24 勘違いなんか絶対にしない

 風呂から上がり、身体を拭いていると激しい足音が聞こえ始めた。明らかに近づいているその音――、


「――って、ちょちょちょっと待って! えっ?! 何でこっち来んの?! まだ何も着てないんだけど……?!」


 焦りすぎて自分でも何て言ったか分からないけど、これだけは伝わっていてほしい。


 こっち来んな、南条さんっ!


 そんな思いとは裏腹に、勢いよく扉がスライドされた。


「――ぎゃああぁっ!」

「お兄ちゃん、ななな何で南条椿先輩がうちにいんの……?!」

「……なんだ、美咲か。マジ焦ったわ」


 心の底からホッとした。

 仮に南条さんだったら、友達になった初日から友情にヒビが入るのは必至だっただろう。


 よかった……俺の一糸まとわぬ姿を南条さんに見られなくて。


「質問に答えてよ。あと、さっさとパンツ履いて」

「答えろって……南条さんに聞かなかったのか?」

「椿がどうかしましたか?」

「――はっ?!」


 南条さんの声が聞こえたと思ったら、美咲が一瞬で扉を閉めた。


 あっぶねぇ、今度こそ終わったかと思った……。


「隼人くんの悲鳴が聞こえた気がしたんですが、大丈夫ですか?」


 扉越しに南条さんからそう聞かれる。


「あぁ、うん……大丈夫だから気にしないで」

「ホッ……よかったぁ。ひやっとしましたよ」


 一番ひやっとしたのは間違いなく俺だけどな。


「あっ、今さっき妹さんが帰ってきたのですが、私を見るや逃げられてしまいました。もしかしたら椿が何か妹さんを怒らせる事をしてしまったかもしれませんし、そうだったら謝りたいので服を着終わったら呼んできていただけませんか?」

「分かった。呼んでくるからちょっとリビングで待ってて」

「はい」


 まぁ、ここにいるけどね。裸体の俺がここに妹を連れ込んだとか勘違いされたくないから、それは絶対言いません。


「だってよ、美咲。お前が逃げるから南条さん落ち込んでるかもじゃん……」

「いやいや、誰だって家にいるはずのない人がリビングに一人でいたりしたらとりあえず逃げるでしょ……そもそも、何で南条椿先輩を一人リビングに残してお風呂なんて入ってるわけ? 二人一緒にいてくれさえいれば逃げたりしてなかったんだけど?」


 ごもっともな言い分だ。俺も美咲の立場だったら確実に逃げていただろう。

 どうやって侵入したんだと、それだけじゃなく空き巣認定して通報案件だ。


「寝坊し、クソ焦らながらも学校に向かってた道中で傘が壊れ、そしてずぶ濡れに。でも何とか間に合って友達になれたわ。で、風邪引く前に風呂でも入ったらと南条さんに言われて」

「あぁ〜、そういえば帰ろうと思ったら学園中の男子が発狂しながらお兄ちゃんの悪口言ってたっけ。ふむふむ、成功したんだ、よかったじゃん。でも、全然間に合ってないから……どう考えても遅刻どころかサボったよね? 学校」


 そんな美咲の話を聞いているうちに服を着終わり、そのまま洗面脱衣室を出る。

 

