15 予想に反して

 晴天の青空から降り注ぐ日差しに汗を呼び出され、額から一滴、また一滴とアスファルトに落下する。

 まだ四月の終わり頃だから、特別暑いというわけでもない。

 では何故今、俺は汗をかいているのか。


「おーい、お兄ちゃーん、大丈夫ー?」

「ははっ……やっぱ帰りたいかも」


 すぐ目の前に見えている海櫻学園の校門、いざ登校するとなると、結局恐怖が優先して冷や汗が止まらない。


「あっそう。なら帰れば。じゃあね」

「――えっ、ちょい待てぇ!」

「はぁ? 待たないけど。じゃあね」

「――だからっ、ちょっとくらい待ってくださいよぉ……!」


 頼むからこの場で一人にしないでほしいと、先に校門に向かって歩き始めてしまう美咲の横に慌てて並ぶ。


「お兄ちゃんお兄ちゃん」

「ん? 何だ?」

「気付いてる? さっきから見られてるって」

「当たり前だろ……」


 同じタイミングで登校している海櫻生からの、俺を嘲笑うかのような視線なら嫌というほどに感じている。

 本当、どうしてこんな有名人になってしまったのか、どうせならいい意味であってほしかった。


「はぁ……お兄ちゃんとは偶然名字が同じなだけって事にしてたのに、これじゃバレちゃうよ……」

「あの話ホントだったのかよ……流石に嘘だと信じてたんだけど」


 俺達兄妹の絆って何だったんだろうか、そんなもの微塵も感じられず涙が出てしまいそうだ。


 目頭を押さえて溢れ出しそうな涙を止め、校門を潜り海櫻学園の敷地に足を踏み入れる。


「は? お兄ちゃん何泣いてんの? フラッシュバックでもした?」

「泣いてないし。泣きそうだったのを止めただけだし。フラッシュバックじゃなくて、お前のせいだし」

「え、私何かした?」


 惚けている感じではなく、素で言ってそうだから憎めない。


「――あっ、隼人~! おっはよっ!」

「ん?」


 後方から俺に呼びかける声が聞こえた。その方に振り向くと、二日前に友達になった背の低い赤髪の女の子が手を振りながらこちらに走ってきていた。


「おぉ、琴音か! おはようさん」

「ちゃんと来たのね。偉い偉いっ!」


 学校に来たのを偉いとか言われるのは違和感しかないし普通に恥ずかしいけど、それでも一歩前進できた気もしてちょっと嬉しい。


「ちょっとお兄ちゃん、どういう事?! 何で星名琴音さんと会話出来てるの?! はあ?! 何の奇跡なの?!」


 相手が星名琴音だから無理もないと言えばそうなのだが、美咲は信じられない光景でも見ているかの様な表情をしている。

 ついでに、さっきまで俺を嘲笑っていた連中も同様に。


 そうだ、お前らには嫉妬めいた視線がお似合いだから、これからもそれを続けてくれ。で、そのまま俺を嘲笑うのをやめろ。


「どうもこうも、友達だからに決まってんだろ」

「え……? だってこの前ファミレスで見かけた時は――」

「ファミレス? そういえば最近だったら金曜に行ったけど、あんたもいたの?」

「まぁ、そんなところ。それでだな美咲、琴音とは土曜に友達になった。以上。ほれ、行くぞ」


 一から説明するのも面倒だし、この程度の情報でいいだろう。

 それだけ教えて昇降口に向かって歩き始める。


「あ、あのっ、星名先輩! わた、私っ、お兄ちゃんの妹の風見美咲と申します……!」


 おい……お前、学校では偶然名字が同じなだけって事にしてるって話じゃなかったのか? まったく、調子の良い奴め。


「うんっ、よろしくね、美咲。あ、それからあたしの事は琴音でいいよ」

「――こここ琴音先輩! よろしくお願いします……! ……お兄ちゃん、今回ばかりはナイスだよ。こんっな可愛い人と知り合いになれたから」


 やけに緊張してるな、美咲。

 見た目だけなら美咲の方が歳上に見えなくもないけど、実際はそうじゃないから面白い。


「ロリは正義って言うからな。まあ、俺はロリコンじゃないけど」

「ねぇあんた、今何つった……? あたしのどこがロリだって?」


 琴音は笑みを浮かべた。それはもうニッコリと、怒気混じりの声とともに。


「あ、あの、琴音さん……? 俺は別に琴音をロリだって言ったわけではなくてよ?」

「嘘おっしゃい! あんた、魔法天使ライラちゃんのセリフにこんなのがあるの知ってるわよね? 『人は見かけじゃないよ。何よりも大事なのは――心――だからねっ!』って。知らないとは言わせないわよ?」

