9 先輩からのお誘い

 テスト期間に入った本日五月十二日、月曜日。


 帰りのホームルームが終わり、今日からテスト勉強だ、最悪……といった沈んだ雰囲気だった教室内が打って変わって騒然としている。


 それもそのはず――海櫻学園において美少女ビッグ5と呼ばれる、とある人物が二年三組の教室に入ってきたのだから。


 ……何度目だよこの感じ。


 三回目なんだから良い加減耐性ぐらい付けろよな、男共。


 まぁ、流石に椿や琴音に関してはこの教室に来るのが当たり前って認識になったのか、もうこんな雰囲気になる事もないんだけど。


 それでも、その二人で慣れてるってわけじゃないらしいのがうちのクラスの男子達だ。


 一体誰に何の用なのか、俺以外の全ての男が期待を膨らませた表情をしている。


 ……さてと、帰ってお勉強お勉強っと。


 鞄を手に持ち席を立ち、早歩きで教室の後ろの出口に向か――、


「お、いたいた、童貞くーん!」


 ……良くも恥ずかしげもなく大勢の前でそんな発言ができるな。


 ま、構わず帰ろっと。


 クラスの奴らも、そんな抽象的な呼び方じゃ俺に言ってるって気付かないだろうし。


 そう思って廊下に出て階段を駆け下りる。


「ちょっとちょっと、待ってよ童貞くん! 早く家に帰っておかずを観ながら快感を得たいのは分かるんだけどさぁ、たまには禁欲した方が良いって! その方が快感も数倍に跳ね上がると思うよ?!」


 何だこの歩く18禁は……!


 知らないこんな人……決して知り合いなどではない……!


 ……なぁ椿? これが姉のスタンダードって、良く耐えられるな。

 俺なら、もし仮に美咲がこんなんだったら泣いてるわ。


 その後も、昇降口から校門まで背後から投げかけられる下ネタが永遠と続いた。


 いや、そこまでにとどまらず帰り道を歩いている今も尚、続いている……! マジで公衆の場だから勘弁してください……。


「ねぇねぇ、息子が椿に反応しちゃう――」

「――ちょっと待ったぁ!」


 どうしてその事を知っているのかと、聞き流すわけにはいかなかった。


「おぉ、やっと反応してくれたね」

「……今の、何の話です?」

「それがさぁ、椿が身体で息子を表す場所を知ってたら教えてくれって言うからさ、どうして知りたいのか聞いたわけよ。そしたらキミが椿に対して反応する場所らしいじゃん? だから、キミのエピソードも交えて教えてあげちゃった!」


 ……椿たん? え、俺に聞くのをやめてくれただけで、他の人に聞くつもりだったの?

 それで何でこの人に聞いちゃうかなぁ……。


 っていうか、教えてあげちゃったじゃねえよ……!

 何余計な事してくれてんだこのヘンタイ女!


「……ちなみに、そのエピソードとは何ですか?」

「キミが椿をおかずに妄想して息子をわっしょいってエピソードだよ!」

「やっぱテキトーに話作ってたんですね……だってそんなの言った覚えないし」


 この前椿が言ってた、この人から聞いたっていう俺の話はこの件だったのか……。


 ちなみに、一度だけそんな過去はある。口が裂けても絶対言わねーけどな。


「いやいや、傘に入れてあげた時に聞いたじゃん? そしたら否定しなかったじゃん?」


 うがあああっ! あの時そんな事も聞かれたような気がする。


 でも……、


「否定しなかったんじゃなくて、そんなしょうもない質問に答えてる余裕がなかっただけです……せ、先輩のおかげで色々と大変だったんですからね?!」

「それならこの前、椿にマジギレされた時に聞いたよ、否定したんだってね。そのまま認めちゃえば良かったのにぃ!」

「認めるかっ! そんな事実ありませんからね! しかも、認めたら色々終わるわ……」

「それが終わらないんだなぁ!」


 何言ってんだこの人。

 気まずさマックスで終焉に向かうに決まってんだろ。


「はぁ……とにかく、あの子に変な事言わないでください。んじゃ、帰りますんでさよなら」

「あぁ帰っちゃダメダメ。キミはこれから楓とレッツショッピング!」

「は? 嫌です、んじゃさいなら」

「……キミさぁ、椿を見つけたら連絡するようにって言ってあったのに、忘れてたよね? あーあ、楓はそのせいで無意味に街中を駆け回る羽目に……ホントはもう探さなくて良かったのに」

