5 人望高きお嬢様

 澄んだ蒼い瞳に吸い込まれるように見入ってしまう。時の流れが止まったかのように、何の音も耳に入らない。


「――あっ、風見隼人、椿お嬢様の周りをうろつくなと言ったばかりであろう……!」


 いや、単純に誰も声を発していなかっただけか。その証拠に、何としてでも時を動かしてやろうと気迫のこもった声が聞こえてしまった。


「何を言っているの? 基本的に椿が隼人くんの周りをうろつく側じゃない。というか、ここで何してるわけ?」

「そ、それは……」


 今の気迫は何処へやら、椿に言い返されると瀬波は尻込みしたように押し黙る。

 

 あのぉ……椿さん? 有難いんだけどさ、今の言い方だと、人によってはストーカーだと思われかねないんだけど……分かってる?

 ……いや、絶対分かってねえよな。やっぱバカだわ。


「それから、なんで勝手に勝負を取り消しに行ったのかしら? そんな指示を出した覚えは無いわ」


 どうやら瀬波の独断だったらしい。椿が瀬波に少しだけ睨みを利かせる。それを見てか、クラスの男子のテンションが上がる。

 マジギレモードに入ってるわけではなさそうだ。

 それでも、多少なりとも怒っている椿の姿を海櫻生はほとんど見たことがないはずで、それが新鮮だからこその盛り上がりなのだろう。


 自分も睨んでくださいってか? このドM集団が。


「で、ですが……奴は噂に違わぬ危険な男です。そんな輩との勝負に椿お嬢様が巻き込まれると分かれば、使用人としてこれは当然の行動です」

「その行動理念は否定しないけど、隼人くん関連の事についてはまず先に椿に確認してくれるかしら」

「しかし……」


 瀬波の行動は正しいものだと俺も思っているが、飼い主に無断となれば少しだけ話が変わってくる。

 そのくらいは理解してるのか、瀬波は口籠もり、続きの言葉が出てこない。


「まあ、あの獅堂とかいう人、確かに危険な匂いがプンプンしたわね」


 俯いてしまった瀬波のフォローか、椿が苦笑いを浮かべてそう言った。だが、すぐに何かを思い出したかのように目付きが鋭くなっていく。


 そして、今の椿の言葉を聞いた俺の胸の内はざわついている。


 まさかとは思うが……、


「全く、何で椿があんなのと接触しなきゃならなかったんだか……せっかく顔を知らないどころか名前すらうろ覚えだったのに……何もかも全部あなた達二人のせいよ……!」


 やはりか……! 嫌な予感が当たってしまった。


 椿は俺と瀬波を指差し、声を荒げ気味にそう言った。


 けど、どうしてだ……仮に二人が接点を持つ羽目になってしまったとして、昨日の俺の行動が原因となるんだったら、最速でもそれは獅堂が南条邸に行く時だったのに。


 いや、待てよ……? 今、椿は俺と瀬波のせいだと言った。

 何故だ……全責任は昨日獅堂に勝負を持ちかけた俺にあるはずなのに。

 自分にも非があると言われた瀬波は、言葉を失い呆然としている。ざまぁ、ではなくちょっと同情しそうだ。


「特にこの件に関しては良治……!」


 へ……? 俺より瀬波の方が責任重い感じ? なんかよく分からんが、すまんな瀬波……ちょっとラッキー。ただ、フォローされたかと思えばまた怒られて、ちょっと可哀想だけど。


「勝負を取り消しさえしなければ、椿があの危なそうな人の所に直々に啖呵切りに行く必要だって無かったのよ……?!」

「いや、ですからそれは……勝ち目の無い勝負であの男に南条邸の門を潜らせるわけにはいきませんし……というか椿お嬢様……あの男と接触なさったのですか……?!」


 いや、今更気付いたのかよ。さっき接触したって言ってたじゃねえか……で、マジでどうして獅堂の所に行ったんだ……。


 何にせよ、昨日の俺が冷静さを持ち合わせていさえすれば、今日のタイミングでの椿と獅堂の接触もあり得なかったわけで、やはり全責任は自分にある気がしてならない。

 先程はラッキーだなんて思ってしまったが、こうなってしまっては瀬波に対しても少し心苦しい。


「再度勝負を取り付けてきたわ」

「「――なっ?!」」

「当然、同じ条件でね」


 瀬波もそうみたいだが、俺も心底驚いている。何とかして違う条件を探さなければと思っていたのに、まさかの同条件。しかも、俺ではなく椿が勝負を持ちかけた形に変わっている。こんな展開、俺に予測できるはずがない。


「勝ち目の無い勝負……? 馬鹿言ってんじゃないわよ。さっき初めて獅堂って人を見たけど、随分と頭の悪そうな顔じゃない。そんなのに、隼人くんと琴音ちゃんが負けるわけがないでしょ」


