第17話 慈悲深き殺戮
――シュパッ!
月明りに照らされていた鹿の額に、矢が突き刺さる。
「――これで六匹目……あまりにも多すぎる」
このマイコニドの数、どう見てもただ事ではない。今回の事件に関わっているのは間違いないだろう。
俺達はゲラシウスとの話し合いが終わった後、わずかな仮眠を取り、すぐに出発した。
ヴァルフレードに現場を荒らされる前に、調査をおこないたかったのだ。
「――見張りが一人もいない。明らかに不自然だ」
俺は黒檀の弓を背中に戻し、ダマスカス鋼製のショートソードとダガーを抜いて、廃坑の入口に向かう。
これらの武器と、今着ている艶消しされた黒い革鎧は、すべて昔の仕事道具だ。
嫌な事を思い出すので正直使いたくないのだが、今回の依頼内容を考えると、そうせざるを得なかった。
「――やはり、この出入口は使われていない」
廃坑の入口には無数の足跡が残っている。そのほとんどはラペルト伯に派遣された兵士たちのものだろう。
奇妙なのは、廃坑から出てくる足跡が一つも無い事だ。
つまり野党たちは、この場所を出入口として使用していないという事である。
「――間違いなく罠だ。他に入口があるはず。それを探そう」
とは言っても今は明け方前。適当に周囲を捜索したところで、見つかる訳がない。
俺はすでに目星をつけていた。
「アリス、ナトト村に戻る。生物の気配がしたら教えてくれ。<
魔法の矢の輝きは、夜だと非常に目立ってしまう。使う事はできない。
今回の依頼は、誰の目にも留まらず遂行したいと思っている。背後に何か大きな組織の影を感じるのだ。
俺達は道なりに進み、ナトト村へと戻る。
ダルシャサリア鉱山が廃坑となる前は、二百人以上の人が住んでいたそうだが、今はたった人口三十人ほどの非常に小さな村だ。
俺は廃坑へ向かう前に、この村を遠くから観察している。
その際引っ掛かったのが、全員が頭に被りものをしていた事だ。
農民が麦わら帽子や頭巾をかぶる事は、何らおかしい事ではない。
だが、子供や赤子まで被っているのは奇妙に感じた。
当初は村長に依頼内容について伺うつもりだったが、関わらない方が良いと判断し、その場から立ち去った。
「――妙な点は他にもある。何故彼等はまだここに居る? そして何故魔術師ギルドに依頼した?」
野盗に襲撃されたのであれば、どこか別の場所へ避難するべきだ。
また、野盗の討伐は、領主であるラペルト伯に頼むべきであり、魔術師ギルドに依頼するのは筋違いである。
しかも彼等は対人戦の経験に乏しく、依頼料も発生するのだ。頼む理由は何一つない。
「――アリス、自衛以外の目的では、絶対に手を出すなよ?」
俺は草むらに隠れながら、一軒の民家に近づいてゆく。
今回の依頼の一番の懸念は、対人戦である事だった。
アリスに人殺しはさせたくない。
今回は<
その為に、忌々しい思い出の品で武装してきている。
「……寝ている時でもか……怪しくなってきたな」
寝室で寝ている老夫婦は、すっぽりと頭巾をかぶっている。
俺は静かに別の窓の下まで移動し、中をのぞく。
「――一人か。こいつにしよう」
老夫婦の長男のようだ。毛糸の帽子をかぶったまま寝ている。
「アリス。ここで待っていてくれるか?」
返事は無い。おそらく待てないだろう。
彼女は未だに俺が視界に入っていないと駄目なのだ。
俺は窓から無音で侵入し、長男のフードを脱がせた。
(――やはり、マイコニドに寄生されている)
こうなったら、もう助かる方法はない。
俺はダガーで長男の首をかっ切った。
――ガタリッ。
(アリス!)
スライム状態なら得意だっただろうが、今のアリスに隠密行動は難しい。
普通に音を立てながら、窓を乗り越えて来てしまった。
“待て”の訓練は何度も試みたのだが、成果はまったく出ず。この点においては、彼女は犬以下だ。
「――どうしたぁ……?」
――スパッ!
