6 椿が欲しい言葉


 昼休み、弁当を食べ終えた俺は椿に呼び出されて屋上に来ていた。


 ベンチには椿が座っており、俺はその前で正座している。土下座する準備はバッチリだ。


 正直、夏の昼というクソ暑い日差しに高い湿度、加えて熱を帯びたフライパンかよとツッコミたくなるくらいにじりじりと俺の膝を焼きにきてる地面がマジで辛い。


「さて、その欲望を向けてくれるのは嬉しいですが、今はそれを我慢してください」

「えっと……何を仰っているのでしょう?」


 俺は誠心誠意謝ろうとしているだけなのだが、何やら誤解を受けている気がする。その中身を知るのが何故か怖い……が、聞いてしまった。

 

「バレてないとでも思いましたかぁ? 椿のパン――って、そうじゃなくって、早く隣に座ってください……!」

「はいっ……!」


 やけにニヤけた顔で何を言い出すのかと思ったその途中で、思い出したように声を荒げる椿。それに釣られるように指示通りに動く俺。

 

「では、本題に入りましょう。――――――おい、どうして椿には何の一言も無しに勝手にあんな勝負取り付けやがったんだオラッ」


 丁寧な口調かと思いきや、とんでもないスイッチの入り方で詰め寄ってくる椿。ネクタイを掴んでくるが、キレてる割には苦しくない程度で止めてくれている。


「ごめん、昨日は俺もあいつに相当煽られたから、ちょっと感情的になり過ぎてて目先の事しか考えられなかった。ダメだよな、感情論だけで勝てる保証だって無いのに勝手に椿まで巻き込むなんて。……本当にごめんなさい!」

「は? 何言ってんの?」


 今の俺がしなければならないこと。それは昨日の件で勝手に巻き込んでしまったことの謝罪。

 だから誠心誠意気持ちを込めて頭を下げたが、椿の反応はよろしくない。どこか、俺にもっと違う視点での謝罪を求めているかのようだ。


「勝てる保証って……負けるわけないって今朝良治に言い返してあげたでしょう?! それに、別に巻き込まれたの自体は怒ってなんかないわよ……むしろ巻き込まれたいし」

「え?」

「何よその、巻き込まれたいってやっぱMなの? みたいな顔は。そうよ正解よ、隼人くんにだけは普通にMよ」


 いや、じゃあ何で怒ってるんだろうって思っただけで、別にそんな顔したつもりはない。


 それに、日頃の俺への対応から考えてどちらかを選ぶとしたら、Mというより若干S寄りな気がするけど……。


「琴音ちゃんが脅されたのは聞いたけど、その場で早急に決めなくても多少時間の猶予くらいあるでしょう? ……椿にも、決める前に同じ一言が欲しかった。本当に、それだけで良かったのに」


 そうだ、椿の言うように多少なりとも考える猶予くらいはあったはずなのだ。琴音を守るにしても、本当にこのやり方で大丈夫なのか、見落としている点は無いのかと、冷静になって分析する必要があったのだ。

 でも、それをやらなかった俺は、獅堂徹の学力を勝手に甘く見て、余裕かまして勝負を取り付けてしまったのだ。

 だが椿の今の言葉を聞くに、当然それにも怒っているだろうが、さらに別の視点に椿の怒りの根源が存在している気がする。


 となると、恐らく『同じ一言』が鍵を握っている。

 それが何なのかまだ分からない俺は、椿の話を黙って聞くしかなかった。


「……昨日琴音ちゃんが電話で教えてくれるまで何も知らずに、ただ決まってただけ、その事実が今でもちょっぴり寂しくて」


 俺のネクタイを掴んでいた椿の右手が、するりとベンチに力無く落ちる。俺を見つめていた蒼い瞳も、行き場を失うように下に逸れる。

 

 俺が椿に電話すらしなかった理由。それは『元を辿ればあたしがあんたにつばきちの家に行くって自慢したのと、あのゴミに秘密を握られたのが原因だから、つばきちにはあたしから説明しておくわ。あんたはあたしを守る為の勉強に集中しなさい』と言われたからだった。

 俺も、椿が家で必死にテスト勉強しているのは知っていたし、邪魔したくはなかったからそれでいいと思っていた。

 なのに、現状はどうだ? 俺はもはやテスト勉強には到底集中などできない状況だし、それは多分椿も同じだ。


 別に琴音のせいだと言っているわけではなく、自分が何も動かなかったからこうなっているのだ。


 でも、今の椿の発言で察した。椿が俺に何を求めていたのか、を。


 自分には何も言ってくれず『ただ決まってただけ』。それで寂しくなったと言っているのだと思う。

 そしてそれは、琴音からの電話が起因しているはず。『同じ言葉』とは、すなわち俺が他の誰かに言ったはずの言葉。


 そしてそれは、今朝改めて誓った俺の決意そのもの。


 この推測で合っているのなら、俺も椿に少しくらいは意識してもらえてるのかな? と思えそうなものだが、確信してしまうのはまだ早い。


 早とちりは勘違いを引き起こす。俺は二度とやらかすわけにはいかない。

 

