17 逃走失敗
とりあえず昼休みを無事に迎える事ができた。それに関しては大分ホッとしている。
移動教室等に関しては視線はきつめだが、それ以外は比較的過ごしやすい教室内に閉じこもっていたわけで、精神面では特に崩れずにここまで乗り切れた。
でもそれは、あくまでも精神面に限っては、の話。
そして今も尚、中身が空になった弁当箱を仕舞い、必死にあるものを我慢している最中だ。
「ん? どうした風見? そんなに
そんな俺の様子が気になったのか、和田が首を傾げて聞いてきた。
「――あぁ……もう無理……!」
これ以上の我慢は不可能と判断し、大慌てで教室を飛び出す。向かう先はただ一つ、必死に体を走らせる。
ただでさえ俺という存在は今や注目の的であるのに、それに加え廊下を全力疾走。より一層の視線が俺に集中している。でもそんなの気にしていられない。
「――あっ、風見隼人、廊下を走るな……!」
南条さん及びその番犬達とすれ違った。奇跡的に瀬波がまともな指摘をしてきたのが聞こえた気がする。
その指摘を聞くべきだし、それに今の俺には南条さんに伝えたい事があるのは事実。
だけど、今だけは立ち止まるわけにはいかないのだ。
見えた! 遂に、この苦しみから解放される……!
目的地に辿り着き、ズボンのチャックを下ろし――はぁ~、マジで漏らすとこだった。すっきりっ!
「よぉ、風見隼人」
「ん? ……誰?」
用を足して満足していたところに、トイレ内にイケメンが入ってきて話しかけてきた。その傍らに子分みたいなのを二人連れている。
「テメェ、獅堂さんになんて口の聞き方してんだコラッ!」
子分一号くんが俺に対して声を荒げた。
獅堂……あっ、思い出した。本名は確か、
美少女ビッグ5と同様に存在する、美男子ビッグ5の一人だ。しかもこの人、男子からの評判は大してよくなかったはずだ。
家は金持ちで学力も高く、運動神経も抜群。そして……ヤリチンッ!
最後の理由だけで男子からはあまり快く思われていない存在、それが彼だ。完全に男の嫉妬である。
ちなみに貞操観念がまともな女子も彼には近寄らないと噂に聞くが、それが薄い女子は抱かれて大満足らしい。羨ましい奴め。
「俺に何か用でも?」
「テメェ、オレの獲物に手を出そうとしやがったよな?」
「はて? 何の事でしょうか?」
「――惚けてんじゃねぇぞ! 獅堂さんがテメェにどんだけお怒りか理解してんのか?!」
おっほ……子分二号くんが急に怒鳴るからマジでびっくりしちゃった。
「いえ、全く身に覚えが無いんで。何故お怒りなんでしょうか?」
「テメェ、あれだけ騒がせといて惚けやがんのか?」
「……まさか南条さんか?」
ここまで言われれば流石に気付く。
とはいえ、あれは手を出したというべきなのか?