「知ってますごめんなさい俺が悪かったです……! だからもうちょっと声のボリュームをお願いだから下げてください……!」


 周りを歩く生徒に聞かれていないか肝を冷やしてしまう。


 というか今のセリフ真似、めちゃくちゃ似てたな。本気で耳を疑っちまったぞ。


「じゃあ、あたしに対して、チビ、まな板等の言葉を禁ずる。いいわね?」

「いいけど、まな板って? ……あぁ、貧乳か。分かった、思ってても言わないようにするわ」

「だから、禁ずるって言ったでしょうが……!」


 おっといけね……。


 ついうっかり声に出てしまった。美少女ビッグ5と呼ばれる琴音とはいえ、そこはコンプレックスだったみたいだ。

 対琴音『禁止用語』として肝に銘じておこう。


「バカ兄貴……大丈夫ですよ琴音先輩! 成長期はこれから来ますから!」

「ありがとう、美咲。あたしもそう信じてるわ。まだまだこれからよねっ!」


 おう、多分もう来ないと思うけど頑張れよ、琴音。俺も陰ながら応援してるぞ。


「はいっ! あ、そういえば琴音先輩もライラちゃんが好きなんですか? セリフまで覚えてるくらいだし、しかもすっごい上手だったからそんな気がしたんですが……」

「もっちろん! 全てのセリフを全力で練習するくらいには好きよ。美咲は?」

「わ、私ですか……?! えっとですね……」

「美咲は魔法女神アルネちゃん派だぞ」

「がーん……」


 よもや、これほどショックを受けてしまうとは……。

 俺の言葉を聞いた琴音は、崩れ落ちるように地に膝と手をついてしまった。


「た、確かに私はアルネちゃん派ですけど、ライラちゃんも毎週観てますから……!」

「本当に……?」

「はいっ! お兄ちゃんがライラちゃん大好き人間で毎週欠かさず観てるので、私も一緒に」

「間違ってないんだけどさ、何度も言うけど声を小さめでお願いできます?!」


 海櫻学園では珍しい光景、星名琴音が誰かと普通に口を聞いているのだから、興味本位で聞き耳を立ててる奴らがいてもおかしくない。


 というか、残念な事に俺という存在も相まって絶対そういう奴がいるから、ライラちゃん関連の会話をするなら超小声でお願いしたい。


 それなのにこいつらときたら……最悪、二人でその話で盛り上がるのは構わないけど、俺を巻き込むのだけはやめてくれ。


「じゃあ美咲、次回からもちゃんと観てね!」

「もちろんですっ!」

「おーい、終わった? ならさっさと行くぞ。気付けば始業まで後五分くらいだし」


 これ以上この話を続けさせるわけにはいかない。

 それに時間だってないわけだから、二人には悪いけど強引にでも断ち切らせてもらおう。


 ……なんか、こいつらのせいなのかおかげなのか分からないけど、緊張感が薄れてしまった。


 このまま何食わぬ顔で教室に入れれば良いんだけどなぁ――、


「椿お嬢様……! 良い加減教室に戻りませんと……! 間もなく始業の時間ですよ……?!」


 そう思いつつ昇降口の近くまで来た時、聞こえてしまった。


 狂犬・瀬波良治の大声が……!


「おいおい、マジかよ……」


 南条さんもいるようだけど、別にそれは問題ない。

 ……やっぱ嘘。ちょっと、いや、すごーく気まずい。


 でも、南条さんは俺が教室まで辿り着く事への障害にはならない。


 しかし、残念ながら瀬波は違う。出会したら噛みついてくる予感しかしないし、もし昇降口にいるなら邪魔で仕方がない。


 ここまで聞こえてきた声の大きさ的に絶対いるんだよなぁ……。


「ん? あんたまさか彼にビビってんのぉ?」


 琴音も気付いたのか、挑発的な笑みを浮かべてそう聞いてきた。


「全然。ただ絡まれると遅刻確率上がるから面倒いなぁと」

「そ。じゃ、行くわよ」

「えっ、ちょっと?!」


 琴音は素っ気ない反応をした後、俺の腕を掴んで昇降口に向かって引っ張り出した。


「椿お嬢様、どうしても今でなければなりませんか? 風見隼人さんが学校に到着しているという情報は聞こえてくる話から既に得られています。そう急がずとも良くはありませんか?」


 恐らく葛西朱音のもの、次は南条さんではない女子の声が聞こえてきた。


 それと同時に昇降口に足を踏み入れると、二年八組の下駄箱の所から南条さんの顔が出てきた。そのまま彼女はローファーを下に置いて、それを履こうとしている。


「良くなんかないわ。隼人くんが来てくださる瞬間をちゃんとこの目で確認しなきゃ気が――隼人くん?! あっ……」


 視線がぶつかってしまった。南条さんは俺の名前を口にした後、暗い表情を浮かべて俯いてしまう。


「……南条、さん? えっと、おはよう、ございます……?」


 直前の南条さんと葛西の会話から、俺の様子を確認する為にここにいるのは明白だ。


 南条さんは俺が学校に来るのを知って嬉しいと言っていただけに、どうして俺を見るや暗い表情になってしまったのかは分からないけど、わざわざここまで来てくれた理由は二日前から何となく理解はしている。


 あの一件以来の直接的な対面ともあって変な緊張が走ってしまったが、ここまで来てくれた事に応える為に、俺はもう大丈夫だという意味を込めて声を掛けてみたのだけど……これで合っていたのだろうか?