「シカトかよ……お母さんに学校サボったのチクってやる」

「わざとサボったわけじゃねーし。起きたらもう間に合わない時間だっただけだし。つーわけで母さんには内緒な」


 そんな会話をしつつリビングに入ると、南条さんが美咲を見るやソファーから立ち上がった。


「あのっ、隼人くんの妹の美咲ちゃんよね? 私、南条椿と申します」

「――はははいっ! わ、私は風見美咲と申します……! 先程は逃げてしまい失礼しました……! ちょっとびっくりしちゃっただけなんです、どうかお許しを……!」


 何でお前はそんなに緊張してるんだと言いたくなったが、俺も初対面の時は同じだったなと言葉を飲み込み、食卓の椅子に腰をかける。


 というわけで、美咲は大袈裟にも土下座までして南条さんに謝った。


 それが正解だと思うぞ、葛西曰く怒ると怖いらしいからな。まぁ、別に全く怒ってないと思うけど……。


「えっ、ちょっと美咲ちゃん?! ダメよそんな簡単に土下座なんてしちゃ。椿は何も怒ってないから、ね? むしろ椿が何かしちゃったんじゃないかって……」

「滅相もありません! 椿先輩は何も悪くないであります!」


 尚も土下座をし続ける美咲に、南条さんも困ったのか苦笑いを浮かべている。


「あ、そういや南条さん、まだ迎え来ないの?」

「迎え? 来ませんよ、呼んでませんし」

「え……?」


 俺、確か南条さんに迎えを呼びなよって言った気がするんですが……。


「じゃあ、今から呼びなよ。じゃなきゃ帰れないわけだし」

「嫌です」


 俺の提案は無残にも一言できっぱりと断られた……。


「ど、どして……?」

「だって、せっかく迎えが来るまでいてもいいって許しをいただけたのに、呼んだら帰らなきゃいけなくなっちゃうじゃないですか……」


 俺が言いたかった意味とはちょっと違う意味で捉えられてしまっていたようで、言葉のすれ違いを実感させられる。


「家の人が心配してるのでは?」

「スマホが鳴ってませんから大丈夫です。電源オフにしてるからですけどね」

「――そりゃ鳴るわけないだろ! ……はぁ、分かったよ。別にいられても困んないし、気が済むまでいていいよ」


 まだ帰りたくないみたいだし、だからといって無理矢理帰らせようとも思わない。

 本日晴れて友達になったわけだし、これを機に親交を深めるのもいいだろう。


「気が済むまでとなると、今日はお泊まりさせていただく事になりますが……それは流石にまだ早いですよね……?」

「「――泊まりっ?!」」


 美咲が凄い驚いてるけど、俺はもっと驚いてる。

 一体何を言ってるんだろう、この子は……あっ、そういえばライラちゃんが言ってたぞ。友達同士でお泊まり会をしたりするって。


 まさか南条さんもそれを観て……でも早い、早すぎるから……!

 それ以前に俺達って……そもそも性別違うじゃん? 無理、絶対無理……。


「いやいや、それはちょっと……」

「……ですよねぇ」


 変な空気になってしまった。

 ともかく話題を変えたくて仕方がない。


「お、お兄ちゃん……! そういえばさっきお母さんから連絡があったよ。お父さんとディナーを食べてから帰ってくるってさ。だから最終の新幹線だって」


 そう思っていた時、美咲が絶妙なタイミングで話題を変えてくれた。


「となると、今日も昨日と同じく夜はファミレスだな」

「ファミレス?! 椿もご一緒しても良いですか?!」


 南条さんが目を輝かせて食いついてきた。


「いいけど、南条さんの口に合う保証はできないからね」


 お嬢様ともなれば日頃からとんでもなく美味なご馳走を食しているはずだからファミレスの料理が口に合うとは思えないが、それでもいいなら一緒に行くのは全然構わない。


「大丈夫ですっ! 土曜日に初めてハンバーガーショップに行った時は普通に美味しいと思いましたから、ファミレスだって同じはずです! ……あっ」

「……うん、そんなやっちまったみたいな顔しなくても大丈夫だよ。何となくそこにもいたんだろうなって思ってたから。というか南条さんが自分から言ってきたんじゃん?」

「ホッ……そうでしたね。その件も、気付いてくれててありがとうございます」

「お兄ちゃん、どういうこと?」


 美咲は南条さんが胸を撫で下ろすのを見た後、首を傾げつつ聞いてきた。


「あぁ、土曜に映画観た後ハンバーガー食ったんだけど、その店に南条さんもいたみたいなんだよ。それだけ」


 わざわざ、跡をつけられていたとまで言う必要はないだろう。


 それを知った美咲がどんな目で南条さんを見るか分からんし。だって客観的に考えたらただのストーカー行為だもん。


「そういえばあの日のハンバーガー屋、店内に危険人物っぽいのがいたんだけど南条さんは気付いてた?」

「うぐっ……さ、さぁ……? その人の顔は見なかったんですよね?」


 同じ時間に店内にいたはずだから気付いてると思ってたんだが、そうじゃなかったらしい。

 

「まあね、見るに見れなかったわ。だってさ、机ぶっ叩く音は聞こえるわ、その反動か何かで物が落ちる音は聞こえるわ、絶対そっち見たら因縁つけられるやつじゃん?」

「グサッ……」

「……へっ?」


 今、南条さんの口から何かが刺さったような効果音のみたいなものが聞こえた気が……、


「えっと、南条さん……?」


 恐る恐る声をかけてみるが、俯いたまま返事が返ってこない。

 このパターン、まさか……、


「……もしかして、南条さんだった?」


 いや、もう絶対そうだろって思ってるが、違うかもしれないという僅かな希望を信じて尋ねてみた。


「……そりゃ、そうですよね。あんな痛々しい音を出してたら危険だって思いますよね。机が揺れた反動で、飲み物の入った紙カップが倒れてそのまま床に落ちちゃって、中身の氷とかを散乱させてたら周りのお客さんにも迷惑ですよね。拾うの大変でした……隼人くんの言う通り、あの時の椿は危険人物そのものです……」


 ホントのホントに南条さんだったぁ……。


「……あの、一応ほんの少し抵抗させていただくと、机は叩いてません。気を失いかけておでこを机に打ってしまったのが数回あっただけです。……でも、ごめんなさい」


 いやいや、数回ってレベルじゃなかった気がしますけどぉ……。

 これ以上思い出させるのも可哀想だから聞かないけど……気を失いかけるって、あの時南条さんに何があったというんだ……。


「いや、それは別に俺に謝らなくても……」

「あの時隼人くんが椿を危険人物認定しているのは聞こえてきました。それって隼人くんにとって迷惑な人物だったって事ですよね? だから隼人くん、ごめんなさい……!」


 南条さんがそう言うのを聞いて、気付いた事が一つある。


 あの時、南条さんは跡をつけて色々と傷付いたと言っていた。

 それって、俺が危険人物認定したからではなかろうか……?


