帰国子女、登場。
「おはようございます……」
まだ誰もいない総務部の事務所……。
だけど、何となく声を掛けて入ってきた私。
この静寂の時間がまた良いのよね。
だけど、この数分後には続々と出勤してくるから賑やかになる。
でも、それが1日の仕事の始まりの合図のようなものか……。
さてと、今のうちにやれる事をやってしまおう。
給湯室のポットに水を入れて、デスクの上を掃除しようかな。
率先して先にやってしまえば、『誰がやってなかったの!?』なんて揉めないから……。
ポーン……。
エレベーターの開く音がした。
このフロアに着いたみたい。
カツン、カツン、カツン……。
続々と各部署へと向かう人達。
その中で、この音は存在感をアピールしつつ、こっちに真っ直ぐ向かって来ている。
それと同時に、あの有名な映画『ジョーズ』のBGMが、頭の中で鳴り始めた……。
「あら?佐藤晴子(さとう はるこ)さん、今日も早いわね~」
「松山さん、おはよう……」
私のフルネームを言い、ヒールの音を高らかに鳴らしながら事務所に入ってきたこの人物は、私の同期で同い年の松山麗香(まつやま れいか)22歳。
綺麗系でお嬢様風の容姿、髪はロングの巻き髪。
いい男を見付けては、自分のものにしないと気が済まないタイプ。
彼女は、大抵の人を見下している。
……特に女性と対象外の男性は。
裏表がハッキリしていると言えば、聞こえは良いけどね……。
私は勿論見下されているけれど、相手にするのが面倒だから、そのまま気にせず対応している。
「ね、佐藤さんは大丈夫だと思うけど、念の為に言っておくわ。先月、このASCの社長の息子さんがアメリカから帰国したの。それで、その方が各部を職場実習しているんだけど、今月はうちの部署なの。だから……この先は言わなくても解るわね?」
「はぁ……」
手を出すな、話し掛けるな、仲良くするな……ですよね?
私みたいな地味な女を、うちの社長の息子さんが相手にする訳が無いでしょ……。
「という訳だから、貴女は仕事に徹するのよ?じゃ、宜しくね」
「…………」
……何が宜しくなんだろ?
それにしても、部長は昨日何も言ってなかったのに……本当にそんな偉い人がうちの部署に実習に来るの?
「おはようございます」
「「おはようございます」」
部の朝礼が始まり、部長が話を始めた。
「……知っている者もいるかもしれないが、今日からうちの総務部に実習生が1名入ることになった」
はぁ……。
松山さんの話は本当だったか。
松山さんの方を見ると、『ほら、来たわ!』と目を輝かせて部長の話に耳を傾けていた。
「それでだ、後程……この中から世話役を1名決める。以上だ、仕事を始めてくれ」
「「はい」」
世話役か……。
何をするか知らないけれど、私には無関係な役目だ。
松山さんは部長の開始の号令と共に、何処かへ消えたらしい。
こういう時、行動が早いんだよね。
……ターゲットの世話役になりたいから、念入りに化粧をしに行ったのだろう。
それにしても、社長のイケメンの息子さんが同じ部署で働くなんてね……。
社長の顔なんて、入社式の時にしか見たことないな。
似てるのかな?
それ以前に、社長ってイケメンだったっけ??
ま、何度も言うけれど……私には無関係な事。
さてと……我が憩の家へ帰る為にも、仕事に集中してさっさと終わらせなくちゃ!
朝礼後、イケメンの御子息がいつ来るのか……と部署内は落ち着かなかった。
だけど、待てど暮らせど現れず……。
部長は何処かに行っちゃうし、『本当はうちの番じゃ無いんじゃない?』なんて囁く人もいた。
松山さんは来る筈だと信じていて、エレベーターの音がする度に仕事を止めて髪の乱れを直している。
しかし……なかなか現れないのでイライラしていて、周囲の人に被害が出そうな状態に。
私はと言うと、そんな松山さんを見て見ぬふり。
『どうせならこのまま現れてくれるな』と祈りつつ、締め切り間近な仕事を終わらせようとしていた……。
それから5分後……。
昨日から取り組んでいた仕事を終わらせることができた。
私は、「よし、終った……」と心の中でガッツポーズをし、書類を持って立ち上がった。
そして、この書類を部長の席に置いたら終了……となる筈だった。
席を外している今なら、誰からも注目を浴びない。
もし、訂正があるなら後程呼ばれるだけ。
だから今が狙い目……だったのに。
「佐藤、頼んだ書類終ったんだな」
部長の机に書類を置いた瞬間、何処からか声がした。
部長の声に似ていたけど、部長は不在だし……気のせいだと思い、気にせずそのまま自分の席へと戻ろうとしていた。
「佐藤春子、私の声が聞こえなかったのか?」
「……はいっ?」
コツ、コツ、コツ……。
足音がだんだんと近付いてきて、私の背後で止まった。
嫌な予感がした。
背後からの威圧感と、皆からの視線……。
それと、松山さんが送るキラキラな視線が、私の後方を見ていたから。
この場を黙って去るべきか、でも……さっき呼び止められた声は、私に向けられていたものだったような?
私は、おそるおそる……後ろを振り返った。
すると……呆れた顔の部長と、笑いを堪えている長身のイケメンさんが立っていたのだった。
「ありがとう、思ったより早かったな」
「あ、いえ……それほどでも」
部長は席に戻ると、私が提出した書類をチェックしていた。
その間、イケメンさんは部長の隣に立って書類を遠目で見ていた。
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