「椿お嬢様……」


 南条さんの後ろから葛西が姿を現し、どこか切なげな表情で声を掛けている。


「……おはようございます隼人くん。登校してくださり嬉しいです。椿なんかにも声を掛けてくださり……ありがとうございます」


 そう言ってくる南条さんは笑みこそ浮かべていたが、それでもその表情がどうしてか暗く見えてしまった。


「隼人くん、この度は本当に申し訳ありませんでした」

「え……?」

「それでは、失礼します……」


 南条さんは履きかけていたローファーを手に取りそれだけ言うと、下駄箱の方に姿を戻してしまった。


「お待ちください椿お嬢様……! 走っては危ないです……!」


 瀬波の大声が聞こえたと思ったら、二年三組の前の下駄箱の前を走って通過していく。


 危ないのはお前も同じくだろ、なんて冗談はさておき……南条さんに微妙な表情をさせてしまった気がする。


 俺は、またやらかしてしまったのだろうか、少しだけ気落ちしてしまいそうだ。

 それから、謝られた。俺が早とちりして勘違いさえしなければ起らなかった事なのに。だから謝られるのは結構な違和感を感じてしまう。


「ほらあんた、急がないとチャイム鳴るわよ」

「あぁ、そうだったっけな」


 ただでさえ俺という男はこの学園においては嘲笑の的なのだから、復活初日から遅刻スタートなんて余計な悪目立ちだけは絶対に避けたい。


 大急ぎで靴から上履きに履き替え、下駄箱から出ようとすると葛西が二年三組の下駄箱の前で俺を見ていた。


 どう見ても完全真顔で何を考えているのか全く分からないけど、葛西は瀬波と同じく南条さんの付き人だから狂犬の可能性も大いにある。


 こんな所で噛み付かれでもしたら、それこそ遅刻濃厚演出だしマジで笑えない。


 キミも遅刻するぞと声を掛けてあげたいでもないが、それもそれで噛み付かれ高確率に移行しそうだし、やっぱ無視するのが最善だ。


 よーい、どんっ!


 と、心の中で唱えて教室に向けて走り出す。階段を駆け上がり、二階を通過し、そのまま三階まで上がる。


 ……やって来てしまった。

 階段から目と鼻の先に見える教室。あそこが二年三組だ。


 もう始業ギリギリともあって廊下に生徒は誰もいない。


「はぁ……はぁ……ちょっとっ! 置いてかないでよね……」


 訂正しよう。一人だけいたわ。いや、二人と言うべきか。


 琴音が階段を駆け上がってくるや否や俺にそう言ってきて、その後方から葛西も階段を上がってきた。


 ここまで来て噛み付かれるわけにはいかない。


「じゃ、またな琴音」


 それだけ告げて教室の扉に手を掛け、開く……!

 それも、無意識に勢い良くやってしまった。


 もっと静かにできる限り気付かれないようにするつもりだったのに……そのせいでクラスメイトから一斉に注目が集まってしまった。


 一体どんな笑われ方をするのだろうか、そんな事が頭を過り、少しずつ体が震えてきてしまう。


「多分、このクラスは大丈夫ですよ。風見隼人さん」

「――えっ?」


 背後から声を掛けられ、振り返るとその先に葛西がいた。


「それってどういう意味――」

「風見、やっと来たか! 遅刻ギリギリだぞ!」


 葛西に答えを求めようとしたその時、教室内から声を掛けられた。

 教室を見渡すと、和田俊哉が立ち上がって俺を見て笑みを浮かべていた。


 だが、その笑みは嘲笑といったものとは別物で、以前と何ら変わらない普段通りの感覚。


「おはよう、風見くんっ!」

「遅いぞ風見!」


 和田に続いて、クラスメイト達が続々と笑みを浮かべつつ声を掛けてくるが、それもまた嘲笑なんかではなく――予想していたものとは全然違って逆に反応が出来ない。


 何がどうなっているのか、葛西に尋ねようともう一度後ろを振り返ってみたが、そこには既に葛西の姿は無く、代わりに本間先生がいた。


「あら? おはよう、風見くん」

「お、おはようございま……す?」


 予想に反する光景に動揺する俺を他所に、始業のチャイムが鳴り響いた。

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