8 美しすぎる兄妹

 あれから二日の時が流れてしまった。

 泣いて、喚いて、逃げるように学校に行かなくなり、二日。

 もうこれは、謂わば不登校に片足突っ込んだようなもの。


 ポッカリと空いた心の穴には元々何があったんだっけ……。


 それを思い出そうとする度、吐きそうになる。


 こんな事が、昔にも一度だけあった。


 蓋をしていたはずの幼き日の記憶も同時に蘇り、追い討ちの如く襲いかかってくる。


 当時は、その時期に始まった魔法女神アルネちゃんが心の穴埋めをしてくれた。

 だったら今は、何がこの穴を埋めてくれるのだろうか。


 それを考えると、やっぱり一つしか思いつかない。


 こちらがどれだけ話しかけようとも、反応が無いのだから絶対に裏切られる事はない。

 今更ながら、ある意味無敵だったんだなと思い知らされる。


「お兄ちゃん、生きてる……?」


 コンコンッと部屋の扉がノックされ、扉の向こう側から美咲の声が聞こえてくる。

 それで、もう夜なんだなと気付かされた。


「あぁ、生きてる」


 俺がそう答えると部屋の扉が開き、美咲が中に入ってくる。


「今日お母さん遅くなるって」

「ほぉ……」

「いやいや、『ほぉ……』じゃないから。ほら、行くよ」

「行くとは」


 そんな事言われても、外になんか出たくない。


「外食に決まってんでしょ」

「俺行かない。行くなら行けば?」

「またそんなこと言って、どうせ今日だって何も食べてないんでしょ?」


 まぁ、食べてないんだけどね。正直、お腹は空いてるんだよね。


 落ち込むと食欲不振になるという人もいるみたいだが、俺の場合はそうじゃない。

 どんなに悲しくても空腹だけはやって来るんだなと改めて実感させられる。


「はい、食べてないね。ほら、行くよ」


 美咲が反応を返さずにいる俺の腕を掴んでくる。


「……分かった」


 何も食べないといずれは死んでしまう。


 まぁ、一日や二日飲まず食わずでも死にはしないだろうけど一応ね。


 親孝行なんてものは何もできちゃいないけど、親不孝だけはしたくない。

 いや、もしかしたらこの歳にもなって変身美少女アニメ好きで悲しませてるかもしれないけど、死ぬのとは比にならないからまだセーフ。


 そんな事を考えながら、部屋を出た。



◇◇◇



「ねぇねぇお兄ちゃん、あそこにいるのって星名琴音ほしな ことね先輩じゃない?!」


 近所のファミレスにて、美咲が肉をぶっ刺したフォーク片手に遠くの席に視線を向けつつそう言った。


「ん? あぁ、確かに星名琴音だな。……で?」


 窓際の角のテーブルに一人で座っているが、それが何だと言うのか。


「流石はビッグ5だよねぇ、ホント可愛い。お兄ちゃん、狙えば?」

「俺にまた傷付けと? 無理、吐いちゃう……」


 南条さんの一件で傷心したばかりなのに、何の学習もせずにまたすぐに次の女の子に目移りとか、そんなのできるわけがないだろうが。


「傷付く事を恐れてはいけません。人は傷付き成長するのです」

「え、何? お前歳いくつ?」


 まだ大して生きてないくせに、俺の妹はどうして人生の悟りを開いたような語り口をしてるのだろうか。その境地に至った過程を是非とも教えてほしいくらいだ。


「十五だけど。で、狙う?」

「だから、狙いませんけど……。そういや、星名琴音って言えばいつも一人でいるらしいぞ。で、学校もちょいちょい休むし、早退もちょいちょいする、らしい」


 全て、去年のクラスメイトに聞いた話だ。


 まぁ、有名な話なんだろうけどね。


「自分調べじゃないんだね」

「興味ないから」

「まぁ、それでこそつい最近まではライラちゃん一筋だった男だよね」


 何でだろうか、凄いけなされた気がする。


