「それじゃ、俺は帰るから」
「何度も……ありがとうございました」
「お礼なんて良いよ。別に何もしていないし。そうだ、これ……佐藤の定期入れ。車にあったから届けに来たんだった」
「あっ、ありがとうございます。ポケットに入れておいた筈なのに……落ちたんですね。明日、困るところでした」
鈴木さんは、『佐藤の役に立てて良かったよ』そう言ってくれた。
私は、鈴木さんを見送ろうと車のある所まで行き、運転席の脇に立った。
そして、鈴木さんが車に乗り込もうとドアを開けた……。
「佐藤……?どうした」
「えっ?」
「俺の服を掴んでる」
「す、すみません!何故……こんな事をしたんだろ」
名残惜しくてゆっくりと行動していたが、俺の動きが止まった。
自分の意思ではなく、佐藤の意思で。
佐藤は、俺の上着の裾を掴んでいた。
その姿を見た俺は、佐藤と離れたくないという衝動にかられていた。
「俺を誘っているのか?」
「え、そ、そんな事は……決して無いです!」
おい、力強く否定しなくても良いだろう……。
俺のハートは鋼鉄じゃ無いんだぞ。
せめて笑って流すとか、『そうです』と俺を受け入れるとか……。
まぁ、後者は有り得ないか……俺の願望が入りすぎだな。
でも、内心は俺を行かせたく無いのかもしれない。
それなら……。
「佐藤、この広い家に1人じゃ危ないだろ?俺が泊まってやっても良いぞ?」
「はい!?」
鈴木さんが家に泊まる?
そう聞こえたけど、目の前の人は冗談を?
お祖母ちゃんが入院してからは、1人で住んでいたから危ない事なんて無かった。
それなのに、何故?
もしかして……本当に冗談を言っているのかな。
「俺が嫌いなら、帰るが?」
「嫌いじゃ無いです!」
「そうか。それなら良かった」
嫌いじゃない。
それなら……私は鈴木さんを好きなの?
好きでも、ライクの好きであって深い意味は無い筈。
でも、本当にそうかな……。
確かめよう、自分の気持ちを……。
「鈴木さんが良ければ、泊まっていって下さい」
「……本当に良いのか?」
「あ、はい。今日は沢山お世話になりましたし、御飯も作ります」
それくらいしないと、今日の事を帳消しにしてもらえるか分からないし。
「そうか。それなら、ご馳走になるよ」
「はい」
私は鈴木さんに駐車場所を教えた後、共に家の中へ戻った。
「あの、茶の間で寛いでいて下さい。私は、今から夕飯を作りますから」
「いや、俺も手伝うよ。その方が早く終わるだろ」
「でも、ご馳走するって言ったのに……」
「佐藤が作った事には変わり無いだろ?でも、俺が邪魔なら大人しく座っているが」
「い、いえ……邪魔ではないです。よろしくお願いします」
「あぁ、任せろ」
気付くと、鈴木さんが笑顔で私の隣に立っていた。
身長……高かったんだ。
そうではなくて、こんなに素敵な笑顔になる人だったんだ……。
いつもはまじまじと顔を見ていなかったから、知らなかっただけなのかもしれないけれど。
「俺の顔に何か付いているか?」
「あ、いえ……」
「そうか」
「はい」
私は平静を装っていたけれど、内心かなりドキドキしていた。
だって、これはまるで……ドラマみたいなシチュエーション。
こんな事今まで無かったし、縁遠いものだったから。
まさか、今日の失敗からこんな展開になるとは……夢にも思っていなかった。
「たまごがふわふわで美味しい~。手際もいいし、器用ですね」
「帰りが遅くならない時は、自炊しているし。作るのは嫌いじゃないからな」
「そうなんですね。凄いなぁ……」
2人で作ったのは、カツ丼とキュウリと白菜の浅漬けと茄子としめじのお味噌汁。
私はどちらかというとトンカツ派なんだけど、鈴木さんが作ってくれたカツ丼は、お店で出しても良いくらいの美味しさだった。
「佐藤が作った味噌汁だって旨いぞ」
「ありがとうございます。味噌はお祖母ちゃんが作ったものなんです」
「そうなのか。だから懐かしい味がしたんだな」
「はい。お祖母ちゃんが聞いたら喜びますよ」
鈴木さんがほとんど作ったようなものなのに、私が作った味噌汁まで誉めてくれるなんて嬉しい。
お祖母ちゃんが帰ってきたら、鈴木さんが絶賛していたって教えてあげよう。
「ごちそうさまでした」
「久しぶりに作ったけど、旨かったな。片付けは俺がやるから、佐藤は風呂の用意頼むな」
「はい」
お風呂の用意……。
普通に返事しちゃったけど、鈴木さんも入るんだよね?
