3 至福の時間は終わりを告げても、幸福の熱は残り続ける
劇場内に入り、購入した近くの席に向かうと俺達の席の横に中年の男性が座っていた。
この歳にもなってテレビの前でライラちゃんを観てニタニタしている男子高校生なんて俺くらいなもんだと思っていたけど、どうやら上には上がいたようだ。
いや、仕事は? あ、早上がりか。それとも元々休みとか?
まあ、他人だからどうでも良いけど……あっ! いや、待てよ? この手の種族は絶対ライラちゃんを観て萌え~、とかやってるやつだぞ。もちろんソースは俺だ。
という事はつまり、ライラちゃんを超える天使こと南条さんにブヒブヒ鳴かないわけがない……!
これももちろんソースは俺だ。後、海櫻の男子生徒達。こうしちゃいられん、南条さんを守らねば……。
そう思って大急ぎで席に向かい、中年男性の横の席に座る。
「ちょっと隼人くん、はしゃぎすぎですよ。ふふっ、そんなにライラちゃんの映画楽しみだったんですか?」
南条さんはそう言いながら俺の隣、通路横の席に腰を下ろした。
「あ、いや、これにはわけがありまして」
「ん?」
ライラちゃんの映画は普通に楽しみにしていたから誤解というわけではないが、慌てて席に座りに行ったのは別の理由。とはいえ、隣の人に聞かれたら色々不味すぎるから、その理由を声に出すわけにはいかない。
ど、どうしよ……というか、今の俺、そんなにはしゃいでいるように見えました?
「もう少しお静かにお願いできますか?」
「「ごめんなさい……」」
声が大き過ぎたのか、隣の席の男性に注意されてしまった。男性はそのまますぐにスクリーンに目を移し、真剣な表情で眺め始める。
予告をこんなにも真剣に観ている辺り、どうやら普通の映画通の方だったみたいだ。勝手な偏見を押し付けてしまった事を申し訳なく思ってしまう。
もう一回、ごめんなさい……。
それよりも、さっきからスマホがちょいちょい震えてる。これは電話ではなくメッセージ。
スマホを取り出して開くと、クラスメイト達からとんでもない量のメッセージが入っていた。遡ると、俺が学校を出た頃から来ていたようだ。内容は、サッと目を通した感じ南条さんとの件について一色。南条さんに意識が行き過ぎてて全く気付かなかった。うん、無視しよう。
「どうかしました?」
南条さんがヒソヒソと聞いてくる。
「何か、クラスメイトからめっちゃメッセージ来てた。けど、別に急ぎじゃなさそうだから大丈夫」
「ご友人の方が多いみたいで、流石隼人くんですっ!」
「あ、ありがとう……?」
何か良くわかんないけど南条さんに褒められた。
俺は特別友達多いわけじゃないし、一年の頃クラスメイトだった人と今のクラスメイトくらいしか交流なんてない。
何なら、その人達とも特別仲が良いわけでもないし、今は恨まれてる可能性すら特大だ。
だから、友達が多いと褒められるのにはかなりの違和感を感じてしまった。
「あっ……」
お次は南条さんがスマホを取り出した。一定のリズムで震えてるから、多分電話だと思う。
「朱音——ご存知だとは思いますけど
なんて言いながら、南条さんは拒否ボタンをタッチした。まあ、映画館でのマナーを踏まえると通話なんてするわけにもいかないから、南条さんの行動は正しいとは思う。
「あ、今どこにいるかってメッセージまでいっぱい来てる……」
「返しとけば?」
「えぇ……教えると絶対邪魔しに来ますし」
南条さんは返信を渋っている。
「あ、でもここまでは入ってこれないか。はぁ、しょうがないわね。西宝シネマズにいるわよっと」
かと思いきや、一瞬で一人で納得し返信している。
と、ここで鑑賞マナーについての映像が流れた。ビデオカメラの顔をしたあれだ。
「電源を切らなきゃですね。隼人くんも切らないとダメですよ?」
南条さんが未だ定期的にブルッと震えている俺のスマホを見ながらそう言ってくる。
「分かってるよ」
そう答え、スマホの電源を落とす。
「隼人くん」
「ん?」
「ちょっと、内緒話ししてるみたいでドキッとしちゃいました」
別に内緒話というわけではなくて小声で喋っていただけだからそれ自体には何とも思わなかったけど、その悪戯な笑みにはドキッとさせられてしまう。
劇場内に入ってもまだ、このループは続いていたようだ。
◇◇◇
「隼人くん、今日はありがとうございました」
映画を観終わり、外に出たところで南条さんは俺にペコッと頭を下げてからニコッと笑った。
ぶっちゃけた話、楽しみにしてたライラちゃんの映画だったにも関わらず映画の内容はまるで頭に残ってない。
何故なら、横に座る南条さんに俺の全意識を持ってかれていたから。
この辺りもうホントに、俺の中ではライラちゃんより南条さんとなっているんだなと実感してしまう。
あぁ、映画の内容が犠牲になったのは全てこの南条さんの笑顔を見る為だったんだなぁ、なんて都合良く解釈してしまう程に俺の頭の中は南条さん一色だ。
まぁ、ライラちゃんの映画はまた今度観直して内容をインプットするとしよう。
「こちらこそありがとう。じゃあ、帰ろっか? 送ってくよ」
「良いのですかっ?! では、お願いしても――」
南条さんの口がピタッと止まった。その瞳は俺を見ているわけではなく、別の所に向けられている。釣られてその方向に目を向けると、如何にもお高そうな車が停車していた。
