の片思いだったな。いくら長く想ってても、振られたらすべてが無意味になる。それを知らされた。


 恋ってこんな……


「ソーレ!」


 考えに耽っていた俺の背中に衝撃が走る。ずしっとねねは俺の背中の上に跳んできた。


 忘れていた。こいつも付いてきたのだった。


「……なにしてるの?」


「愛情表現?」


「こんな重い愛情表現は間に合ってます」


「また重いって言った!」


「いや、そういう意味の重いじゃなくて」


「罰として……」


 急に首や耳になにかが触れた感触がして、俺は思わず身をよじった。


 振り返って、ねねのほうを見たら、ねねは頭を下げて、長い水色の髪を俺の頭の上から垂らしてきた。


「くすぐったいから、やめて?」


「ほーれほーれ~」


「ちょっ、くすぐったいって」


「旦那さんやっと笑ってくれた!」


 あれ、今俺って笑ってるの?


「……旦那さんの笑顔、好き」


 なんだろう。


 この瞬間、俺の心は何か温かいものに包まれた感じがした。


「それはねねが無理やり……ありがとう」


 弁解しようとしたけど、なぜかそれは違う気がした。


「旦那さん素直~」


「そういうことにしてくれ」


「えへへ」


「なんで笑ってるの?」


「なんでもない~」


 しばらくはねねを家に泊めてもいいのかもしれないと、この瞬間俺はそう思ってしまった……

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