19 心の天気予報

□□□



「はぁ……」


 ガーデンテーブルに座りながら、紅茶の入ったカップをボーッと眺めていると無意識にため息が出てしまう。


 綺麗に咲く花々に囲まれているにも関わらず、気分はまるで上がってこないのだから不思議……いいえ、それもそのはず。


 週明けからはちゃんと隼人くんと向き合うと決めていたのに、それが全くできていない自分がもどかしい。


 土曜日、見てしまったから……海櫻学園で男子人気が物凄く高いと評判の星名琴音さんと一緒にいるところを。


 私自身、学園内で自分が何と呼ばれているのかは理解している。

 そのおかげと言っては自意識過剰かもしれないけど、自分の容姿には少なからず自信だってあった。


 けど、そんな自信も隼人くんは星名さんの方が好みかもしれないと思うと薄れていった。

 勝手に跡をつけたくせに楽しそうに遊んでいるところを見ては羨ましく思った。


 それでも、このままじゃ終われない。

 そう思っていた矢先にゲームセンターの近くの物陰に隼人くんが隠れているのが目に入って、咄嗟に一つだけどうしても伝えたかった気持ちを声に出した。


 あの時の私にとってはそれが限界で、それでもどこか少しだけ心が晴れたのに――どうして今、私の心は見渡す限り曇り空なのか。


 今日の曇り空も相まって、二重で気分が沈んでいく。


 昨日は朝からソワソワしていた。


 隼人くんが学校に来てくれる。

 その事実が嬉しくて今か今かとその時を下駄箱付近で待っていた。


 喜ばしい事に、その瞬間は来てくれた――なのに、同時に私の心は再び陰りで侵食され始めてしまったなんて、隼人くんへの申し訳なさが尋常ではない。


 土曜日のみならず、昨日も隼人くんの隣にいたのは星名さん。


 一緒に登校してきたのかな? とか、星名さんのおかげで隼人くんは元気になったのかな? とか、そんな事ばかりが頭を過ってしまった。


 隼人くんが星名さんのおかげで元気になったのなら、私は星名さんに感謝しなければいけない。

 そんな事は分かってる、分かってるし感謝だってしている。


 それなのに、どうしても辛くなってしまう。


 本当は自分だって一緒にいたいのに、本当は自分が隼人くんの心の傷を癒さなきゃいけなかったのに、私にはそれが出来なかった。


 例え星名さんが隼人くんに恋愛感情を抱いていなかったとしても、絶対に隼人くんの気持ちは南条椿なんかよりも星名琴音さんに向いている。


 それは完敗以外の意味を私に教えてくれない現実で、考えれば考える程に南条椿という女が嫌になってしまう。


 自分自身を守れなくて、守ってもらった。

 それなのに傷付け、その傷を癒してあげる事も出来ない。


 一番辛いのは私じゃなくてならぬ隼人くんなのに、どうしても辛い、苦しいと思ってしまう。


 そんな愚か者が南条椿――この私だ。


「どうされました? そんな辛気臭いお顔をなされて、まるで今日の天気そのものですよ」


 いつの間にいたのか、屋敷の清掃をしていたはずの朱音が声をかけてきた。


「……何でもない」


 紅茶に口を付け、誤魔化すように目を逸らす。


「知ってます? 明日の天気は一日中、雨だそうですよ」

「へぇ、そうなの……」


 一体何の話なのだろうか、とても意味のある話だとは思えなかった。

 何なら、明日が雨なら椿の心もいよいよ雨になると、そんな予感がしてしまうくらいには意味がある話だとは思いたくないくらいだ。


「ですが、明日の夕方にはきっと晴れます。天はきっと見てくれているはずですから」


 いつぶりに見ただろうか、もう四年くらい経ってしまった気がする。

 今の朱音は心の底から微笑んでいる、そんな風に私の目には映った。


 それなのに朱音の言う、天が見ている対象が何を指しているのか分からない。


 だって、天が見ているのが私なのだとしたら、絶対に晴れるわけがないから――。




□□□



 面と向かって友達申請、実際そんな事をする人って少数派――普通は自然に友達になっているというパターンの方が圧倒的多数派なのではないかと俺は思う。


 だが、今の俺と南条さんの状況を鑑みるにそれは避けては通れない道。


「南条椿さんっ! これからおおお俺と――」

「何やってんの?」

「――ひゃいっ?!」


 大一番を明日に控えた昭和の日の夜。

 自室にて予行練習をしている最中に、いつの間にか勝手に部屋に入ってきていた美咲にいきなり声をかけられ心臓が止まりかけた。


「べ、別に……で、何の用?」

「声がうるさい、大声出し過ぎ。夜なんだから近所迷惑考えて」

「それは悪かったな……気を付けますよ」


 気付かないうちに大声を出してしまっていたらしい。

 美咲の言う通りだから次からはちゃんと声の大きさをコントロールしなければ。


「で、何でそんなソワソワしてんの? 南条椿先輩に告白でもするつもり? やめときなよー、どうせフラれるんだし、今よりもっと笑い者になっちゃうよ?」


 美咲の発言は間違いなく正しいと思うが、現実にはならない。

 何故なら、告白するわけじゃないからフラれるも何もないのだから。


 仮に、友達になってくれと頼んで断られる事もフラれると言うならば、それも絶対にない。これはほぼ確信している。


