心臓が飛び出てしまうんじゃないかという程、驚いた。

だって……あの秀さんだよ?

この庭園を教えてくれて、ここで相談事やお昼を食べたりしていて、とても親しくて気を許せる存在でもある秀さん。

平社員の私が、一生お目にかかることも無いと思っていた会長と、何度も会っていたなんて……。


「佐藤さん、顔色悪いけど……大丈夫ですか?」


「あ、はい大丈夫です。秀さん……いえ、会長とこうして話している事に混乱はしていますが、平気です」


天瀬さんも、会長も私を心配してくれた。

あぁ……こうして見てみると、2人とも似てたんだ。

何故、気が付かなかったんだろう。



「はるちゃん、黙っていて申し訳なかった。こうなると思っていたから、話せなかったんだよ」


「いえ、お気になさらないで下さい。ここの社員なのに、会長のお顔を知らなくて……気軽に話してしまうなんて、失礼なことをしてしまいました」


会長は謝ってくれているけれど、悪いのは私だもん。

総務部の人間なのに、知らなかったなんて……職務怠慢だって言われても仕方がないもの。

申し訳なくて、顔も上げられないよ。



「はるちゃん、前にも話したと思うが……ここは、唯一気が休まる場所なんだ。ここに来れば、会長という役目を忘れて、のんびりできるんだよ。だから、せめて……ここにいる間だけでも、今まで通り私を『秀さん』と呼んで欲しいんだ」


そっか、いつも気が抜けない立場にいるから、だから息抜きをしに……スーツじゃなくてわざわざ作業服を着て、仮の姿になって植木の剪定に来ていたんだ。

社長に代を譲ったばかりだし、まだまだ重い役目も沢山あるだろうし、会長って大変なんだ……。


「本当に……秀さん、で良いんですか?」


「うん。そうだよ、それで良い」


作業服姿の秀さんは、いつもの笑顔で答えてくれた。

スーツ姿の秀さん……いえ、会長は想像できないけれど、これからもここで会えるなら嬉しいな。



「さてと、そろそろ戻ろうか。光彦、お前……はるちゃんを誘惑するなよ?ワシのはるちゃんだからな」


「お祖父様!」


「秀さん……」


「冗談だ。そんな事を言ったら、太郎君に叱られてしまうからな」


太郎さんに叱られはしないけれど、会長とこんな形で会ってたと知ったら、驚くだろうな。


「では、また」


「はい、秀さんまた会いましょう」


秀さんは私と天瀬さんを残し業務に戻っていってしまった。

そう言えば、呼び出された用件って……何だったんだっけ?



「お祖父様のお陰で、佐藤さんと気まずくならずに済みました。先程の話は忘れてください。もう時間ですし、私達も戻りましょうか」


「はい」


屋上庭園を出てエレベーターに乗ると、いつもの天瀬さんに戻っていた。


フロアに戻った私達は、何事も無かったように午後の業務をこなしていた。


そうだ……品川さんの逆玉作戦はどうなったんだろう?

そもそも、会長が孫娘の婿探しに来る事があるのかな?

秀さんは、ここに来るとは思えないし……。

多分、これは噂話で終わるかもしれない。

品川さんには気の毒だけど、騙されたまま仕事を頑張って欲しいな。



「そうか、そんな事があったのか……」


「はい」


今日は久しぶりのデートです。

そして、今は太郎さんの運転で目的地へ向かっている途中。

……何処に行くかは、着いてからのお楽しみらしいです。

それまでは、会えなかった分色々と報告中。


「会長は騙す気は無かったんだろう?運良く、春子は正体に気付かなかったし、話し相手にちょうど良かったんだよ。もし気付いていたら、今の関係は無かっただろうな」


「はい、そう思います。私、秀さんに沢山助けられていなかったら、とっくに仕事を辞めていたと思う」


「そっか、それなら会長に感謝しないとな。辞めていたら、春子と出会えていなかった」


……確かに。

続けていたからこそ、千夏や愛ちゃんと仲良くなれたし、太郎さんとこうして過ごせているんだね。



「太郎さん、今度一緒に庭園に来ませんか?もし……時間があったらですけど」


今度、秀さんに焼き菓子でも作っていこうかな。

とっておきの紅茶と一緒に用意して……。

私達3人で、昼食もとって。

あっ、天瀬さんも誘おう!

皆一緒だと、すごく楽しそう。


「そうだな。会長に直接お礼も言えるし、春子とランチも出来るなら時間取ってみるよ」


「ありがとうございます」


ふふっ、楽しみだなぁ。

皆で食べられるように、沢山お弁当作っちゃおう。



今まで何事も無く、ただひたすら通っていた職場。

そして、ただ時間だけが過ぎていた気がした……数年間。

でも、居心地が良くて変化を求めていなかった私。

避けて通っていた恋や人との深い関わりに触れてみると、こんなに違う世界があるんだと知ることが出来た。


「春子、着いたよ」


「え……ここは?」


「俺の実家」


「実家!?」



格好いい事を言ったけれど、変化に触れるって怖いです。

怖じ気付いて、逃げたくなる時もあります。


突然訪れる変化、この試練を乗り越える事が出来るのかな……。

不安だらけで、不安しか感じなくて、乗り越えた自分が想像できない。


これから過ごす非日常的な日々は、私にとって良かったのか悪かったのか……。


それは、これから知ることになるでしょう。



「春子、俺がついているから大丈夫だよ」


「は、はい」


これからの非日常的日々が、

どうか、幸せな日々になりますように。

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春子の非日常的な日々。 碧木 蓮 @ren-aoki

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