「佐藤……、ちょっといいか?」


「はい、何かありましたか?」


職場があるフロアに入った時、鈴木さんに呼び止められた。


「いや、あのさ……今晩、食事に行かないか?」


食事に?

もう幹事の仕事は終わったのに?


「他に誰かいますか?」


「いや、俺と佐藤だけだ」


2人だけで?

……何故?


「……仕事ですか?」


「プライベートだ」


いやいや、無理でしょ。

だって、男性と……しかも、鈴木さんと食事になって行ったら、何を言われるか。

それ以前に、プライベートで男性と2人だけで食事に行ったことがない!



「……ごめんなさい。私、鈴木さんとは行けません」


「俺とは行けないのか」


「はい。ごめんなさい……」


だって、プライベートでだなんて言われたし、突然の事でどうしていいか分からないもの!


「そうか……。佐藤が謝ることじゃない。俺が誘ったのが悪かったんだ。悪かった……」


鈴木さんは苦笑して、目の前から立ち去っていった。

つい……鈴木さんとはって言っちゃったけど、男性なら誰とでも無理だよ……。


はぁ……。

悪いことしちゃったな。



「……佐藤さん、元気がないけどどうしたのですか?」


終業のチャイムが鳴り、まだ仕事が残っているな……と溜め息を吐いたとき、天瀬さんが声を掛けてきた。


「あ、いえ……大丈夫です」


天瀬さんは鈴木さんと仲良しだもんね、私が誘いを断っただなんて言ったら、気を悪くするかも。


「そうか、でも……佐藤さんが元気がないと心配なんだ。だからさ、私でよければいつでも相談に乗るから」


「ありがとうございます。その時は、よろしくお願いします」


私は笑顔でそう答えて、何でもないと思わせてみた。

天瀬さんは私の表情を見て安心したのか、自分の席に戻っていった。



「さてと、さっさと終わらせよ」


気合いを入れて残りの仕事に取りかかった。

だけど、さっきの鈴木さんの表情がちらついていて、集中できずにいた。

このままじゃダメだ……ミスするかも。


「何か飲んでスッキリしよう」


気分転換をする為、事務所の外に出て自販機の前に行った。


「何、飲む?」


「へっ!?」


振り返ると、天瀬さんが笑顔で立っていた。

いつの間に!?

考え事していたから気が付かなかった……。



「ついでだからさ、ボタン押してあげる」


「あ、じゃ……ホットで甘めのミルクコーヒーを」


「了解」


ガコン……。


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます。これ、コーヒー代です」


「今日は私の奢りで。次、奢ってください」


次……?

あ、次……私が何か買って渡せば良いのかな。


「あ、はい。それじゃ、いただきます」


「どうぞ。せっかくだからさ、そこに座って飲もう」


「……はい」


私は天瀬さんに促されるまま、自販機の横にある椅子に座った。

残業時間中だからか、私達以外フロアには誰もいない。

事務所からこの場所は死角になっているし、2人きりの空間という感じになってしまっていた。



「あの……あまり長居したら、残業中なのに怒られません?」


「そうだね。でもさ、そんな状態の佐藤さんを放っておけないから」


「私……いつも通りですよ?」


ちょっとだけ、落ち込んではいるけれど……。


「私の前では、無理しなくて良いから」


「……えっ!?」


天瀬さんの言葉にドキッとした。


ううん、言葉よりも……私に向けている視線が、いつもの天瀬さんではない。

私の心の奥が、ぎゅっと熱くなった。



このシチュエーションは……。

まさか、ドラマや漫画で見られる……王子様が可哀想な地味女に何かしらの情を抱くという……。


あれ?

そんなシーンは無い!


じゃ、この蛇に睨まれた蛙状態……ではなくて、虎に睨まれた兎。

いやいや、天瀬さんは虎というより、白馬でしょ。


あぁ~違う!

王子に心を奪われそうになっている、地味女。

もう、自分でも何を言っているのかが分からないけれど、これは……まずいシチュエーション!


「私、戻ります!」


そう言って勢いよく立ち上がると、飲み干した缶を強く握ったまま駆け出していた。



ふぅ……。

何だったんだろ、今のは。


頭の中を整理すると……。

天瀬さんは、落ち込んだ私を心配してくれて、缶コーヒーを奢ってくれた。

そして……優しい言葉をかけてくれた。


その後に、一緒に椅子に座って……心の中を撃ち抜くような王子の眼差しに、心の奥がぎゅっと熱くなった。


以上。


特に何もなかった。

うんそうだよね、何もなかったんだ。

それなのに、このドキドキは……何なんだろう。



「お先に失礼します」


自分の机に戻ったのは良いけれど、仕事に集中できず……そそくさと帰り支度をした。

そして、残っている人達に挨拶をすると、小走りで事務所を出ていった。

残りの仕事は、朝早くやれば良い。

それよりも……次に天瀬さんと会ったらどうしたら良いのかが分からない。


はぁ……困ったな。

同じ部署だし、会わないわけにもいかないもん。

エレベーター待ちをしている中、項垂れる私。

きっと暗いオーラを放っているんだろうなぁ……と、自分の姿に苦笑していた。




「……佐藤さん、さっきはごめん。お詫びに夕飯奢るから食べに行かない?」


「あ、天瀬さん!?」


ビックリした……!

何処から現れたの?

確か、この周りに誰も居なかった筈。

さっきの場所からワープしたとか!?

王子には特殊能力まで備わっていたのか!?


あ……そっか。

このフロア、吸音のカーペットだからか……。



「ごめん、驚かせて。帰り支度していたから、急いで追い掛けてきたんだ」


「あ、いえ……」


私が脳内脱線している間に、天瀬さんが優しく話し掛けてきた。


「この後、用事が無いなら……どうかな?」


「あ、はい。特には無いですけど」


「それなら、大丈夫だね。ここで待っていてくれる?机の上、片づけてくるから」


「はい、わかりました」


え……。

ちょっと待って、今さらりと言われてOKしちゃったけど、天瀬さんと食事!?


え、え、えーっ!

ど、ど、ど、どーしよう!



服は……。

あ、地味紺スーツに黒のパンプスだ。

お祖母ちゃんが帰ってきたから、服は以前と同じ地味系が良いかなとか……考えたんだよね。


だってさ……地味服来ていたのに、急に色気付いた服なんて着て現れたら、驚いて腰抜かすでしょ!?

……いや、腰は抜かさないと思うけど。

でもさ、何か恥ずかしくなっちゃって……。


「お待たせ。じゃ、行こうか」


「はい」


ぎゃー!妄想している間に、天瀬さんが来ちゃったよ。

しかも、『はい』って普通に返事しちゃうし……。

あぁ、地味スーツで同行決定です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る