2 ドキドキループ
やってしまった……。
街中にある西宝シネマズという映画館のトイレで一人、落胆する。
肩を落とす理由は一つ。ここに来るまで緊張し過ぎて足は震え、声も震え、全く上手く喋れた気がしないからだ。
『きょ、今日は良い天気だねぇ……』
『そうですねぇ』
……何をやっているんだ俺は。
会話のキャッチボールができないような話題を投げかけては沈黙。しばらくしてまた似たような話題を投げかけ沈黙。
それの繰り返しでここまで来てしまった。
テレビの前で、反応なんてしてくれない画面の向こう側の存在、二次元のライラちゃんにばかり話しかけてきたツケが回ってきたというべきか。
いや、そんなわけがない。だって、クラスの女子なら普通に話せているのだから。
だとしたらどうしてだ? 南条さんが他の女子と比べて可愛すぎるからか?
何にしても、こればかりは慣れしかない――なんて悠長な事を言ってられるか。
そんなノロノロしてて愛想でも尽かされようものなら、もう二度と俺にこんな機会は訪れないだろう。
冗談じゃない、絶対手放してなるものか。
鏡の前で頬を叩き、気合を入れてトイレを出ると、丁度女子トイレから南条さんが出てきた。
良しっ! 行け、俺!
と、特に何の話題があるわけでもないのに自分を鼓舞して大きく息を吸う。
「「――あのっ!」」
勢い良く声を出してみたが、それは南条さんも同じだった。
こ、ここは……レディーファーストというものが合っているのだろうか? き、きっとそうだ。
とりわけ、勢いで話しかけてみたものの特に話題があるわけでもないから助かった。
南条さんから話題を提供してくれるなら、下手にこちらからクソほどどうでも良い話題を出すより、それに付き合うのが今の最善に決まってる、のか……?
「えっと……何かな?」
「誰にも言えずにいたのですが……実は私、ライラちゃんが好きで……! もしよろしければ、ライラちゃんが観たいのですが……」
「何ですと?! ……あ、いや、その……良いよ! 観よう、ライラちゃん」
南条さんもライラちゃんが好きとか、映画館に迷惑にも勢い余ってつい大声で反応してしまう程には驚いたけど、この話に乗っからない手はない。
この春放映開始、ライラちゃんの新作映画[劇場版 魔法天使ライラちゃん 小悪魔大戦]。
当然観に行く予定だったけど、まさか今日観れるなんて思いもしなかった。
「ありがとうございます。それでなのですが、あのぉ……」
南条さんが何か言いたげに両手を合わせて擦っている。
「ん? どうかした?」
「この事は、二人だけの秘密ですよ……?」
南条さんは恥ずかしそうに俺を見つめてくる。
いちいち全てが可愛いな、この子……。
「……ああ、うんっ! 分かった」
眩しすぎて直視していられず、視線を外してそう答える。
男の俺が変身美少女アニメ好きだとバレたら名誉に関わると考えているように、きっとそれは南条さんにとっても同じなのだろう。
正直、男の俺と違って、女の子の南条さんの場合はそれを知られたとしても何ら問題無い気もする。というより、それ以前に南条さんならマジ可愛い、で済んでしまいそうな気しかしない。
けど、こんな風に言われては他言なんてするわけにはいかない。
それ以上に、『二人だけの秘密』、この響きが異常なほどに嬉しかった。
「では、チケット買って来ますね」
「――え、ちょっと待って」
「どうかしました?」
俺の呼び止めに南条さんは足を止め、キョトンとした顔で首を傾げた。
「いや、お金渡してないし……じゃなくて、俺も行くよ?」
映画代を払わせるだけじゃなく、一人で買わせにいくとか俺はヒモか?! いや、ヒモ以下だろ……!
「それなら心配しないでください。私、お金だけはいっぱい持ってますから」
ちがーう、そうじゃなーい……。
これでは俺が、南条さんが大金持ちだからそれ目的で付き合ったみたいではないか。決してそんなどうしようもない金銭欲が理由なんかではないし、ヒモにもなりたくない。
「いや、払うよ?! むしろ俺が二人分払いますよ?」
デートの時は男が全額払うものだと、ライラちゃん、ではなく前々作の主人公、魔法女神アルネちゃんが言ってた気がする。
「――あっ……しょうがないですねぇ。では、お言葉に甘えて――」
ふぅ……これでヒモ化する心配もなくなった。俺のクズ化が防がれてマジで良かったぁ――、
「――というわけにはいきません」
紛らわしいわ……!
思わず心の中でツッコんでしまう。
「間を取って割り勘? というものにしましょう」
……そっか、最初からそれで良かったんじゃん。よくよく考えてみたら、別にバイトしてるわけでもない俺に、はいどうぞ、と簡単に奢れるような金なんて無い。
南条さんはお嬢様だし、俺が奢らなかったからといって愛想尽かされる心配もなさそうなわけで。そもそも、金に困ってるわけないし。
「じゃあそれで決まりで」
「えっと、チケット代は千円みたいですね。ありますか?」
「ちょっと待ってね」
財布を取り出し、中身を確認する。
……いや、普通に持ってるけどさ。俺も俺で確認しちゃってるけどさ、この流れ……、
「……まさか、南条さんが買ってくるとか言い出さないよね?」
「はい、椿が買ってきますよ?」
「いやいや、俺も行くから」
「むぅ……もしかして隼人くん、椿が映画のチケット買うのに手こずるとか思ってます? これでもたまに一人で来たりしますから慣れてるんですよ? そりゃあ学校では付き人なんているわけですから、そう思われてても仕方ないとは思いますけど……」
南条さんは頬を膨らませてジトッと俺を見てくる。
「そうじゃなくて、ただ一緒にいたいなぁと……!」
「――えっ?!」
機嫌を損ねてしまったかと思い、焦りに焦って勢い任せに言ってしまった。
「あっ……」
途端に恥ずかしさで思考がフリーズしてしまう。南条さんも驚いたのか、目を大きく見開いている。
やべ……どうしよ。
まるで失態でも犯してしまったかのような不安に駆られてしまう。
「ふふっ、そういう事でしたら、先に言ってくださいよ。じゃあ、行きましょうか」
けど、そんな不安も南条さんが笑いながらそう言ってくれた事で杞憂に終わった。
そういえば、気付けば比較的普通に会話が出来ていたような……? もしかして、何を話そうとかはあんまり考え過ぎない方が良い、のか……?