 というか、聞こえてしまっていたのかよ……。


「あのぉ……南条さん、俺の方こそ危険人物認定しちゃってごめんね」

「いえ、それはもう大丈夫ですよ。だって今はそう思われていませんよね?」

「もちろん思ってないよ。だって友達じゃん」

「ふふっ、そうですよね。私達は友達ですから、大丈夫です」


 南条さんは顔をほころばせてそう言った。


「……んん、コホンッ。それでは、椿先輩もファミレスに一緒に行くで決まりですね!」


 場の空気を変える為か、美咲は一度咳払いしてからそう言った。


「あっ、そうだ、ちゃんと連絡しておかないと。葵お姉様に伝えておこっと」


 南条さんは独り言を呟きながらスマホを取り出して電源を入れた。


「……お兄ちゃん、椿先輩の連絡先は聞いたの?」


 ふと美咲がそう耳打ちしてきた。


「いや、まだ……」


 連絡先を聞こうと意気込んでいた矢先にあの件が起こってしまったから、その重大ミッションは頭の中から抜け落ちていた。


「じゃあ、今がそのチャンスじゃん」

「分かってるよ、今聞くから」


 そう宣言して南条さんの方を向くと、何故かスマホを見つめて固まっていた。


 どうしたんだろうか? とは思ったけど、それを気にしてこのチャンスを逃すとズルズルいってしまう気がしてならない。


 ええいっ、度胸だ俺……! 


「南条さん!」

「――ひゃいっ?! ななな何でしょうか……?!」


 意を決して力強く呼んでみたのだけど、少々勢いをつけ過ぎてしまったみたいでびっくりさせてしまったっぽい。


 だが、ここまできてその勢いを殺すわけにはいかない。


「連絡先を教えてもらえないでしょうか?!」


 高鳴る鼓動を強引に無視して懇願すると、南条さんの口元が緩んだ。


「はいっ、椿にも隼人くんの連絡先を教えてください」

「じゃあちょっと待ってて。部屋からスマホ持ってくるから」


 そう告げて大慌てで自室に行き、スマホを手に取りリビングに舞い戻る。

 恐らく一分も掛からなかったと思うけど、我ながら心が舞い上がっているなぁと実感する。


 そういえば、今日は家を出た時にスマホを持つのを忘れてたのだが、あれだけずぶ濡れになったわけだからいつも通り持ってたら今頃壊れてしまってた可能性がある。


 そう思うと、忘れたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

 だって、壊れてたら南条さんと連絡先交換できないし。


「遅いですよ隼人くん、待ちくたびれてしまいましたよ。早く交換しましょう!」


 ……遅いとは。一分も待たせてないと思うんだけどな。


 俺の連絡先のQRコードを読み取ってもらうと、南条さんは背を向けて何やら肩を震わせ始めた。


「ふふっ、ふふふっ、遂に椿のスマホに隼人くんの連絡先が……! これでアピールが捗るわぁ」


 そして、ぶつぶつと何かを呟き始める。


「つ、椿先輩、どしたのかな……?」


 美咲が耳打ちしてくる。


「さぁ……? おーい、南条さん」

「――ひゃい?!」


 南条さんは背筋をピンッと伸ばした後、顔を真っ赤にしてこちらに向き直した。


「……えっと、メールでもメッセージでもいいから南条さんの連絡先を送っていただきたいのですが……」

「あわわわっ……! ごめんなさい、嬉しくてつい自分の世界に入っちゃってました……! 今、送りますので」


 俺の連絡先を手に入れただけでこんな喜んでる女の子なんて初めて見たんだが……まさか実は俺の事が好きなのか?!


 ……なんて、また自分を追い込むだけの思い込みはやめておこう。

 どうせ勘違いで、はいざんねーんってなるパターンに決まってるんだし。


 二度も同系統の勘違いで爆死した過去を持っていれば、流石の俺でも学習する。


 南条家の番犬である瀬波は置いといて……全スペック普通君の俺が、海櫻学園のその他男子の誰も成しえていない事をやってのけたのだ。


 南条椿と友達になる、それだけじゃなく星名琴音とも友達になった。


 そんなスペシャルなイベントが俺だけに発生したのだ。


 そう、間違いなく人生は変わり始めたんだから、今はそれだけで充分。


 再び勘違いなんかして振り出しに戻る……いや、地獄行きだけはもう御免だ。


 だから金輪際、俺は勘違いなんか絶対にしない。


 そう心に決めて南条さんを見ると、美咲とも連絡先を交換している。


 自分のスマホを見ると、南条さんからメッセージが届いていた。


 これだけでも、明日以降の学園生活が少し楽しみになってくる。


 だって、本当の意味で友達と呼べる存在が二人もできた気がするから――。

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