長男を見に来た、父親の首をショートソードで刎ね飛ばす。
頭巾がパラリと落ち、頭に生えたマイコニドが姿を現した。
そのまま夫婦の部屋に忍び込み、寝ている母親の首も斬り落とす。
「安らかに眠れ――」
アリスは死体をじっと見ている。
「――俺が恐ろしいかアリス?」
アリスは俺に振り向くと、じっと目を見てきた。
「お前には見せたくなかった。だから待っててくれと言ったんだぞ? ――今度こそ、ここでじっとしててくれよ?」
俺は民家の床を簡単に調べると、隣の家へと向かう。
アリスは予想通りというべきか、当たり前のようについてきた。
一応屈んで歩いてはいるので、本人なりに迷惑をかけないようにしているつもりなのかもしれない。
この家も全員マイコニドに寄生されていた。
まだ小さな子供もおり、この依頼を受けた事を後悔し始める。
「……アリス、俺は今からこの村の人間を皆殺しにする。確か赤ん坊もいたはずだ。それでもついて来るか?」
相変わらず何も反応がない。一体何を思っているのだろう。
「お前には残酷な事をさせたくないし、見せたくもない。きれいなままでいてほしいんだ。分かってくれ……」
俺はアリスを抱きしめ、頭を撫でながら、優しく語り掛けた。
彼女はその間、ずっと俺を見つめてくる。
俺は次の家へ向かう。他の家より大きいので村長の家のようだ。
後ろを振り返る。――アリスがいない。
「――アリス?」
俺の声が聞こえたのか、アリスは先程いた家のドアからひょこりと顔を出した。
(待っててくれているのか……!)
これは大きな進歩だ。ついに“待て”ができるようになったのだ。
自分の気持ちが伝わった事に、俺は大きな喜びと感動を覚える。
アリスを手で制してから家に忍び込み、全員の首を刎ねた。
「――実に奇妙だ。マイコニドに寄生されれば、見境なく他者を襲いかかるだけの存在になる。だが彼等は普通の人間としての生活を営んでいる」
頭に生えたキノコの大きさからいって、寄生されてから数カ月の月日が経っているはず。
だが、台所には少し前に料理をした形跡があり、畑や家畜の管理もきちんと為されている。
「最も恐ろしいのは、ギルドに依頼をしてきた事だな。普通のマイコニドに、これほど高度な支配はできない」
これは明らかに人為的に生み出されたマイコニドだ。
そしてそんな代物を作り出せるのは、並大抵の組織ではない。
「つまり、一つの国。――これは敵国による侵略に違いない」
兵と食料を浪費せず、自国の損害を最小限におさえ、敵国の資源と人材を奪う。見事な戦い方だ。
となれば、俺が調査するべきことはただ一つ。侵略者が誰であるかを突き止める事である。
俺は一度も気付かれる事無く、ナトト村の住人をあの世に送る。
すっかり日が昇る頃、アリスを連れて、まだ足を踏み入れていない、村の大きな倉庫に入った。
「――やはり、あった」
床に隠し扉を見つけた。ここから廃坑までつながっているはずだ。
俺達はハシゴを降り、地下通路へと降り立った。さすがにアリスを一人で置いていく事はできない。
照明の魔道具を使い、周囲を照らす。敵に気付かれてしまうが、罠があるかもしれない通路を灯りなしで進む事はできない。
「アリス、周囲に溶け込めるか?」
アリスには黒いケープを羽織らせてはいるが、俺よりもだいぶ目立ってしまっている。
彼女は返事をしないまま服を脱ぎだした。
俺は慌ててアリスを向こうに向ける。スライムだとは分かっているが、それでも前を見てしまうのは気が引けた。
全裸になった彼女はグニュリと本来の姿に戻り、壁と同じ色に体色を変化させる。
「よし、お前はできるだけ後ろにいろ」
アリスが脱いだ服をバックパックに詰め、俺は罠に気をつけながら通路を進む。
「トラップは鳴子だけか……」
音が鳴らないように注意して、鳴子をダガーで切断する。
前方から鎧の音が聞こえてきた。俺は灯りをすぐに消し、弓に矢を番える。
照明の魔道具を持った二人の姿が、はっきりと見えた。
(――駄目だ。兜をかぶっている)
マイコニドに寄生された宿主を一撃で無力化するには、首を斬り落とすか、脳を損傷させなくてはいけない。
痛覚が無いので、手足を狙っても動きを止める事が難しいのだ。
俺は弓を戻し、剣とダガーを抜く。
そして姿勢を低くし、一気に二人に飛び込む。
彼等が構える前に、ショートソードで右の兵士の首を刎ね、ダガーで左の兵士の目を兜の隙間から突き刺した。
二人の兵士がバタリと倒れる。
「間違いない、ラペルト伯の兵士だ。――と言う事は最低百人の敵がいるのか。これは退散だな……」
さすがに俺の<
何より、それだけの数を切り伏せるだけのスタミナがない。
ここは一旦ラペルト伯に報告し、援軍を要請するべきだろう。
「アリス、地上に戻る――」
「――やめてくれええええ!」
「ヴァルフレード達か!? あいつら、もう来ていたのか!」
よほど手柄が欲しかったに違いない。
今まさに、マイコニドに寄生されようとしているようだ。
「仕方ない……! アリス、行くぞ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます