22 プレミア品
「――あっ、隼人くん、もしかしなくてもお寒いですよね……?」
「まぁ、ちょっと寒いかも……」
察した、これは風邪の前兆だ。
多分大丈夫だと思うが、もしかしたら既に風邪を引いているかもしれない。
よくよく考えてみれば、傘が壊れた俺は雨の中ずぶ濡れになりながらここまで来たのだから、そうなっても全然おかしな話ではない。
「……お家まで送らせてください。車ならすぐ着くと思いますので」
「え、そこまでしてもらわなくても――」
「いいから来てください」
南条さんに腕を掴まれ、ゆっくりと校門まで足を運ぶ。
次の瞬間、南条さん家の高級車が目の前を通過し、そのままスピードを緩める事なく進んでいき、やがて見えなくなってしまった。
……え、何で南条さんを置いてどっか行っちゃうの?
「――あれっ?! どうして行っちゃうのよ……?! あわわわっ……ちょっと確認しますね……」
そう言って南条さんは慌ただしく誰かに電話をかけた。
「ちょっと、何で置いていくのよ?! 隼人くんを早くお家に送ってあげなきゃだから、早く戻って――え、何? 楓お姉様が椿は置いてくって言ったの?! 何を勝手な……あっ、ちょっと……!」
電話が切れてしまったのか、南条さんは呆然とスマホを見つめた後、申し訳なさそうな顔を俺に向けてきた。
「……切られてしまいました」
「まぁ、俺なら歩いて帰れるから大丈夫だよ」
まだ体調が悪いというわけではないし、車で送ってもらうにしても車内を濡らしてしまっていただろうから、むしろそうならなくてよかったとさえ思っている。
とはいえ、このままびしょ濡れのブレザーを着ていたらいずれは体調が悪くなると思うから、目的も果たせたわけだし今日のところはこの辺りで帰らせてもらおう。
「じゃあ南条さん、また明日」
「ちょ、ちょっと待って! 椿が送っていきますから……!」
家に向かって歩き出そうとした瞬間、南条さんに腕を掴まれ、ブレザーに吸われていた水がポタポタと地面に落ちた。
「まさか、うちに?」
「そうです」
「大丈夫、一人で帰れるから」
「もっと椿を頼ってください。私達、友達ですよ?!」
南条さんは力強い眼力でそのように訴えかけてきた後、切なげな眼差しを向けてきた。
「それに椿も、その……ここで一人残されるのは寂しいといいますか……」
確かに、言われてみれば南条さんも俺が帰ったらもう一度迎えが来るまでこの場に一人でいなければならない。
そういえば、つい先日トイレ内で獅堂及びその舎弟に絡まれたのだった。
奴らに南条さんが一人でいるのを発見され、絡みでもされたらよくない事も起こりかねない。
何より、南条さんの言う通り俺達は友達なのだ。頼れと言ってくれるなら、ここは遠慮なくそうさせてもらおう。
もし帰り道で体調が悪くなって倒れでもしたら、一人だったら困るしな。その点、南条さんがいてくれれば安心だ。
「じゃあ、うちまで付き添い頼んでもいいかな?」
「はいっ、もちろんです! あっ、でもその前に――」
南条さんは鞄を漁り、タオルを取り出した。
「――えっ?!」
南条さんの手が俺の方に伸びてきたと思ったら、視界が一瞬タオルで遮断された。
「髪くらいは拭いておくべきだと思ったので」
「そうじゃなくて……! これは一体……」
どうして俺は今、南条さんに髪を拭いてもらっているのか、子供じゃないから自分で拭けるんだけど……。
だがしかし、普段風呂上がりに自分で拭くのよりも遥かに心地いい。
「これですか? 今日は体育があったので、汗を拭く為に持ってきてたんです」
「なっ……?!」
「あぁ……ちょっと、じっとしててくださいよ」
俺が言いたかったのは、何故南条さんが俺の髪を拭いているのかって事だったのだが……そんなのはどうでもよくなるほど衝撃的な発言が南条さんの口から飛び出してきて、思わず仰け反ってしまった。
南条さんの汗が染み込んだタオル。
そんな誰もが羨むプレミア品で俺の髪なんて拭いていいはずがない。
そう思ったところで南条さんは今も尚俺の髪を拭いてくれているから、既に遅いけどね。
役得というやつですな。南条さんの汗が染み込んだタオル、いい匂いっ……!
それに、俺の髪と南条さんの汗が混ざり合ってムフフッ……!
そんな変態的思考が加速して頭がボーッとしてきてしまう。ついに発熱したかもしれん。
「これでよしっと。……ん? あなた達、椿の愛――お友達である隼人くんを睨まないでくれるかしら?」
俺の髪を拭き終わった南条さんが、周囲の男子生徒達に少しばかり睨みを利かせた。
何故か、ほんの一瞬言葉に詰まってたけど。
南条さんが怒るという、普通の海櫻生では見た事も無いであろう姿にほとんどの男子生徒は目を逸らしたが、それでも少数の男子生徒は未だに俺に怒り狂った視線を向けている。
勝手な俺の予想だが、怒られて喜んでいる輩もいるだろう。
うん、確実にいるわ。だって、目を逸らした奴らほとんどニヤけてるし。
こういう奴らの事をMって言うんだよ。葛西よ、分かったか?
「えーと、南条さん。俺は全く気にしてないから」
「ですが……」
「何ならもっと睨んで来いや、とか思ってたりするくらいには気にしてないから、本当に」
「流石隼人くん、心が強いんですねっ!」
何か違う方向性で納得されたような気がするけど、褒めてくれてるみたいだし、まあいいか。
実際は、俺という男の心は強くなんてないんですがね。
明日以降は嘲笑される心配もなさそうでマジでホッとしてるよ。
「あっ、着替えます? 隼人くんにはちょっと小さすぎかもしれませんが椿の体操着使っていいですよ?」
「いや、普通に色々まずいから使いません……とりあえず上着だけ脱いどく事にするよ」
一体この子は何を言っているのかな……?
多分、単純に善意で言ってるだけだと思うけど、仮にそれを借りて着たらそれこそ興奮によって発熱確定だし、おまけにぶよぶよにして返す羽目になりかねないからお断りです。
「そうですか……あっ、そのブレザー椿がお持ちしますよ」
「あ、うん……じゃあお願い」
右手に壊れた傘があるだけで他に何もないから自分で持てるのだが、何か凄い渡してほしそうに見てくるから任せる事にした。
ブレザー、凄い濡れてるけど……。
「じゃあ、行きましょうか」
ようやく、家に向かって歩き始める。
寒さで体がガチガチだし、びしょ濡れで気持ち悪いしで普段のペースで歩こうとすると違和感しかない。
だから遅めに歩いているのだが、南条さんも俺のペースに合わせて横に並んでくれている。
その気遣いが、嬉しかった――。
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