俺は手を出したつもりではなくそもそも本物の彼女だと思い込んでいたわけだが、客観的に見たら違うのかもしれない。
「それだけじゃねぇ、星名琴音もだ」
「はぁ? え、何? まさか二股……?」
両者とも美少女ビッグ5なのだから好意を抱くのも無理はないとは思うが、相手に失礼だからちゃんと一人に絞ってほしいものだ。
「んなわけねぇだろ、バカかテメェ。いいか、南条椿も星名琴音もこのオレが喰う。金輪際チョロチョロ邪魔すんじゃねぇぞ。……つっても、テメェは南条椿に相手にされなかったらしいがな」
獅堂がそこまで言うと舎弟二名もゲラゲラと笑い出す。
あぁ、なるほど……俺の思い違いだったみたいだ。
二股どうこう以前にただのヤリチンだったっけ、こいつ。
「おい、獅堂。お前じゃその二人は無理だ。絶対にな」
そう思いたいだけの願いみたいなものだから、根拠なんて何もない。
でもやっぱり、どうしてかこいつにだけは何が何でもあの二人を渡したくないと思ってしまった。
「あ? おいお前ら、こいつの口黙らせとけ」
獅堂がそう言うと、舎弟二人が俺に向かって近づいてくる。
あっ……ここ、トイレじゃん。アニメとか漫画で見るやつじゃん。このパターンはトイレ内でのリンチだわ……どしよ。
「風見隼人、見つけたぞ! さっきはよくも逃げてくれたな……!」
「――あっ……って、逃げたとは。よく分かんねーけどナイスタイミングだぞ、狂犬! お前も俺と一緒に戦えや」
「戦う……? 何をわけの分からない事を言っている。それより、今回こそは逃さんぞ」
お前こそ、自分が意味不明な発言をしている事にいつになったら気付くの? もしかして、俺と鬼ごっこでもしてるつもり?
だったら最初からそう言ってくれや、それくらいなら付き合ってやるからよ。
「良いから空気読めや……俺、今ここで集団リンチされそう。アーユーオーケー?」
「ふむ……それは見過ごせんな。それで、一体どういった経緯でそんな展開になりそうなのだ?」
おっと、珍しく聞く耳を持ってくれた。ガチで感動ものである。
「何か急にこのイケメン君に絡まれてさ……何かと思えば、南条椿と星名琴音は俺が喰うから金輪際邪魔するなとか言い出してよ……」
「――何?! それは本当か?」
「嘘言ってどうすんだよ」
「なるほど……風見隼人、情報提供感謝する。――おい、獅堂徹! 自分があのお二人に相手にされないからと言って、多少なりとも相手にされた風見隼人に暴行を加えようとするのはみっともないぞ……! どうしてもやるというのなら、僕も相手になってやろう」
俺に向けられていた狂犬の牙が獅堂達に矛先を変えた。圧倒的正義の味方感に異様な安心感を覚えてしまう。
流石は獅堂と並ぶ美男子ビッグ5の一人だな。
とはいえ、流石の俺でも瀬波と獅堂を同列に並べたりはしない。イケメン度は瀬波の方が上という事にしておこう。
きゃー、カッコいい!
さて、一人では流石に分が悪過ぎだったけど、瀬波が味方についた事だし、俺も獅堂が南条さんと琴音に手を出そうとしてるのは気に食わないから、本当にやる気なら戦ってやろうではないか。
勿論、停学にならない程度に……どの程度で停学か知らんけど。
「チッ……めんどくせぇ。行くぞ、お前ら」
えぇ……何か勝手に不戦敗を選んでくれた。
獅堂は気怠げにそう吐き捨てると、舎弟を連れてトイレを出ていく。
俺的には戦わずして難が去ってくれてホッとしたし、瀬波も奴らを追おうとはしない。
まぁ、無意味な争いは避けるべきだよな。
……俺と瀬波も。
「ふぅ……危なかった。マジ助かったぞ、サンキュー。じゃ、またな」
それだけ告げてトイレから出ようとしたその時、背後から肩を軽く掴まれた。
「風見隼人、しれっと逃げようとはしてないか?」
「えっと、俺達っていつから鬼ごっこしてたっけ……?」
「鬼ごっこ? そんな遊びをしていたつもりなどない」
「じゃあ何で追ってくるんだよ?!」
そうじゃないなら、ちゃんと説明してもらえますかね?!
遭遇する度に追い回してきやがって……普通に面倒臭いから今回で終わりにしてほしいんだけど?!