「でもさぁ、どうしてあんな可愛いお方がいつも一人なんだろうね? 男子なんて喜んで声掛けるもんじゃないの?」

「うむ、声は掛けるが相手にされない、らしい」

「それも自分調べじゃないんだね」

「当たり前だろ? 調べるって、俺が自分から声掛けると思う?」

「思わない。だってつい最近までライラちゃんにしか興味なかったもんね」


 何でだろうか、また貶された気がする。


「ふっふっふっ、甘いな美咲よ。ライラちゃん以前は魔法女神アルネちゃんとかにも興味はあったんだぜ」

「ハッ……! アルネちゃんで止まっとけよ、気持ち悪い」


 何でだろうか、またまた貶された気がする。いや、気のせいじゃなくて貶されたわ。


「俺は気持ち悪くな――」

「――あ、そうだ。じゃあさ、南条楓なんじょう かえで先輩なんかどう? あの人もビッグ5だし、狙えば?」

「おい、ちょっと待てや。今、明らかにそういう流れじゃなかったよね? 気持ち悪いって言われた事に俺が反論する流れだったよね?」


 何を何食わぬ顔して俺のターンを飛ばしてくれているのだろうか。少しくらいは抵抗させてくれ。


「で、どう? 好きだった南条椿先輩とまあまあ顔は似てるし、なのに妹の方より胸は大きいし。男なら好きでしょ? そういうの」

「ふっふっふっ、これまた甘いな美咲。俺は巨乳より美乳派だ。適度なサイズこそが至高なり。ライラちゃんみたいな」


 ちなみにアルネちゃんもライラちゃんよりサイズは大きいけど中々に良い形をしていた覚えがある。


「アニメ世界を基準にしてる時点でお兄ちゃんの物差しは最初っから狂ってたわ。気付いてあげられなくて……めんご」

「謝られると逆にツライからやめてもらえるかな?! 何かこう、全てを諦められたような気持ちになるというか、何というか。……まぁ、南条楓先輩に関しては、アニメどうこう以前に普通に無理。だって、南条さんの姉じゃん」


 あんな思いをした後にすぐさま姉の方へとか、俺のメンタルはダイヤモンドか?

 流石にそんな強靭なものを持ち合わせてる自信なんて全く無いよ?


「だからこそ良いんじゃん。もし南条楓先輩とお付き合いできれば、南条椿先輩への積年の恨みを晴らせるかもしれないわけだしっ!」


 積年って、たった一日しかまともに関わってないからそんな年月積もってなどいない。


「別に南条さんを恨んじゃいねぇよ。勝手に勘違いしてたのはこっちだぞ? 恨むとか、逆恨みにも程があんだろ」

「あれま、そうですか。あんだけデレてたわけだし、お兄ちゃん的にはデートしてたつもりだったとしても上手くいってたと思ってたんだろうから、それ即ちお兄ちゃんがそう思い込んじゃうように誘導してた可能性だってあるじゃん? そんな小悪魔はライラちゃんに成敗してもらわないとっ! ってくらいには恨んだって良いと思うんだけど?」


 ……え、そうなん? 俺って誘導されてたの?

 だよなぁ……だって俺、南条さんにはチョロすぎる男だったもんなぁ。


 ……って、チョロすぎるのは置いといて、そんなわけあるはずがない。


「おい、あの子を悪く言うのはやめてくれ。何度も言うけど、勝手に勘違いしたのは俺なんだ。勘違いさえしなければ、ただ一緒に映画を観に行ったで終わってた話なんだよ。それと、小悪魔じゃなくて天使な? ライラちゃん以上の」


 これは本音であり、南条さんが悪いとは全く思ってなどいない。全ては俺の勘違いが引き起こした事で間違いないのだ。


 それに、結局今でもライラちゃんより南条さんの方が可愛いと思っているのも嘘ではない。


「ふーん。へー。そーですか、そーですかぁ」


 美咲はジトッと俺を見て、ただの棒読みでそう言った。


「良いだろう良いだろう。だったら教えてやるよ、衝撃の事実を。これを知れば南条さんどうこうの話じゃなくなるはずだ。――何と何とっ、南条楓先輩はお嬢様にしてはかなりお下品なお方、だ」

「ほー。へー。そーですか、そーですかぁ」


 あ、信じてないな? 一応これ、唯一の自分調べなんだけどな。


 一年も海櫻学園で生活してれば、興味ないとか関係なしにあれだけ目立ってれば目に入ってきてしまう。

 普通の女子と比べたらそうでもないのかもしれないが、お嬢様比較したら南条さんとの違いに度肝抜かされる程には目に入る。


 まぁ、ほっといても美咲もそのうち分かるだろうし、今は信じてもらえなくても別にいっか。


「で、それよりさ……次は?」

「何が?」

「あ、いや、ここまで来たからにはビッグ5の名前全部出してくるもんだと思ってたんだけど」

「あぁ、そゆこと。残り二人の内片方は彼氏持ちで除外でしょ? それからもう片方、うちのクラスのあれ、はねぇ……オススメできないから却下。ただ、何か最近元気無いのが気掛かりだけど」


 美少女ビッグ5であられる生徒会副会長様が彼氏持ちだから除外ってのは理解できた。


 でも、じゃあもう一人はどうして除外?


 入学したてという事もあってどんな性格かの情報は無いが、圧倒的顔面偏差値で美少女ビッグ5入りした一年生がいるとの話だけは聞いている。


 今の言い方だと、その子が美咲と同じクラスに所属しているんだろうけど……え、何? 自クラスのビッグ5に対するその態度は何故に?

 まさか、もうクラスカーストバトルが勃発してるのだろうか。

 まだ四月だし、お兄ちゃんちょっと心配なんだけど……。


「お、おぉ、そうか……まぁ、イジメだけはするなよ?」

「――しないわっ! 一応気掛かりって言ったでしょ?! ……知ってる? お兄ちゃん」

「何を?」

「……魔法天使ライラちゃんが言ってたよ。イジメは弱い者がする事だから、強くなりなさいって」

「言ってたな。てか、お前も観てんじゃん。ふっ」


 あれだけ俺がライラちゃんを観ている事にあーだこーだ言ってたくせに、自分も観てるとか人のこと言えなさ過ぎてつい笑ってしまった。


「――毎週毎週っ! 土曜起きれば誰かさんがニタニタしながら観てるからねっ! そのせいで目に入ってくるし耳にも入ってくるのっ……!」


 おぉ、それは悪かったな。あと少し、夏の終わりには最終回だ。それまで我慢してくれや。あ、明日土曜日じゃん。


「……てなわけでお兄ちゃん。魔法女神アルネちゃんが言ってたよ。デートの時は、男が全額払うものだと」


 なるほど、美咲はアルネちゃんが好きで放送当時は毎週真面目に観てやがったから、その言葉も当然知っているというわけか。


「言ってたな。……まさかお前、俺に全額払えと?」


 今になって気付いたが、わざわざアルネちゃんのそのセリフを出してきたわけだから、そんな気がしてならない。


「正解、お兄ちゃんが全額払ってね。女神である私の言葉は絶対です」

「はあ? 美咲が女神? いつそんな尊い存在になったんだよ……そもそもこれ、デートじゃねーし。ま、良いわ。払ってやるよ」


 毎月二十五日は月に一度の小遣い日。そして今日は四月二十五日だ。


 今月はこの間の映画くらいでしか大きな出費はしてないから、今ここで二人分を払うくらいは普通にできる。

 今日貰えるはずの小遣いは母さんが帰ってきたら支給されるはずだから痛くも痒くもない。


 というか、そもそも今ここでの夕飯代もくれるはず。

 だったら別に、母さんが払うようなものだし今ここで立て替えても俺的には何ら問題はない。


 席を立ち、レジで精算を済ませて外に出る。


「ふぅ……」


 ほんの少しだけ、風が心地良い。


「どう? ご飯食べてちょっとは元気出た?」

「ん? あぁ、まあな。……ありがとな、美咲」

「ふふんっ。どういたしまっ!」


 終盤はいつの間にか、本当にいつの間にか普段みたいなどうしようもない会話をしていた。


 二日ぶりに人とまともにコミュニケーションを取ったおかげか、気付けば沈み切っていた気分も大分楽になり、生きる気力くらいは戻ってきている。


 もちろん、食べたカルボナーラが美味かったのも要因の一つだと思うが、やっぱり美咲とのコミュニケーションが一番大きい。


 それもこれも、こうして美咲が外に連れ出してくれたおかげだ。


 美しすぎる兄妹だな、俺達って!


「あ、それからすまんな。俺の妹なわけだから、学校であーだこーだ言われてるだろ?」

「ううん、あんまり言われてない。偶然名字が同じなだけって事にしてるから」





 …………………………泣いたっ!

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