「うぐっ……」


 それを言われると何も言い返せねえ。

 おまけに、椿を探さなきゃならない原因を作ったのも俺。


 ……しょうがない、要求を飲むとしよう。


「……分かりました、良いでしょう」

「決まりだね。んじゃこっちこっち、童貞くん!」

「その呼び方マジでやめてもらえませんかね……」


 楓先輩に手招きされた方について行くと、近くに高級車が停まっていた。


「さ、乗って乗って」

「え、これに? 恐れ多すぎなんですけど」

「良いから良いから」

「は、はい……」


 緊張しつつも言われるがままに車に乗り込む。


「楓お嬢様、どちらへ向かえばよろしいでしょうか」


 運転席に座る男性が楓先輩に質問する。


「ななぽーと」


 と、楓先輩が指示する場所は大型ショッピングモール。


「かしこまりました」


 運転手の返事の後、すぐに車が動きだす。


「えっと、これって迎えの車じゃなくて? だったら南条さん達が帰れないと思うんですけど……」

「あれれぇ? 椿を名前で呼ぶようになったって朱音から聞いたんだけどぉ? 言い直しなさい」


 まだ意識して名前呼びしてる段階だから、本人がいない場所ではその意識も薄れてしまっていた。

 できる限り早く無意識にそう呼べるようになる為に、本人がいないところでもまずはしっかり意識しなくては。


「椿が帰れないと思うんですけど?」

「むふふっ、名前呼び……初々しくて良いね良いねぇ、お姉ちゃんそうゆうの大好きよ」


 ニヤニヤしながら見てくるけど、これは冷やかされているのだろうか。

 だとしたら気分的に名前呼びしにくくなってしまうからやめてほしい。


「……で、椿達の迎えは?」

「それなら問題ないよ。この車は楓が個人的に呼んだやつだから、心配しなくても椿達はいつも通りのやつで帰ってるはずだよ」

「わざわざ呼んだんすか……」

「だってななぽーとまで歩くのとか無理ゲーだし、バス乗るにしても混んでたらやってらんないし、だったら呼ぶしかないっしょ?」


 確かに、ななぽーとまで歩くのとか二時間くらいかかりそうだから俺も嫌だけど、こんなんで呼ばれる運転手の人も大変だなぁと思ってしまう。


 と、ここでスマホが震えた。

 椿から電話みたいだ。


「ん? 電話? 誰から?」

「あなたの妹からですよ」

「ほぇー。ふわぁーあ」


 楓先輩は気怠げに反応した後、眠そうにあくびをしている。


『あっ、隼人くん! 椿です。今どこにいますか? さっさ教室に伺ったのですが、いらっしゃらなかったので』

「あー、今? ななぽーとに向かう車の中だけど」

『そうでしたか……一緒にお勉強したかったのですが、お買い物の用事があるなら仕方ありませんね』


 はぁ……放課後に入るタイミングが合わなかったのが悔やまれる。

 椿のクラスのホームルームが楓先輩のクラスのホームルームより早く終わっていれば、椿と一緒にテスト勉強一択だったのに……。


「ごめんなぁ。何か楓先輩に捕まっちゃってさ……」

『……は? 今何つった?』


 椿の口調とトーンが急変した。


 機嫌が悪くなったの丸わかりなんだけど、え、何で……?


「か、楓先輩に半無理矢理ショッピングに連れてかれてるところでして……」

「人聞きが悪いなぁ。楓の荷物持ちをやれるのを光栄に思ってよねぇ」


 俺って荷物持ち要因として捕まえられたんかーい。

 まさか便利屋か何かと勘違いされてるのだろうか。


『……隼人くんを荷物持ち? バ楓、絶対滅ぼしてやる』

「お、おい……何物騒な事言ってんの? ちょっと落ち着いて?!」

『ななぽーとですよね? 待っててください隼人くん、必ず椿が助け出してあげますからね』

「えっ、助けるって別に困ってないんだけ――切れちゃった……」

「ふわぁーあ……で、椿何だって?」


 楓先輩はこれまたあくびをしつつそう聞いてくる。


「……ななぽーとに来るっぽいのですが」

「ふーん、そーなんだぁ。遭遇したらからかってやろーっと」


 なんて呑気なことを言っておられるけど、俺としては遭遇は避けたい。


 だって電話口の雰囲気から考えて、遭遇した瞬間に椿が楓先輩にブチギレる予感しかしないんだもん……。


 楓先輩がからかう気なら尚更だ。


 これから起こり得るかもしれない姉妹喧嘩? を想像すると、身が震えた。

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