第8話 アリス

「――うお!?」


 目が覚めてすぐ、俺は大きな声を上げる。

 隣に女が寝ており、じっと俺を見ているのだ。――しかも裸で。


「昨晩は一滴も飲んでなかったはずだぞ……?」


 というより、最近はまったく酒を飲んでいない。

 睡眠もばっちりで、実に健康的な生活を送っている。

 おかげで目の下のクマは消え、すっかり健康だった頃の顔に戻っていた。


 俺は深呼吸し、もう一度女を見る。

 薄い水色の美しい髪と瞳、桜色の艶やかな唇、細く高い鼻……。


「――アリス!?」


 アリスは全く無反応だ。

 俺はすぐに理解した。こいつはスライムだ。


「――そうか、ついに人間に擬態したか……」


 俺はアリスの髪を撫で、頬を触る。

 髪はサラッとしており、頬はしっとりプニプニだ。人間としか思えない。


「おっと――スライムと分かっていても照れてしまうな」


 俺はアリスの胸を見て、すぐに目を逸らした。

 かなり大きい。絵に描かれているものとは異なる。


「そうか、お前は大人になったアリスに擬態したのか……俺の為にやってくれたのか?」


 アリスはじっと俺の顔を見るだけで、何も反応を示さない。

 だが、言葉を理解できているのは確実だ。

 俺はベッドから起き上がると、洗い立てのシャツを一枚取った。


「アリス、起きろ。お前に服を着せてやる。さすがにその恰好でいられると、俺も色々と困るんだ」


 アリスに服を着せるのは中々に難しい。

 別に抵抗はしないのだが、本人は何をされているのか分かっていないので、まったく協力してくれない。袖に腕を通すのも一苦労だ。


「落ち着けレイ、こいつはスライムだ。変な気を起こしたら、人間失格だぞ……!」


 若干気恥ずかしさを憶えながら、前のボタンを留めていく。


 俺のシャツはアリスには大きすぎるようで、下半身もしっかり隠れている。

 とりあえず、今のところはこれでいいだろう。


「待っていろ、服を買ってくるからな」


 昨日12万ラーラを貰えたので、安物の服なら用意してやれる。

 俺はこの街の一番安い洋服屋で、何着かの服と下着を購入し家路につく。


「――アリス!?」


 アリスはシャツ一枚で、俺が住むボロアパートの前をうろうろと歩いていた。

 俺を見付けると、無表情でこちらへと歩いて来る。


「俺を探していたのか!? 鍵を開けられるんだな、お前は……!」


 これは困ったものである。

 変に器用になってしまったせいで、留守番をさせておく事ができなくなってしまったのだ。



 俺はアリスの手を引いて、急いで部屋へと戻る。

 そして買ってきた服を着せるわけだが……。


「下がどうなっているのか気になってしまう……。 だが人として、それは絶対超えてはならないラインだ……!」


 俺はアリスをベッドに座らせ、大事な部分を見ないようにパンツを履かせた。


「どうだアリス、俺はジェントルマンだろう?」


 ぼーっとどこかを見ているアリスに、安いというだけで購入した1,980ラーラの服を着せる。

 そして、着せ終わった後に俺は気付いた。


「ずいぶんと露出度の高い服だな……谷間がバッチリ見えてしまっている」


 絵に描かれているアリスの胸は平坦なので、この立派な胸はスライムの想像だ。だが妙な説得力がある。

 それだけ凄い想像力を持っているという事だろう。

 知能も当然高いはずだ。色々と教えていけば、面白い事になるかもしれない。

 まずは簡単なコミュニケーションを取りたいところだ。


「いいかアリス。イエスなら首を縦に振れ。ノーなら横だ。分かったか?」


 アリスは無表情でじっと俺を見ている。


「……駄目か。だが、続けていればできるようになるかもしれんな。これは楽しくなって来たぞ!」


 俺はひさしぶりに希望が湧くのを感じた。



     *     *     *



 俺は丸太をイカダに積みながら、アリスの様子を見る。

 留守番をさせる事ができなくなってしまったので、職場に連れてくるしかなかった。

 色んなものに興味を示し、フラフラと歩き回るので目が離せない。

