第二章 焔の魔女エクレア
第5話 破滅への序曲
「わははは! 傑作! 実に傑作だ!」
ゲラシウスは上機嫌に笑う。
先程、街の門をくぐる際、大きな石材を運んでいるレイを見かけたのだ。
「まさか、ここまで落ちぶれているとはな!」
城壁補修は奴隷の仕事であり、まともな一般市民がやるものではない。
あの無能なグズは、並の仕事にすら就く事ができなかったのだろう。
まだ昼間だが、ワインを開けずにはいられない。――祝杯だ!
「うーむ、素晴らしい……」
極上の味に酔いしれていると、ドアがノックされた。
「むぅ……入りたまえ」
「――失礼します。月次決算書をお持ちしました」
部屋に入って来たグスターボから書類を受け取る。
前回きちんと指示を出しておいたから、利益は回復しているはずだ。
「さて、どうなったかな……?」
余裕の笑みを浮かべながら書類に目を向けたゲラシウスだが、次第に手がプルプルとし始めた。
「どういう事だ!!」
ゲラシウスは報告書を真っ二つに破り捨てた。
グスターボがビクリとする。
「利益がさらに減っているじゃないか!!」
グシャグシャに丸めた紙をグスターボに投げ付ける。
「も、申し訳ありません。MPの回復をマジックポーションから自然回復に切り替えた結果、一つの依頼をこなすのに数倍の時間がかかるようになり、収益が大幅にダウンしました」
「では、一つの依頼に対し、もっと少人数で当たらせるようにしろ! 必ず以前と同等以上の依頼数をこなせ! いいな!?」
「か、かしこまりました!」
グスターボは逃げるように出て行った。
――どいつもこいつも無能ばかりだ! せっかくのワインも台無しじゃないか!
再びドアがノックされる。うるさい奴等だ。
「何だ!?」
「林業ギルドから直接の依頼がありました。お通ししてもよろしいですか?」
この辺り一帯の林業を束ねる大組織からの依頼だ。これは期待が持てそうである。
「よろしい、通してくれたまえ」
ガチャリとドアが開く。
「――失礼します。林業ギルド、ギルド長のヤニック・イベールです。【高潔なる導き手】様に依頼を持ってまいりました」
「話を聞きましょう」
「ナキルヤの森に大量のトレントが発生し、業務に支障をきたしています。【高潔なる導き手】様には、これを退治していただきたいのです。――依頼書はこちらになります」
「ふむ……」
ゲラシウスは依頼書を眺める。
討伐対象…………トレント10匹以上?
報酬………………400万ラーラ
期日………………依頼受諾日より7日間
「トレント10匹に400万とは、相場より大分高額ですな……」
「はい、我々としては一刻も早く業務を再開したいので、依頼の優先順位を上げてもらえるよう、高い報酬額とさせていただきました」
ナキルヤの森の伐採所が全部ストップしてしまえば、一日当たりの損失は相当な金額だ。経営者として賢い判断といえよう。
「分かりました。お任せいただきたい」
「おお、ではよろしくお願いします!」
イベールは軽く頭を下げると、受付のメルルに導かれ退室した。
利益が落ちていたところに、ちょうど良い依頼が舞い込んだ。
どうやら俺は神に愛されているようだと、ゲラシウスは笑みがこぼれる。
トレントは木のモンスターだ。火炎魔法に弱いはず。
火炎魔術師チームを編成しよう。
「――メルル、エクレアを呼びたまえ」
* * *
「お世話になりました」
「おう! レイのおかげで、期日一週間前に工事を終わらせられたぜ! これ、少ないけど取っておいてくれ!」
「ありがとうございます!」
俺は特別ボーナス2万がプラスされ、合計12万ラーラが入った金貨袋を受け取った。
酒場で、「期日に間に合わねぇ!」と嘆いていた親方に雇ってもらって一か月。
十人がかりで運ぶ石材を一人で軽々担げる俺は、すぐに城壁補修業のエースとなった。
だが、それも今日で終わりだ。来週からは、丸太をイカダに詰め込む仕事をする。
「レイ。お前がいなかったら、休みなしで働かされるとこだった。ありがとな」
「お前が来てくれなかったら、全員過労死だったよ」
こんなに多くの人達から感謝されたのは、生まれて初めてかもしれない。
ここで働けて本当に良かったと思う。
「それにしても、城壁についてこんなに知識があるとは思わなかったな。初めてなんだろ? この仕事」
「ええ、まあ。――では失礼します!」
「おう、じゃあな! また工事があったらよろしくな!」
魔術師になる以前、必要に迫られて得た知識だ。
だがその頃の事はあまり思い出したくないので、さっさと話を終わらせた。
「――ただいま」
ドアを開けて部屋に入ると、俺の腹くらいまでありそうな大きなカエルが、二足歩行で歩いていた。
「今日はそれにしたのか……」
元同僚のノエミから貰った、カエルのぬいぐるみに擬態したのだ。
このスライムの擬態能力は非常に高く、これまでもタマネギ、靴、イスなどにも擬態している。
初めて擬態したのはタマネギで、オバケカボチャほどのタマネギが部屋の中を転がっているの見た時は、さすがに声を上げてしまった。
「おお、ふわふわしているな」
カエルの頭を撫でると、ぬいぐるみと全く同じ手触りがした。
ぬいぐるみには触れていないはずなのだが、何故か質感まで再現できている。
カエルは壁に掛けられた絵をじっと見ている。
「気になるか? それは俺が描いたんだ。中々のものだろう?」
カエルから反応は何もない。
最近俺は、こいつに積極的に話し掛けている。
スライムに言語が理解できるわけがないと思っていたが、「そろそろ飯にしよう」と言うと、活発に動き回るようになり、「さて寝るか」と言えば、自分から檻の中へ戻って行く時がある。
俺の言葉を分かっているとしか思えない。
「その子は俺の幼馴染でな。顔を忘れないうちに描いたんだ」
絵には薄い水色の髪を持つ、十代前半の可愛らしい少女が描かれている。
「先に言っておく。俺はロリコンではない。本当は彼女が大人になった姿を描こうとしたんだ。だが俺は想像力に乏しくてな。上手く描けなかった」
カエルはこちらをじっと見つめる。
「せめて絵の中だけでも、大人にしてあげたかったんだがな……」
カエルはしばらく俺の顔を見た後、再びアリスを描いた絵に目を向けた。
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