「……よし、今なら大丈夫」
誰もいないのを確認し、御手洗いからそーっと廊下へ出た私。
キッチンの方からは、愛ちゃんと千夏の声がする。
私は2人に向けて『ごめん』と小声で謝ると、玄関から外へ出た。
「はぁ……寒い」
秋から冬になりそうなこの時期は、夜風がとても冷たい。
うっかりリビングに上着を中に置いてきてしまった為、私の体はあっという間に冷えきってしまった。
しかし、取りに戻るなんて危険な行為は出来ない。
せっかく上手く脱出出来たのに、間違いなく鈴木さんと会ってしまうから……。
駅まで歩き始めた私は、松川家が見えなくなった距離の所で立ち止まりスマホを取り出すと、千夏宛に短い文章を打った。
『急用を思い出したから、先に帰るね。ごめんなさい……』
送信……っと。
黙って出てきちゃったから、これを見たらきっと怒られるだろうな……。
あ、松川主任にお誘いいただいたのに帰っちゃったから、余計に心配かけちゃうかも……。
愛ちゃんごめんなさい、明日……お詫びのデザート買って持っていくね。
それにしても、本当に寒い。
この時期に、ブラウス1枚にタイトスカートで歩いている人なんていないよね。
周りの視線も痛いし、こんな場所で立ち止まっていないで、早く帰ってしまおう。
そう気合いを入れた私は、スマホをしまい小走りで駅へと向かおうと前を向いた。
「……寒空の中、そんな格好で何処に行くんだ?」
突然掛けられた声に驚き、声の主の方へ顔を向けると、その人は私の側まで駆け寄ってきた。
その人は私が会いたくて、でも会いたくなかった人物……鈴木太郎さんだった。
「え……と、その……家に帰ろうかなと」
「へぇ、誘われたのに、黙って帰るなんて失礼じゃ無いのか?お前は、そんな礼儀知らずだったのか?」
「違います!だって……」
急な事で仕方が無かったし、他に方法が思い付かなかったから……。
「だって……って何だよ?ったく、寒いな……。こんな場所でいつまでも話していると、俺達凍えるぞ?場所を変える」
鈴木さんは私の腕を強引に掴むと、駅へと反対方向へ歩き出した。
「あの、鈴木さん……何処へ?私、そっちへは行かない……」
「話が終わってないだろ?ほら、乗れ。俺の車の中で話そう。ここなら、邪魔は入らない。逆らうと、力ずくで乗せるからな?」
「わかりました……。では、失礼します」
あっという間に、松川家の近くまで戻らされた私は、鈴木さんに言われるがまま、車の助手席に座った。
佐藤を車に乗せエンジンを掛けると、すぐに車内の温度を上げた。
早くしないと、佐藤が風邪を引いてしまうからな。
そして、後部座席に置いていたマフラーを取ると、佐藤に渡した。
「それ、俺のだけど使って」
「ありがとうございます……」
大人しく俺の言うことを聞いた佐藤は、俺のマフラーを首に巻いた。
これで寒さもましになっただろう。
「で、お前……何故出てきたんだ?光彦に誘われてデートでもするのか?」
「天瀬さんから誘われていません。デートの予定もありません。私が出てきた理由は……」
佐藤は、本心を隠しているようだった。
光彦に誘われたのでは無いのなら、他の理由は何なんだ?
俺は数分前まで、松川家の前にいた。
気分転換をする為に外へ出たのに、薄着で凍えそうになったから、家の中へ戻ろうとしていた。
しかし、玄関から受付の加藤が飛び出してきて、俺を見て叫んだ。
「鈴木さん、早く春子を追い掛けて下さい!今ならまだ間に合います!」
「佐藤が来ていたのか?」
「そうです、さっきまで居ました。鈴木さん、春子を頼みます」
「わかった」
加藤が言っている意味が解らなかった。
佐藤を俺に頼むのは何故か……。
理由は解らなかったが、とにかく佐藤を追うしかないと、必死で駅に向かって走っていた。
……見つけた。
アイツは、通行人の邪魔にならない様に、道の端で立ち止まっていた。
あんなに薄着で大丈夫なのか?
……まぁ、俺も人の事は言えない格好だが。
でも俺は走ってきたから、熱いし。
ていうか、あの格好は不味いだろ。
白いブラウスで……ピンクの下着が透けてる。
アイツ、気付いているのか?
ここからでもうっすら見えてるのに、脇を通る通行人ならもっと……。
はぁ、ダメだ……これ以上他人に見せるなんて我慢できない。
時間が経てば経つ程、下心を持った狼どもに狙われるのは確実だろ。
俺はアイツの側へ駆け寄ると、少し腹を立てつつ声を掛けた。
「理由は……何?俺には言いたくない事なのか?」
「……いえ」
言いたくないというか、本人を目の前にして言いにくい事で……。
「じゃあ、何?言うまでここから出さないからな」
出さないって……。
そんな事言うなんて思っていなかったし、何故怒っているのかもわからない。
そりゃ、黙って出てきたのは悪かったけど……。
怒られるなら、主任か千夏からじゃない?
「私がどんな理由で出ていっても良いじゃないですか。鈴木さんに言う理由なんてありません」
私が悪いのに、だんだん腹が立ってきて……つい反抗的な態度を取ってしまっていた。
「はぁ……そうか。もう良いよ、そうだな、俺は……お前の上司でもなければ、部署も違うもんな。もう心配なんてしてやらないから。ほら、ドアのロック解除したから出ていけよ」
私を……心配してくれていたの?
だから、私を追い掛けてきてくれて……。
それを知って、こんな状況なのに私の鼓動はドキンと跳ねた。
でも私が酷い言い方をしたから、鈴木さんはさっきより更に不機嫌になってしまった。
もう……こんなに嫌われているのに、今からでも告白出来るのかな……。
呆れて、ここをすぐに追い出されて、会社で会ったとしても、顔すら合わせてくれなくなるかもしれない。
でも……これが最後の機会だと思って、私は大きく深呼吸し、鈴木さんと向かい合った。
「鈴木さん……ごめんなさい。私、話します。でも、これを聞いたら……きっと私をここに連れてきたのを後悔するかもしれません」
「……俺はそんな男じゃないから、安心しろ。黙って聞いていてやる」
「ありがとうございます」
鈴木さんは私の方を見ず、真っ直ぐ外の景色を見ていた。
話そうと決めたのに、一気に緊張感が増して手が冷たくなってくる。
落ち着く為に少しだけ息を吸い、私はぎゅっと両手に力を入れると、鈴木さんの方を見た。
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