春子の非日常的な日々。

互いの想いを知った日から、私と鈴木さんは付き合うことになりました。


でも鈴木さんは忙しくて、社内でも顔を会わせる事がありませんでした。

それでも、合間を見て夜に電話を掛けてきてくれる。

それだけでも、贅沢すぎるほど幸せだった……。


『春子……』


「鈴木さん、お疲れ様です。何かありましたか?」


『お疲れさま。お前の声が聞きたくて電話したんだ』


「わ、私も……鈴木さんの声が聞きたかった……です」


今の私には、これで満足。

声だけでも緊張してしまうのに、会ったらドキドキが加速して倒れてしまいそうだったから。



『……俺の名前、呼んで』


「えっ?」


『……知らない訳無いよな?』


「……た、たろうさん」


『棒読みか。ま、いいや。今度会う時までに練習しておいて。それじゃ、おやすみ』


「はい、おやすみなさい」


恋愛漫画の様なシチュエーション、何度読んでもキュンとしてしまっていた。


読むのと実際に呼ぶのとでは、こんなにドキドキが違うんだ。

こんな日々が続くのかと思うと、心臓がどうにかなってしまうのではないかと、心配でもあった。



「それ、春子の考えすぎだよ。恋愛経験値低いから心配するのもわかるけれど、慣れたら平気になるものだよ」


「そうなの?」


これが平気になるなんて、どのくらい経てば平気になるんだろう……。


「うん。春子、恋する乙女はそういうものなの。そして、女は恋することによって綺麗になっていく。今の春子は、とても綺麗だよ。本当に良かったね」


「……綺麗だなんて。千夏のお陰だよ」


化粧の仕方教えてくれたし、手配してくれた美容師さん達の特訓のお陰でもあるから。


「でもね、社内には『太郎ファン』が沢山いるから気を付けてね。もし、標的になったら……彼か私に言ってくるんだよ?」


「うん、そうするね」


『太郎ファン』か……。

鈴木さ……太郎さんは、社内でも人気男子だもんね。

イケメンで、誰も寄せ付けないクールな所が良いって。

私には、優しくて甘い所も見せてくれるけれど。



「それじゃ、またね」

「うん、またね」


千夏とお昼を済ませ早めに戻った。

まだ誰も戻ってきていない静かな事務所。

席に座ろうとした時、天瀬さんが現れて私に声を掛けてきた。


「佐藤さん、ちょっと良いかな?」

「はい」


「それじゃ、屋上で」

「わかりました」


いつもと違う雰囲気の天瀬さん。

少しだけ不安を抱きつつも、天瀬さんと共に屋上の庭園へと向かった。



「佐藤さん、太郎と付き合ったんだね。太郎から聞いたよ」


「あ、はい」


付き合ってると言われても、太郎さんが忙しくてデートとか恋人同士がするような事は出来ていないけれど。


「太郎じゃなくて、私じゃダメかな?まだ結婚もしていないし、約束すらしていないんだよね?だから、考え直してもらえないかな」


「えっ……」


考え直してと言われても、やっと想いが通じたばかりなのに、そんな事を言われても困る。



「私なら淋しい思いをさせないし、贅沢だってさせてあげられる。未来の社長夫人にだってなれるんだよ?」


「社長夫人……ですか」


縁遠い言葉が、突然降ってきた。

着飾った社長夫人の私が、黒塗りの車から優雅に降りてくる私。

その横には……天瀬光彦社長。

彼の手を取り、赤い絨毯の上をゆっくりと歩く。


『旦那様、奥様、お帰りなさいませ』


執事やメイドが出迎えて、大きな扉がスッと開いた。

妄想……いえ、想像しただけでも凄い世界。

その想像が、現実になるの……?



「そうだよ。いずれ、私がこの会社を継ぐ。その為に、海外留学したんだ。それに、まだ秘密だけど……一通り実習が終わったら、社長の補佐に入るんだよ」


「そうなんですか……そうなるとフロアが違いますし、なかなか会えなくなりますね」


「うん」


天瀬さんに会えなくなる。

淋しくなるけれど、それも社長になる為の勉強だもんね。


「私に会えなくて、淋しい?」


「話を出来なくなりますし、皆も淋しいって言うと思いますよ」


「そっか、皆も……か」


「はい」


あれ?

天瀬さんは、急に淋しそうな表情をしてしまった。

どうしたのかな……。



「天瀬さん?」


「佐藤さんを『春子』って呼びたかったな」


「……?どういう意味ですか?」


今度は悲し気な表情で、遠くの空を見ている。

天瀬さんが何を言いたいのか、私には全く想像すら出来ない。


「光彦、もう諦めなさい。はるちゃんには、太郎君がいるだろ」


「お祖父様!何故……ここに?」


「さっきから居たぞ、昼寝の邪魔されたから起きてきただけだ」


お祖父様?

急に植木の向こうから聞こえてきた声の主は、私と天瀬さんの前に笑顔で登場したのだった。



「……あの」


話が見えないというか、この状況はどういうこと?

だって……お祖父様と呼ばれている人は、清掃業者だと思っていたあの『秀さん』だったから。


「やぁ、はるちゃん。私の孫が迷惑をかけたね」


「秀さん、こんにちは。あの……秀さんが天瀬さん……いえ、光彦さんのお祖父様なのですか?」


「あぁ、そうだよ。いつもこの格好で会っているから、信じられないのも仕方がないと思うが、これは事実だよ」


……秀さんが天瀬さんのお祖父さんだったなんて。そっか、そうなると社長のお父様で……。

え……と言うことは、創業者でもある会長なの!?

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