「しらばっくれるな! 土曜日に貴様が椿お嬢様のストーキングをしていたからに決まっているだろうが!」
「してねぇよ、偶然遭遇しただけだっつーの!」
瀬波が俺を追い回していた理由こそ判明したが、事実無根すぎて少し笑ってしまいそうになった。
せっかく見直したというの、にこれじゃ台無しなんだが……。
「嘘を吐くな。貴様、あの時椿お嬢様がお手洗いに入ったのを良い事に、そこに侵入しようとしていたではないか。どうせ強姦でも企てていたのだろう?」
「両替機探してただけだわ! 何余計な想像膨らませてくれてんだテメェ!」
どうやら瀬波は、勝手に俺を犯罪者予備軍に認定して、警察気取りで追い回していたようだ。
しかも、あたかも俺という人間の性格を理解しているとでも言いたげな口ぶりだ。
あいにくそんな卑劣な思考は持ち合わせていないよ、残念でした。
「そこまでです、そこの二人。あなた方はこの私が完全に包囲した」
いよいよ、本物の警察が到着したらしい。ついでに、瀬波も俺と同枠に含まれているかのような雰囲気。
「朱音か。どうした?」
「どうしたもこうしたもないでしょ? こんなところで油売って、密売っぽいし良治も逮捕だよ」
「……では、俺は何も買ってませんのでこれで失礼致しま――」
「ダメです。風見隼人さん、あなたも逮捕です」
「ええ、どして?!」
どさくさに紛れて教室に戻ろうとしたところを、葛西朱音にブレザーの襟元を掴まれてしまった。
「あ、良治は今をもって釈放ね。私はちょっと風見さんと二人ではな――遊びたいから、邪魔だしさっさと教室戻って」
と、葛西は何故かこのタイミングで襟元を離してくれた。
「遊びたい? まぁいいが……」
そう言い残して元犯罪者、瀬波良治はこの場を去った。
鬱陶しいのがいなくなったのはいいのだが、次なる嵐の予感がする。とりあえず隠れよ。
「さて、風見さん――って、あれ? いない……」
フッフッフッ、バカめ。油断して手を離したお前が悪いのだ。ちなみに、俺なら男子トイレの中にいるぞ?
……どうして俺、ノリノリでかくれんぼしてんだろ。はぁ……何か疲れた。
「まぁ、しょうがない。また今度捕まえればいいや」
また今度って、どうして南条さんの付き人って俺と鬼ごっこしたがるんだろうか。追われる理由も心当たりが無いし、疲れるから勘弁してほしい。
恐る恐るトイレから出て周囲を見渡す。どこにも葛西の姿は見当たらない。
どうやらこれにて本日の鬼ごっこは終了してくれたみたいだ。
……まさかこれ、俺が逃げ続ける限り明日からも毎日続くのか?
そう考えると凄く憂鬱な気分になってくる。
明日は昭和の日……とりあえず学校休みで良かった。
◇◇◇
雑居ビルが並ぶこの街の繁華街、その裏路地にて汗を垂れ流しながら走り回る。
時にはゴミ箱に
何故こんな事をしているのかというと――、
「風見隼人さん、あなたはこの私に指名手配されています。今すぐにその場で両手を上げて止まりなさい」
こんな風に、葛西朱音と鬼ごっこをしているからである。
俺が甘かったんだ……今日の鬼ごっこは終わったとばかり思い込んでいた。けど、それは違った。
帰りのホームルームも終わり、ちょっと南条さんの様子でも見に行こうと、タイミングが合えば感謝なり諸々ちゃんと伝えようと八組付近まで
いやいや、昼休みのあれはどうせネタか何かだろうし、流石に今から鬼ごっこ再開なわけがないよな。
俺は本気でそう思っていたのだ。しかし、葛西もある意味本気だったらしい。
『風見隼人さん、これが目に入りますか?』
葛西は右手で生徒手帳を掲げて、そんな事を言ってきた。
『せ、生徒手帳……?』
『違います。自作の警察手帳です』
『……はい?』
どう見ても生徒手帳だったが、葛西はそれを認めなかった。だから俺は、一歩、また一歩と少しずつ後ろに後退していった。