そんな事を思いつつ、南条さんと券売機に向かった。
券売機の前まで来て、画面をタッチしようとすると南条さんが俺の手を握ってきた。いきなりだった為、かなりドキッとしてしまう。
「ダメですよぉ、隼人くん。この程度手こずらないって証明したいので、椿に操作させてください」
「え? あ、はい……」
いや、別にそんなの疑ってなかったけど、でもまあ、南条さんがやりたいみたいだし任せよう。
「えーと、今は十六時十分だから……これか」
南条さんが真剣な表情で券売機を操作し始める。
「うーん、平日なのに結構埋まってますね。あ、ここなんかどうです?」
南条さんが指差す場所は、中央列付近の外側の通路横の二席。
「そこで良いんじゃない?」
「ではここで。決算方法は……これで良しっと」
「おぉ、現金。てっきりクレカか何かかと……」
「高校生じゃ作れないらしいので持ってないんですよ」
「なるほど……おっと、はい、千円」
自分の映画代を南条さんに渡すと、それを受け取った南条さんが自分の財布を取り出した。
凄いお高そうな財布。きっとブランド物なんだろうな。
南条さんは俺から受け取った野口を財布に仕舞い、諭吉を取り出し券売機に入れた。
ちなみに、覗こうと思ったわけじゃないけどチラッと財布の中身が見えてしまった。何か、札束が異常に多かったような……。
南条さんが、出てきたチケットの一枚を渡してくる。
「どうですぅ? 椿にだってこれくらい余裕でできるんですよ?」
高校生ともあれば大体の人が映画館の券売機の操作くらいはできると思うが、それでも南条さんは誇らしげにドヤ顔をしてくる。
「だから、別に疑ってなかったって……!」
「むぅ……」
え、何か拗ねたんだけど、まさか俺やらかした?
――あっ! ライラちゃんが言ってた気がする。良くできた時は、頭を撫でて褒めてあげるべし、と。
それを思い出して衝動的に南条さんの頭を撫でてしまった。
「――ひゃっ?!」
すると、南条さんがプルプルッと震えた。
――って、何やってんの俺?! 触っちゃった、触っちゃったよ南条さんの頭。え、髪触っちゃったんだけど。やべ……何か南条さん凄い震えてんだけど、まさかキモって思われた?!
焦りに焦ってソッコーで南条さんの頭から手を離す。
「——あっ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
許してもらえるかはわからないけど、ひたすら全力で頭を下げる。
「な、何で謝るんですか?!」
「勝手に髪というか頭を触ってしまったので……」
「い、良いんです! むしろもっと……もう一回」
南条さんが一歩俺に近づいてくる。その距離、約三十センチくらい。
こ、これは、もう一度撫でろという事でしょうか……?
ずっとドキドキしてたけど、また更にそれが増幅してしまう。
「むぅ……」
――はい、ただいまっ!
さっき拗ねてた時と同じ顔で見上げてきたから、恐る恐る南条さんの頭をもう一度撫でてみた。
「よ、良くできましたぁ……!」
南条さんの顔があまりに近過ぎて直視できず、視線を斜めに逸らしながら褒めてみた。
「ふふっ、ありがとうございます」
満足していただけたのか、そう言って南条さんはニコッと笑う。
「そ、それじゃ早く行こっか――」
これ以上は心臓が持たないと思い、南条さんの頭から手を離しスクリーンに向けて歩き出そうとしたその時、気が付いてしまった。後ろがつっかえている事に……。
「……すいません」
先頭付近にいる小学生くらいの子連れの親子やら、他校の制服を着た高校生男女四人組に頭を下げると、笑われてしまった。
それでも、微笑ましそうに笑ってくれているから少しホッとした、と思ったらもう少し後方にいる二人組のそこそこイケイケ系の男子高校生に睨まれているのが目に入る。
ドヤ顔でもかましたろか? なんて思ったりもしたが、無駄に絡まれたくないからやめておこう。
「――あわわわっ! ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでしたっ……! さっ、行きましょう隼人くん」
南条さんも後ろがつっかえてるのに気付いたのか、慌てて頭を下げると俺の腕を掴んで引っ張ってきて、そのまま早歩きで移動する。
「はぁ~、結構焦りましたぁ」
南条さんは立ち止まり、俺の腕から手を離して苦笑いを浮かべた。
「そ、そだね……」
焦ったのもそうだし、それとは別の意味でもドキドキしっぱなしで、もはや完全にループ状態だ。
けど、今日まで感じた事がなかったそのドキドキが、俺にとっては新鮮で楽しかった。
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