猫曲ができるまで・・・の小話

時しらず

猫曲ができるまで・・・の小話

 僕は神曲が嫌いであり好きである。


 初めてその内容を読んで得た感想は、醜く酷く悍ましいだった。まだ僕自身も高校に入ったばかりと幼かったが、それでも作品の根底に流れる思想に強い嫌悪感を抱いた。あの当時の衝撃は忘れることなく残っていて未だに拭えない。そして作品に対する評価は1文だけである。


 過去の思想や偉人が名を汚され、剽窃され、罪人とされる荒唐無稽な幻想物語


 言わずもがなではあるがウェルギリウスの事である。彼は人類史における偉大な文学者である。文学者という言い方は個人的には好きでないが、ラテン文学史おける各著の位置付けや時代の大きな背景(ローマ帝国化)そしてマエケナスのような不世出の文化保護者へ捧げた賛美等を目にするに文学者とするのもいいのかもしれない。ウェルギリウスについては詳しく語らずともラテン文学をかじった人なら知っているので良いのだが、僕個人としてはユピテル自然と大地の起こす困難に対して、ただ畏怖し尊敬をしていただけの人類を、その大いなる事象を以てして経験と思考により、技術を積み重ねて育つ場(機会)として、謳ったことが凄く大きな功績だと思っている。すべての困難は神の罰であり、あるがまま受け入れる世界から、罰ではなく試練として越えていくものだと謳った詩は正義の転換ともいえるのではないだろうか、神と自然から与えられるだけの消費する生を技と術を蓄え困難を越えて長らく繁栄する。


 一例すぎて伝えきれないがこのような偉人を捕まえて、我々の考える偉大なる人の誕生前に生まれたから高みに至るは許さんとし、偉大なるを自称する人間に集まるものに恭順すべく書かれた作者の代わりに、痛みを伴う言葉を語らせ、剽窃を行い、やがて語った言葉も奪った思想も罪だけ押し付けられて罪人として扱われる。


 まるで原始宗教の名を奪い、出自を奪い、栄光を騙り、すべて塗りつぶして、悪と名付けた。


 あの偉大なるを騙りし不義の子が教えとして説いているかのような物語。



 しかして、若い自分を以てして悍ましいとまで思わせた作品ではあるが、ある一点については好きである。それは遺漏なく剽窃を行おうとしたが故に、過去の偉人の知見が書に凝縮されているのである。要するに本書を読めば、ある程度の知は得られる。それが剽窃であろうともだ。それは、そこに知が本来備えてる、考える者を引き付ける魅力が見えているからだ。


 という具合に大嫌いで好きな作品であるからこそ、私小説のタイトルとして流用させていただき、作中で不遇であったウェルギリウスを異世界の物語の案内人として、正しく神に愛させ、猜疑心が強く頑なと言われた心をほぐしてあげて、神曲のように各作品からのオマージュ笑をしまくって、牧歌で謳ったアルカディアに住ませてみたいなと思ったりしたのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫曲ができるまで・・・の小話 時しらず @nakaudon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