パタン……。


「はぁ……」


化粧直しを終えて、ロッカーを閉めた。


松川主任の前で泣くなんて思わなかったな……。

松山さんの毒舌も、品川さんからのどうでもいい仕事の負担にだって耐えられたのに。


お昼に天瀬さんに会うのに、聞かなかった事にして、普通に対応出来るか不安だよ。

いつもは逃げることはしない主義だけど、今回ばかりは逃げたくなってきた……。



営業部へ入ると、周囲を見ずに松川主任のデスクへと向かった。

もし、鈴木さんがいたら……動揺して逃げ出すかもしれなかったから。


でも、居なかった。

松川主任が私に配慮してくれて、退席させたのかもしれない。


「松川主任、では失礼します」


既に書類を用意してくれていたので、松川主任から受け取ると挨拶してすぐにデスクを離れた。


「春子、夜……家に来いよ。愛が待ってるから」


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせてお伺いします」


「わかった。美味い飯を用意しておくから」


「はい」


いつも優しい気遣いをありがとうございます。

今夜は千夏と一緒に愛ちゃんの手料理をご馳走になろう。

そして、嫌なことは忘れなくちゃ……。



「角野部長、松川主任から書類を借りてきました」


「ありがとう。助かったよ」


「いえ、では席に戻ります」


ふぅ……良かった。

休憩から戻るの遅くなったから、怒られるかと思ったけど大丈夫だった。

ただ1人、品川さんが『遅いぞ』っていう目で睨んでいるけれど……気にしない。

自分の方が多々あるのに、他人には厳しすぎるよ。



「……佐藤」


「遅くなってすみませんでした」


「部長の用事だったんだろ、別に構わないよ」


席に座るとすぐに、品川さんに謝った。

難しい顔をしていたのに、珍しく怒られなかった。

一体、どうしたのだろうか……?


「あのさ、俺の業務成績って今から挽回できると思うか?」


「え、どうして突然そんな質問を?何かありましたか?」


業務成績が良くないって、自覚なかったのかな。

仕事の態度を改めて、サボるの減らせば上向きになると思いますけどね。



「会長が、各部へ視察に来るらしいんだよ。勿論、極秘でね。その目的は、孫の相手を探す多米らしい」


「お孫さんですか?もしかして、あちらにいる天瀬さんの?」


「いや、彼は探さなくてもモテるでしょ。俺が思うに、箱入り娘の方だよ」


箱入り娘?

天瀬さんに姉か妹がいたのね。


「それで、お婿さん探しと業務成績がどう繋がるんですか?」


「優秀な男を探してるって噂なんだよ。俺も今から頑張れば、その候補になるかもしれないしさ」


……なるほど。

品川さんは、逆玉の輿を狙っているのね。



「選ばれると良いですね。でも、相手の方の顔も知らないのに、頑張れるんですか?」


「あそこにいる天瀬君が良い男なんだから、美人に決まっているだろ。さてと、頑張るか!」


……何を頑張るのでしょうか。

空回りして、仕事でミス連発しないでくださいね。


「品川さん、ファイト」


「おー!」


私も頑張らなくちゃ。

昼休みまで、あと1時間30分。

動揺してミスしないように気を付けよう……。



そして、あっという間に昼休みになってしまった。


私はデスクの上を整理し、お弁当を持って屋上へと急いだ。

天瀬さんはまだ来ていない。

多分、まだ仕事をしていたから5分か10分後になるかもしれない。

それまで一息つこうと、入口から遠いベンチに腰掛けた。


「はぁ……」


溜め息しか出ない。

作ってきたお弁当を食べたいのに、食欲すら無くなっている。

私は……どうしたら良いのか。

天瀬さんは何て言ってくるのか、とても不安でいっぱいだった。



「おや、春子ちゃんじゃないか。元気がないけど、どうした?」


「あ、秀(ひで)さん。ここでお会いするなんて、久しぶりですね」


秀さんはこの会社の清掃をしている人で、入社したての頃……この屋上庭園がある事を教えてくれた人。

入社当時、私は誰もいないフロアで一人淋しくお昼を食べていた。


ある日、そんな私の所に秀さんが現れて、『こんな太陽も見えない場所ではなく、私と明るい太陽と空が見える場所でお昼を食べに行こう』と誘われた。

これが秀さんとの出会いの始まりだった。



勿論、最初は怪しい人かと警戒したけれど、私の様子を見て察してくれて、『私は、社内の清掃業者だから不審者では無いよ。今日知り合った記念に、何処かで会ったら、秀さんと呼んで欲しいんだ』と。

それで、私も名乗って……ここを教えてくれた。


あまり社内の人には知られていないし、良い場所だろ?って。

この庭園の手入れも頼まれているって言ってた。

お昼も一緒に食べた事もあった……。

千夏と仲良くなってからは、ここで秀さんと会う事は無くなったけれど。



「同じ建物の中にいるのに、なかなかタイミングが会わなかったね。春子ちゃん、元気にしていたかな?」


「はい。元気というか普通ですけど、ずっと変わらずにいます」


「そうかな?私には変わったように見えるけどね。前より綺麗になってるし、恋の悩みも出来たようだね」


え……恋の悩み!?

これが、恋の悩みって!

私の顔に出ていたのかな……『恋の悩み有ります』みたいなのが。


「秀さん、あの……それなら」


私の悩み、どう解決したら良いですか!?



「春子ちゃん、自分の気持ちを素直に伝えることだよ。相手に申し訳無いと思うのは分かるが、無理して合わせていても、結局は相手に伝わってしまうものだよ。それに……いつかは察してくれるなんて、超能力者ではない限り、それは無理なんだ。だから、相手とちゃんと話さないとね」


「はい」


「おや、そろそろ仕事に戻らなくては。それじゃ、また」


「はい、秀さん……また。ありがとうございました!」


秀さんは、『今度は一緒にお昼を食べよう』と笑顔で去っていった。

まるで、私の悩みを解決する為に現れてくれたみたいだった。

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