「ちげーよ。友達になってくれって頼むだけだわ」

「……それだけで何でこんな練習してんの。しかも、めっちゃ緊張してるし」


 生まれてこの方、誰かに友達になってくれと頼んだ過去なんて無いのだから緊張くらい普通にする。


 それも南条さんが相手なんだから余計に、心臓が破裂しそうなくらいには。


 だからこそ、本番で失敗しない為に練習が必要なのだ。


「俺は友達少ない上に、特別仲の良い友達もいないんだぞ? そんな奴が友達申請しようってんだから、そりゃ予行練習くらいするだろ」

「あれ、琴音先輩は?」

「間違えた。特別仲の良い友達なんて琴音くらいしかいない――」

「そこから言い直さなくていいから。あっ、今の琴音先輩に報告しとこ」


 そう言って美咲はスマホを操作し始めた。


「え、まさか連絡先交換したの?」

「うん、昨日の昼休みに一緒にお弁当食べた時に」

「マジか、俺だけハブ――って、やめろや……! 余計な誤解を招くだろが!」

「もう送っちゃった、ほら」


 と、美咲はスマホの画面を見せてきた。


 そこには琴音からの返信――って、早っ!


 どんな時でもスマホを眺めてるの? と聞きたくなってしまうくらい早い返信……。


「えっと、何々……ってこれ、俺へのエールじゃん」

「まぁ、私が琴音先輩に送ったのは、お兄ちゃんが南条椿先輩に友達申請するみたいって内容だからね」

「いちいち紛らわしいタイミングで送ったもんだな、お前。てっきり特別仲の良い友達なんていないって発言を伝えられたのかと――」


 と、ここでベッドの上のスマホが震えた。

 開いて確認すると琴音からメッセージが入っていた。


〈お嬢様もきっと喜ぶわ! ファイト!〉


 こんな激励とともに、ライラちゃんのスタンプが付いてきた。


〈サンキュー。頑張ります!〉

〈あ、私明日は休むから実行は木曜日にしてね〉


 まさかの欠席予告に唖然としてしまう。


〈実行は明日です。てか何? 体調でも悪いん?〉

〈全然、すこぶる快調だけど? それより明日って、仮に断られたら誰も慰めてくれないわよ?〉


 もしかしてその場合は慰めてくれるつもりだったのだろうか、そうだったら更に印象アップですよ。


 ……じゃなくて、体調に問題ないなら完全に明日は仮病使う気やんけぇ……。


〈そん時は美咲に泣きつくから〉


 そのようにメッセージを送信して美咲の顔を見る。


「……何? 私の顔に何か付いてる?」

「いいや、何にも付いてねーよ」


 俺がそう答えると美咲はジトッと俺を見て首を傾げた。


〈あんたって本当にシスコンよね! まぁ、それなら安心ね! てことで、私はこれからちょっと集中してやらなきゃなんないことがあるので、バーイ〉


 何やら要らぬ誤解をされてしまった気もするが、それは後日解消するとしよう。


「さてと……んじゃ美咲、お兄ちゃんはまだ予行練習するから、良い子はそろそろおねんねしなさい」

「まだ七時過ぎだわ、バカか。それにまだご飯だって食べてないし。ほら、行くよファミレス」

「あれ、でも母さんまだ帰って来てなくね?」

「今日は彼氏のとこ泊まるってさ」

「――ぶほっ!」


 美咲の意味深な言い回しに、衝撃波のようなものに腹を撃たれた感覚を覚えてしまった。


「うっわ……唾飛んできたんだけど」

「お前が紛らわしい言い方するからだろうが……ちゃんと父親と言え、父親と……!」


 母さんは昨夜、単身赴任中の父親の元に行ったのだ。

 俺達も行くかと聞かれたが、どうせ父さんもゴールデンウィークに帰ってくるだろうしわざわざ行くのも面倒だから断った。

 母さんは今日の夜帰ってくるって言ってたが、どうやら今夜も父親の元に泊まるらしい。


「いやいや、今日は子供の私達もいないわけだし、だったら付き合いたてのカップルみたいに熱々の夜を送ってもおかしくないじゃん?」

「ま、まぁ良いんじゃないですかね……? 熟年カップルも増えていると言いますし」

「もしかしたら弟か妹が出来たりしてね。何なら私達、捨てられたりしてね」


 どこの世に新しい命が誕生した途端、既に存在する命を捨てる親がいるというのだ……と言いたくなるものの、ごく僅かに実際世の中にはそんな親もいるから恐ろしい。


 勿論、そんな事したくなくてもそうせざるを得ない親もいるのは理解しているが、うちの家庭はそんな極限まで追い込まれたりしていない、はず……。


「……前者はともかく、後者はあり得ねーから。ほれ、くだらねぇ事言ってないで早く行くぞ」

「まぁ、そりゃそうだよね」


 美咲はそう言って先に部屋を出た。


 その後を追って外に出ると、丁度小雨が降り始めた。


「あちゃー、雨だね……お兄ちゃん傘持ってきて」

「はいはい……」


 雨か……天気予報では明日も雨らしい。


 どうにか晴れてくれないものかと思うが、百パーセント雨みたいだから止んでくれたりはしないだろう。


 それでも、自分の心は快晴になると信じて――。


 南条さんの心もきっと快晴になると信じて――雨降る真っ暗な空を見上げた。

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