『次にこれ、何だか分かりますか?』
今度は鞄から一枚の紙を取り出し、葛西はニヤッと笑った。
というか、俺の目には見えてしまった。数学の小テストのプリントで、氏名横のカスみたいな点数が丸見えだった。
もしや、わざと見えるようにでもしてやがるのかと言いたくなってしまうくらいに。
『えっと、数学の小テストのプリント……ですかね?』
『今回も不正解です。これは自作の逮捕令状です』
こいつ、まさかバカなのか? と、疑問を抱いてしまった。だから俺は、更に一歩ずつ後退するのをやめなかった。
『では最後にこれ、何だか分かりますか?』
葛西は自分の手首に装着していた黄色の輪っかを人差し指で回し始めた。
『へ、ヘアゴム……ですかね?』
『最後まで不正解です。これはあなたを拘束する為の自作の手錠です』
『――どう見てもヘアゴムだろうが!』
こいつは本物のバカだなと、本気で確信してしまった。だから俺は、一歩ずつ後退するのをやめて逃げるように全力で走り出した。
『――あっ、また逃げますか……お待ちなさい! あなたはこの葛西朱音が指名手配しました! 絶対に逃しませんよ!』
俺を見て嘲笑う生徒を他所に後方から追いかけてくるバカにのみ集中し、海櫻学園から出て走り続けた挙句、気付けば繁華街へ。
ここまで来れば大丈夫だろうと、そんな安心などできないほどにバカの足は速かったようで、多少の呼吸の乱れのみで俺の跡を追ってきたのだ。
「――あっ、しまった………!」
ここまで逃走劇を繰り広げてきたものの、いよいよ運にも見放されてしまったのか、目の前は行き止まり。
急いで別ルートに入らねばと体を反転させた時――バカが目の前に現れた。
「さぁ、両手を上げなさい。さもなければ、撃ちます」
「――何っだそれは?! いつの間に用意しやがった……!」
「これは抵抗された場合に備えて用意しておいた最終手段、自作の拳銃です」
……うん、そだね。今回ばかりはちゃんと自作っぽいね、割り箸だけど。
「――っつ?! テメェ、ホントに撃ってんじゃねぇよ……!」
割り箸鉄砲から放たれた輪ゴムが俺の唇に命中した。ナイスコントロール、ではなくてそこそこ痛い……マジでふざけんな。
「問答無用っ!」
「――は? え……ごはっ!」
葛西が飛びかかってきて、そのまま倒れ込んでしまう。
「ふぅ……十六時三十四分。容疑者確保」
一体どこまでリアリティを追求してんだこいつは。
「容疑者じゃねぇんだよ。何の容疑か説明しろや」
「うーん、何にしましょうか? それっぽいの、痴漢なんてどうですか?」
どうしてこいつといい瀬波といい、俺を性犯罪者にしたがるのか……。
「バカ達の目に俺がどう映ってるのか問い質してえな、それ……ん? あれ?」
両手首が凄い締め付けられてると思ったら、ヘアゴムで固定されていた。
手錠を掛けられているみたいなのが妙に腹立たしいから、右手首をずらして強引に外す。
「あっ、何で外すんですか。また逃走するおつもりですか?」
「面倒いからもういい、逃げません。で、結局何の用?」
どうせ瀬波と同じく俺にあらぬ疑いでもかけてるんだろうが、さっさと俺を捕まえる理由を聞いて、早く帰りたい。
「では、行きますよ」
「行くってどこに? ここじゃダメなん?」
「こんな場所で真面目な話をするのも微妙ですし、ひとまず拘置場にでも行きましょう」
もう、何か反応するのも疲れたからそれでいいや、どうせ拘置場なわけがないし。
一応、瀬波と違ってちゃんとした内容の話があるみたいだし、付いていけば満足するなら今は従っておいてあげよう。
そう思って、歩き出す葛西の後ろに付いていった。
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