 だから、察したのはいいけどもっと多くの証拠が欲しい。そうして確信が得られたのなら――。

 

「そりゃあ、自分だって来た事ないのに、他の男が椿の家に行ってもいいのかよってムカついたのもあるけどさ」


 いいわけがない。確かに、今思えば昨日の俺の行動を考えればそう思われてもおかしくないが……でも、絶対にそれだけはない。しかも、それがよりにもよって獅堂とか、あり得ないから。


「まあ、他の男って言ってもお父様やお兄様とか、その他使用人の男とかは仕方ないから除くんだけど……あと、これまでにお姉様たちが連れてきたその時の彼氏とか、桜お姉様の旦那様とその息子のクソガキとか、他にも親の客人とか諸々は椿には不可抗力だし……」


 ク、クソガキ……? 悪い、何か色んな例並べてくれたけど、そこのインパクトが強すぎて。

 キレてる時にお嬢様らしからぬ暴言吐くのは知ってるけど、それでも『バカ』くらいが限度で『クソ』なんて汚い言葉を椿の口から聞くのは多分初めてだわ。


「まあそれは一旦置いといて、よく考えたら隼人くんと琴音ちゃんが負けるはずがないわけで。だったらあの獅堂とかいう人がうちに来る可能性はゼロだし、ならとりあえずよしとしようとは思えたんだけどね? ……けどやっぱり、これだけは……」


 椿は一度目線を上げて俺を見た後、またすぐに目線を下に落としてしまう。

 声が震え、ぷるぷると肩を震わせ、落下する雫がベンチを濡らす。


 実はさっきから俺の体は所々汗をかいている。こんな炎天下の中に居続けているのだから当然だ。

 でも分かっている、今落ちた雫が決して椿の汗などではない事は。


 またやってしまった。俺は何回この子をこんな風に泣かせれば気が済むんだ。こんなんじゃ、いつまで経っても振り向いてもらえるはずがない。


「椿だって言われたかった……! もうこんなの完全に嫉妬だけど……それでも、勝手にうちの屋敷を条件に入れたんだったら同じ言葉を掛けてくれてもいいのにって、何なら勝負取り付ける前に掛けてもらえてたら本当に嬉しかったのにって……!」


 そして椿は顔を上げ、感じた不満の全てをぶつけてくる。その蒼い瞳には涙が浮かんでいて、言い終わった後に椿は右手の人差し指でそれを拭った。


「分かってはいるよ……? 琴音ちゃんより遅かったから……自分が二番目なのは分かってるし、これに関してはそれでも別に良かった」

「――っ?!」


 二番目でも良かったって……それが友達として二番目って意味なのは分かるけど、でもそれって、それ以上にはならなくてもいいって思ってるってわけで……。


 違う……俺にとって椿は――だから、今のままの気持ちでいてほしくない。


「でもね、だからって椿だけ何も言ってもらえないのは嫌なの……! わがままだけど、これだけは絶対譲れないから……椿にも言ってよ……!」


 ああ、俺はなんてバカでアホでマヌケなんだ。

 早とちりは勘違いを引き起こすとか言って、それで多くの証拠を求めて何を論理的に分析してるんだ。


 今はそんな場合じゃないだろう……!

 今こそ、昨日みたいに感情的になる時だろう……?!

 言いたくないわけでもなんでもなくて、お前だってそうしたいんだろう……?!

 だったら、俺が思う、椿が求めてくれているであろう言葉を、そのまま思いを込めて伝える時だろうが……!


 だから――、


「俺にとって椿は二番目なんかじゃない」

「……………………え?」


 俺はまず、大前提を口にした。すると椿は数秒きょとんとした後、見る見るうちに顔を青ざめさせた。

 それ以下だ、とでも受け取られてしまったのかもしれない。でも違うから続ける。


「琴音も一番だけど、椿だって一番だから」

「あっ……」


 そこまで伝えると、青ざめていた椿の顔色が少し良くなった。

 何の一番なのかは流石にまだ言えない。だけど――、


「本当に本気で、椿が一番だ」

「あ、あうっ……」


 これは友達としてではなく、異性としてだ。

 もうこんなの、傍から見たら完全に告白かもしれない。伝えてる俺自身めちゃくちゃ緊張してるし。

 けど、椿はそうは捉えていないと思う。単純に、自分も友達として一番だと言われてると思っているはず。


 今はそれでいい。俺には絶対失敗は許されないのだから、本当の告白の機会は一度のみしかないのだ。


 でも、必ず――正真正銘本当の告白を。

 

「だから俺が、椿を守るよ」

「――っ!!」

 

 だって南条椿こそが、俺の一番の想い人だから。

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