着替えは大丈夫なのかな?
お父さんの着替えの新品な予備とか置いてないし、置いてあったとしても、鈴木さんって意外と身長も胸筋もありそうだし……無理だよね。
どうしよう……。
とりあえず、浴槽を洗ってから聞いてみようかな。
「……あの、着替えってあるんですか?無ければ、近くのコンビニで買ってくるとかした方が」
「大丈夫だ。出張用に持っているから」
「あ、なるほど」
営業だから、突然の出張命令でも動けるように荷物を積んでいるのね。
凄いというか、さすがというか。
「佐藤、さっき携帯鳴っていたぞ」
「本当だ。こんな時間に誰だろ……?」
テーブルに置きっぱなしだった携帯が、ランプを点滅させて着信があったことを知らせていた。
「……天瀬さんと千夏からだ」
どうしよう。
千夏はともかく、天瀬さんとあんな事になってしまったから電話を掛けたくない。
「光彦?」
「あ、はい。ちょっと自分の部屋行って電話してきます」
「あぁ。風呂は急がなくて良いから」
「ありがとうございます。すぐに終わらせますから」
私は鈴木さんの了解を得ると、急いで自分の部屋に駆け込んだ。
「もしもし、千夏?」
『あ、春子!泣いてたって聞いたけど、大丈夫だったの!?今、何処に居るの?私でよければ、話聞くから』
情報早いし。
千夏、誰から聞いたの?
もしかして……あんな姿、会社の人に見られてたとか!?
「あのね、今……家にいるんだ」
『それなら、今から行く。ちゃんと待っててよ!』
い、いや……それはまずいって。
ここに鈴木さんが居るって知ったら、千夏が何を言うか分からない!
「千夏、あのね。私なら大丈夫だから。心配してくれてありがとう。話なら明日するから……」
だから、来なくても平気だから……と千夏を落ち着かせる為に説得してみた。
『春子さ~ん、何を焦っているのかな?すごく怪しいんですけど。もしかして、そこに誰か居るんでしょ……』
「えっ、い、居ないって!お祖母ちゃんは旅行だし、私は部屋で1人だし」
う、嘘は言ってないよ。
別の部屋に鈴木さんがいるけど……。
『ちょっと、私に隠し事するなんて百億万年早いわよ?春子、正直に白状しなさい』
こ、恐い……。
千夏ってば、電話越しでもかなりの威圧感があるんですけど。
どうしよう。
黙っていたら、家まで乗り込んできそうだよね……。
「千夏、本当に大丈夫だから。話したい事もあるんだけど、ここじゃ……ちょっとね」
天瀬さんの事を話したいけれど、壁や襖1枚じゃ話が筒抜けになっちゃうんだよね……。
だって、鈴木さんと天瀬さんは仲良しだから、私が何を言っても気分が悪いと思うし。
『ここじゃ……って、春子は家に1人なんでしょ?誰に遠慮してるのかな~?』
う、鋭い突っ込み。
どうしよう、困ったな。
やっぱり千夏に隠し事出来ないかぁ……。
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