したたかに

したたかに


 ホノカの母親は小さい頃から育児放棄気味で、父親に育てられたと言っても過言ではなかった。

 が、中学生になった頃から段々と父親もよそよそしく距離を置くようになった。


 高校に進学する頃には必要最低限以上の会話がない家庭になっていた。

 食事もバラバラでホノカは冷蔵庫に作り置きをする習慣が出来た。

 両親の間にも温かい交流はなく、それぞれに外食やコンビニ弁当で済ませている様子だったが、それは常にホノカの与り知らぬことだった。




 所謂いわゆる生理が始まる時期は感覚的には皆より遅くも早くもなかったように思う。

 いつかは自分にも起こることだと分かっていても、実際に経験するまでは他人事だった。


 それが来て、まずはパニックで頭が真っ白になった。

 どうしたらいいのか分からないけれど、父親に聞くことは恥ずかしくて出来なかった。


 母親に聞くしかないという結論に至るまで曲がりに曲がって、理屈にもならない言い訳を捏ね回した。




 母親に相談する時には深刻になり過ぎては面倒臭がられてしまうし、軽い口調で言えば後回しにされてしまう。塩梅が肝心だ。


『あなたが今、ほんのちょっと労力を支払えば、私の(あなたにも降りかかるかもしれない)面倒事が綺麗さっぱり片付いて、更にあなたの自尊心も満たされる』ということを示せるのが最適だろう。

 こちらの頼みを引き受ける方がメリットがあると思わせられれば……。


 ダイニングテーブルに肘をついて椅子に腰掛けている母親の後ろ姿に、緊張で震える息を飲み込んだ。自然に、自然に……。


 そこで何を自分が口にしたのかについての記憶は途切れ途切れになっていて確かでない。緊張のせいだろう。


 次に覚えているのは、ヒールを踵に押し込む母親の背に「おかあさんっ……!」と叫んだ自分の声か。

 底冷えする玄関に裸足の裏が貼り付いたように棒立ちになって、駄々を捏ねるような、みっともない声だけが追い縋った。


 母親が扉の向こうに立ち消えた後、心臓が喉まで競り上がってきたようだった。

 玄関の扉までの僅かな距離が途方もなく遠く見える。


 自分は母親の気を引くことに失敗したらしかった。




 中年の女性教師が熱心に声を張る。


 学校のパソコン室のマットに女子だけが集められて体育座りをしている。

 本人たちはコソコソ話のつもりでも二十人、三十人集まればかなり騒がしい。

 後ろに座るクラスメイトに顔を向けて笑い声を漏らす少女たち。


 彼女たちにとってはもう知っている話なのだ。

 フツウは家庭で母親から教わることだから。

 誰も性教育のオリエンテーションなんて真剣に聞かない。


 そんな彼女たちを尻目に、ホノカは女性教師の一言一句に耳を傍立てていた。

自分はここで情報を入手しておかなければならないのだ。

 一言も聞き逃さぬように頭に叩き込むのは、生き延びるため――社会的に殺されないために必須だからだ。


 教師の「質問はありませんか? 恥ずかしい人もいるでしょうから後でも構いませんよ」という掛け声を合図に、オリエンテーション前に配布された手元のピンクの薄い冊子に視線を落とした。


 裏表紙に雲の形の台詞枠がプリントされている。


『生理は大人の女性へと成長しているあかし。恥ずかしいことじゃないんだよ。……』


 唇の裏を、周囲に悟られないように緩く噛んで、堪えた。




 その言葉は母親の口から聞きたかった。

 ……でも、言ってくれなくても良かった。

 ただ淡々と事務的に必要事項を教えてくれるだけでも良かった。

 “良い母親”でも“優しい母親”でもなくていい。愛してくれなくても構わない。


 ただせめて“私のお母さん”でいてよ。“母親”の義務をある程度は果たしてよ。

 

 叫びを苦労して嚥下する。

 嘆いていてもどうしようもないからだ。


 少女たちの喧噪の中、心を殺して、学んだことを頭に刻みつけていった。




 思えば父親がよそよそしくなったのもこの時期か。

 生理用品やブラジャーの購入方法は同学年の友人たちの雑談の中から訊き出した。

 普段の話題に対するのと変わらない相槌を打ちながらも、アンテナを多方に張り巡らせる。


 それでも私はまだマシだ、と言い聞かせていた。


 育児放棄気味とはいえ、両親とも健在なのだから。

 命に関わるような重篤な虐待は一度もないのだから。

 施設に行かなければならない子より恵まれているのだ。

 それは事実でもあり、嘘でもあり、自分にとって聞き当たりの良い屁理屈だった。


 そう自分に言い含めて寂しさを飼い慣らすしか知らなかった。




――――――――――――――――――


*蛇足です。(読まなくて大丈夫です)

 この短い話は当初、長編「魔法道具店 第19話 ケルピーと扇風機」に「ホノカ」というキャラクターの過去として組み込んでおりましたが、色々と悩んだ末に削除したものです。

 悩んだ理由として、読者様の誤解を生むのではないか、センシティブな題材であるため嫌悪感を抱いたり場合によっては傷付く方もいらっしゃるのではないかという懸念があったからです。

 ただ少女の成長を描きたいと考えた時に、書いたものをなかったことにするのもこの物語に不誠実だと思ってきました。

 そのため「性描写あり」のタグをつけて、こうして公開させていただくことにいたしました。

 すみません、蛇足でした。



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したたかに @kazura1441

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