 ああ、椿は知らないんだな、獅堂の学力を。琴音さん……昨日電話したなら、それも教えといてやれよ。


 そうは言っても既に手遅れ。俺も昨日まで獅堂がめちゃくちゃ頭が良いなんて知らなかったから、俺と同じ行動を取った椿を怒ったりはできないし。


 それより……この空気ではツッコめないが、椿から見た獅堂の顔面評価がちょっと面白い。


「何をニヤけてるのかしら? 人が真面目に話してるんだから、ちゃんと聞きなさい」

「……はい、申し訳ありませんでした」


 と、僅かに表情が緩んでしまっていたのか、椿に怒られ頭を下げる俺なのだった。

 見渡せば、うちのクラスの誰もが着席し、いつの間にか超真剣な顔で椿の話を聞いている。さっきまでテンション上がってた男子達でさえ、だ。


 俺自身もふざけてたわけではないが、なのにどうしてニヤけてしまったのか……その自覚は無かったから分からない。


「言っておくけど、椿は隼人くんにも怒ってるんだからね。昼休み、覚えておきなさい」

「……はい、分かりました」


 今回の件に関しては物凄く反省している。だから昼休み、誠心誠意謝らなくては。


「――というわけで、昨日私の大切な友達が脅されました。勝負に勝てばその脅しは無しになり、負ければうちの屋敷に招かなければなりません」


 俺が語りながら、教室前方に歩き始める。

 まるで椿が教室の中心かのように、全ての視線を一身に浴びながら、ゆっくりと。


「正直に言えば、うちの屋敷が条件に入ってたのは気に入らなかったのですが、だからと言ってこの勝負を取り消す理由にはならないのです」


 そして椿は、教卓の後ろに立った。瀬波はいつの間にか脇に避けている。


「何故なら、私にとって琴音ちゃんは大切な友達だからです。勝負を取り消して見捨てる真似なんてできません。それに何より、隼人くんに琴音ちゃん、二人を信じてますから――」


 そこまで言うと、椿は一度教室全体を見渡してから微笑した。ゆっくりと、でも何かを確かめ、それに納得がいったかのように、優しく。


「だからどうか皆さん、私と一緒に二人を応援していただけませんか?」


 その言葉に応えるように沸き起こる拍手、感嘆の声。一人として、顔を背ける者はいない。


 ――これが、海櫻学園の南条椿か。


 俺だって、そんなのはとうの昔から知っていた。


 誰もが認め、讃え、憧れる、人望高きお嬢様――。


 いつからか、自分が一番身近な存在だと思っていた。


 だから、忘れていた。


 俺とは比べものにならない程の時間を共有している人がいる。数多くの男子が好意を抱いている。


 その事実を、この二日で思い出した。


 俺が椿にとって一番身近な存在だなんて、ただの思い上がり――勘違いだ。


 あれだけ勘違いを避けようとしてきたくせに、再び繰り返していたんだ。


 その背中は果てしなく遠い場所にいる。

 今の俺では到底手が届かないその背中。

 その場所まで、俺より近い人がいる。横並びの人もいる。後ろから追ってくる人だっている。


 そのライバル全員に勝たなければならないのは、昨日のうちに理解している。


 魔法天使ライラちゃん――仏織姫歌さんはこう言っていた。『勘違いしたっていいんだよ。したらしたで、本当に相手を惚れさせちゃえば良いだけじゃない。そうすれば、勘違いじゃなかった事になるでしょ?』と。


 その言葉は救いで、勘違いしないに越したことはないからそれを避けようとしてきたが、したらしたでそれも仕方ないかなと思えるようにはなっている。


 でも、慢心、油断を引き起こす勘違いは話は別だ。それも今、理解した。


 だからこそ、ここで勘違いしていた事に気付けたのは幸いだ。

 気付かぬままだったら、自分が一番身近な存在だなんて自意識過剰になってる隙に、後ろからは抜かされ、俺より前に進んでいる人には突き放される運命だっただろう。


 俺にはスペックでは絶対勝てない相手がいる。


 だから俺は『心』を伝える。


 いつかきっと伝わる、だなんて悠長な事を言ってる暇はないらしい。そんな風にのらりくらりとしているうちに、先を行く者に持っていかれでもしたら何もかも終わりだ。


 他の誰かなんて絶対に嫌だ。

 何としてでも、先の未来で南条椿の横に立ちたい。

 南条椿にふさわしい男に、いち早くなるんだ――。


 有難いことに、その為の第一歩となる得るきっかけを与えてくれた。信じてくれている。


 だから、今回の勝負――この俺、風見隼人が必ず椿を守ってみせるから。



 

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