 だが、俺が見えていないと不安なのか、遠くには絶対に行かないので、そこは助かっている。


 ちなみに、職場のみんなには妹と言ってある。

 さすがにスライムを、妻や彼女と呼ぶのは抵抗があったのだ。


「アリス、イモムシを食うな。食うとしてもせめて口から食ってくれ。お前がスライムだとバレると、色々と面倒なんだ」


 アリスは捕まえたイモムシを、露出した上乳から取り込んでいた。

 なぜよりによってそこなのか。その答えが分かる事は一生ないのだろう。


「お、やってるな……」


 森の奥から煙が上がっている。<雷撃イドラス>でトレントを駆除しているのだろう。

 聞く話によると、あっちの伐採所は稼働停止らしい。

 こっちは今のところ問題無いようだが、いつそうなるか分からない。

 せっかく良い仕事を見つけたのだ。どこのギルドかは知らないが、頑張ってもらいたい。



 それから一週間後、魔術師のパーティーが森の中へと入って行くのを見かけた。


「――ん? 彼等もトレントの駆除に来た魔術師ですか?」

「ああ。最初頼んだギルドがしくじったみたいでな。期限内に退治できなかったから、別ギルドに依頼したんだとよ」


「確かにトレントは、見つけるのが難しいですからね――」


 犬か<生命探知ポーウイ>を使わないと、発見するのは困難だ。

 両方使うのが理想だが、<生命探知ポーウイ>を習得している者が少ないため、大抵は犬を使用する。


 彼等は二日後、森から出てきた。全部で16体のトレントを倒したらしい。

 ナキルヤの森、全区域の伐採場が再稼働した。めでたし、めでたしである。



 それから二週間後、昼休憩の時間の事。


「――よしアリス、昼食にしよう」


 黄色いチョウを無表情で追い掛けていたアリスは、俺の声に反応しこちらへとやって来た。

 俺達は太い丸太の上に座り、パンの上に干し肉を乗せたものを食べる。


「だんだん食べ方がうまくなってきたな。溶解してるようには見えないぞ」


 アリスは特に反応せずに、モグモグとパンを食べている。

 相変わらず、イエスもノーも示す事はない。

 その事に不満はない。俺は今の状態でも十分楽しいのだ。



「最初のギルドメンバー、まだ帰ってこないみたいだな……」

「って事は全滅か……でも、ナンバーワンギルドなんだろ?」


 木こり達の声が聞こえてくる。

 最初派遣されたギルドは【高潔なる導き手】だったのか。

 とするとリーダーはヴァルフレードか?

 トレント退治には、雷魔術師が最も適している。

 ウロに見える口の上に脳があり、そこを<雷撃イドラス>で貫くと簡単に倒せるのだ。


「まさかとは思うが、エクレアなんて事はないよな……?」


 初心者はトレントを植物だと思い、火炎魔法を使ってしまう。

 だが、奴は昆虫だ。巨大なナナフシだと思ってもらえばいい。

 その外殻は炎に強く、火炎魔法は有効ではない。

 しかも燃やすと、特殊なフェロモンを放出し、仲間をおびき寄せてしまう。

 トレントに火炎魔法は絶対NGだ。


 こんな事、きちんと勉強していれば当然知っているはずなのだが……。


「……あの、すみません。最初来た魔術師達ってどんな奴でした?」

「えっと、金髪の生意気そうなお嬢ちゃんがリーダーで、とんでもないデブと、地味な男女二人だったな」


 間違いない……! エクレアとロビンソンだ……!

 二人とも火炎魔術師だ。……まさか四人全員が火炎魔術師か? だとすると最悪だ。


「すみません、そいつらは俺の知り合いなんです。既に死亡しているとは思いますが、今から捜索に行きます」

「危険過ぎる! やめとけ!」


「ご心配なく! 数日後には戻ってきます! ――行くぞ、アリス!」


 自宅に戻って、バックパックに十分すぎるほどの水と食料、そしてサバイバルグッズを詰め込む。

 そしてアリスと共に、エクレア達が踏み入れた場所から、森の奥へと入って行った。

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