車に詳しいクラスメイトが、ロールス・ロイスだと言っていた高級車。
もう高校入学から一年も経ったんだ。だから送迎の瞬間は何度も見た事があるし、今更驚いたりはしないが、相変わらずカッコいい車だなとは思う。
そんなわけで、南条さんの口が止まった理由が分かった。迎えが来ていたからだ。
「椿お嬢様、お迎えに上がりました」
車の横にいたスーツ姿のおじさまが南条さんに声を掛けた。多分、執事。
「……どういう事? 迎えなんて頼んでないわ! どうしてここが分かったのよ?!」
南条さんは怒ったような表情で声を荒げて問い質す。
学校ではこんな姿は見た事が無かったからちょっと新鮮。というか、海櫻学園に通う俺以外の生徒も見た事なんか無いのではないかと思う。
それだけに、今この場で見る事ができた自分は特別なんだと実感させられる。
それにしても、怒った顔すら当たり前のように可愛いな。
みんながみんな、美少女ビッグ5とか騒いでいたにも関わらず、俺は今までどうして南条さんがこんなにも可愛いと気付かずにいたのかと、興味を抱こうとすらしていなかった自分に腹が立ちそうだ。
「良治と朱音から、映画館にいると聞きまして」
南条さんは映画が始まる前に葛西朱音に居場所を伝えてたから、それでこの執事にも伝わってしまったということか。
「申し訳ありません、椿お嬢様。お迎えに上がった方が良いと思いまして、僕達の方から父に伝えさせていただきました」
助手席の窓が開き、そこから顔を出した瀬波良治が南条さんに改めて説明した。
父、という事はこのおじさまが瀬波良治の父親という事だろうか。かなりのイケメンなおじさまのDNAからは当然イケメンが生まれるということか、瀬波良治も相変わらずイケメンだ。ちょっと嫉妬してしまいそう。
「余計な事を……やっぱ居場所教えるんじゃなかったわ」
上手く聞き取れなかったが、南条さんがボソッと何かを呟いた。けど、そのしかめっ面から怒っているのは伝わってくる。
ボクも南条さんに怒られたい! ……やべぇ、新たな属性に目覚めかけた。危ない危ない。
「椿お嬢様、私達の方から急を要する大事なお話があります。ですから早くお乗りください」
お次は葛西朱音が後部座席の窓から顔を出し、急かすように南条さんに向けてそう言った。
「あぁー、もうっ! 分かったわよ……! あ、そうだ、
「え……」
南条さんからそのような誘いを受けるのは嬉しいが、瀬波と葛西も一緒なのが堅苦し過ぎて正直気が引ける。
「それは認められません。風見さんに聞かれると何かと都合が悪い話ですので」
おい、何だその言い方は。今日の事だから知らなくても無理ないけど、俺は南条さんの彼氏だぞ? なのに都合が悪い事なんてあるわけもないだろうが。
なんて葛西に対して思ったりしたが、家の内情に関してとかだったら俺が首を突っ込むような話ではないし、何より俺自身、瀬波と葛西がいる車に乗って帰りたいとは思っていない。
誰にも邪魔されない、南条さんと二人きりの空間を所望します。
「何よ……ケチッ」
南条さんは不貞腐れてしまったのか、吐き捨てるように呟いた。
「まぁ、事情があるっぽいし、今日はここで解散にしようか」
「ゔぅ……隼人くんがそう言うなら、仕方ありませんね……」
まさか、こんなにも悲しそうな表情をされてしまうなんて……どうしてか全く分からないけど、いつの間にか凄い好かれてたんだな、俺。
モテ期なんて未だ来てないけど、もう来なくても別に良いや。この子にだけ好きでいてもらえれば、何だって良い。
……いや、何なら今がモテ期なのかもしれない。誰もが美少女だと認める存在、現在女子人気は確かナンバー2、男子人気はナンバー1の南条さんに好意を抱かれた事実をモテ期と言わずして何と言えようか。
俺は今、モテ期だ……!
「あ、あのさ……また今度出掛けた時こそは、一緒に帰ろっか?」
改めてこんな事を言う以上、照れ臭過ぎて目も合わせられなくて、それでいてかなりの小声になってしまったが、南条さんにだけ聞こえてくれればそれで良い。
「――えっ?! また、椿と一緒にお出掛けしてくれるのですか……?」
南条さんもまた、小さな声でそう言った。
「そりゃもうっ! ……って、あれ? またって? それが普通なのでは?」
「ちょっと、屈んでください。万が一、彼らに聞かれると面倒なので」
南条さんが俺の腕を掴んでそう言ってくる為、その通りに少し膝を曲げると耳元に口を近づけてきた。
「じゃあ、また機を
「――っ?!」
ドクンッと心臓が跳ねるのを感じた。
あぁ、これが今日最後のドキドキか、これをもって本日のループが終わってしまう。そう思うと切なくなってくるのに、それに反するように身体中が熱くなる。
「そ、それでは……改めて今日はありがとうございましたっ……! おやすみなさい、隼人くん」
南条さんはそれだけ言い残してから、車の中に乗り込んでいった。
高級車を、見えなくなるまでボーッと眺め続ける。
至福の時間は終わりを告げ、帰路に着く。それでも、幸福の熱は消える事なく、残り続けていた。
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