第16話

 それから数日後。


「あれ? サスケさん、今日も残業っすか?」

「そうだな。いろいろと立て込んでいるからな」


 職場にひとつの噂が流れていた。

 どうやら支倉サスケが彼女にフラれたらしい、と。


 そりゃ、そうだ。

 先週には、とうとう支倉サスケも彼女をゲットか、という間違った情報が流れていた。

 面倒くさいと思って否定も肯定もしなかった。


 元から彼女なんて存在しない。

 それだけの話である。


 あと、サスケの表情もよくない。

 笑う回数がめっきり減ったから、彼女にフラれたらしい、とかいう陰気な噂が流れたのである。


 ソフィアは一個、嘘をついた。

『私よりもステキなレディが、サスケの前に現れるかもしれないじゃないですか?』


 ないない。

 絶対にありえない。


 そもそもソフィア以上の女性というのが激レア。

 たとえ存在したとしても、金持ちでもない、ハンサムでもない、変わった特技があるわけでもない、平凡サラリーマンのサスケなんかに恋しない。


 残念だな、ソフィー。

 君は支倉サスケという男を買い被りすぎた。


 次にソフィアと会えるのはいつだろうか。

 3ヶ月後か、1年後か、はたまた5年後か。


 ソフィアが目にするのは、相変わらず独身を貫いて、少しだけ老けたサスケだろう。


 いいじゃないか。

 人間、健康が一番なのだから。


「サスケさん、元気出してくださいよ」

「いきなり何だよ。俺は昨日から元気だよ」

「だって、彼女にフラれたって噂じゃないですか」


 サスケはやれやれと首をふり、片方の眉だけ持ち上げた。


「フラれる以前に彼女なんていない」

「あれ? 先週、残業しなかったのは、デートじゃなかったのですか?」

「だから、違うといっているだろう。親戚がこっちに遊びにきたから、一緒に食事とかしたんだよ」

「な〜んだ。心配して損しちゃいました」

「失礼なやつめ」


 後輩がおどけたように笑う。


「とにかく安心しました。今日はお先に失礼します」

「おう、お疲れさま」


 時刻は22時。

 サスケも仕事をたたむ。


 会社を抜けて、帰りの電車に乗り込んだ。

 ガラス窓には疲れきったサラリーマンの集団が映っている。

 もちろん、サスケの姿も。


 これが日常。

 これが本来の姿。

 ソフィアがいた頃は、帰りの電車がもう少し楽しかったけどな。


 コンビニに寄った。

 弁当とサラダを手にとる。

 少し迷ってからビールも買っておいた。


「ただいま〜」


 返事はない。

 もちろん同居人の姿も。


 あれは夢だったのでは?

 ソフィアなんて少女、最初から存在しなかったのでは?


 疑いたくなる気持ちもあるが、さっぱりと片付いた部屋が、先日までソフィアがここにいて、一緒に寝起きしたことを物語っている。


 何よりサスケの左腕。

 ポツポツと空いた二つの穴。

 ソフィアは幸せそうに血を吸っていた。


 コンビニ弁当とサラダを食べる。

 おいしい……けれども、物足りない。


 ビールを飲む。

 おいしい……けれども、それだけ。


 そっか。

 会話がないんだ。

 笑いは最高の調味料とかいうしな。


 あ〜あ。

 ソフィアに会いたい。

 少しでいいから声を聞きたい。


 て、子どもか、俺は⁉︎

 ビールの空き缶をテーブルに叩きつける。


 きっと時間が必要なのだ。

 1週間もすれば心のモヤモヤが晴れるはず。


 風呂に入って体をスッキリさせる。

 明日のスケジュールを確認してから布団にもぐる。


「働いて、食って、寝るだけの人生か〜」


 いざ言葉にすると寂しいな。


「新しい趣味でもつくるか〜」


 たとえばスポーツジムとか。

 でも、1ヶ月くらいで幽霊会員になりそうだしな。


 勇気を出して料理教室でもいくか。

 でも、女を漁りにきたヤローと思われたら嫌だしな。


「あ〜あ、ソフィーがいると楽しかったな。話し相手って貴重だよな。掃除とか、洗濯とか、家のことは任せられたし。そりゃ、メシ代はかさむけれども、お釣りがくるっていうか。ソフィー、ソフィー、ソフィー。嘘ついてごめん。そりゃ、2人がいいよ。君がいないと寂しいよ。思い出なんかじゃなくて、リアルの君が一番だよ。君の話はとても興味深かったし、君のワガママに応えるの、案外、楽しかったんだ。だからさ……向こうでも楽しく笑って過ごせよ」


 ゴソゴソゴソ……。

 押し入れの中から物音がした。


 昆虫やネズミにしては音が大きい。

 犬とか猫サイズの何かがいる。


 おいおい。

 ここは住宅街だぞ。

 さすがにタヌキやキツネは出ないよな。


「もしも〜し」


 ゴソゴソゴソ……。

 返事するみたいに音が返ってくる。


 そもそも、どこから入った?

 壁に穴でも開けたというのか?


「…………」


 ごくり。

 気は進まないが退治するしかない。


 サスケは掃除機のから先を外した。

 剣みたいに構えて、押し入れに手をかける。


 3……2……1……。

 侵入者をやっつけるべく、思いっきり扉を開けたとき。


「サスケ!」


 覚えのある声がした。


「会いにきたぞ!」


 ふさふさの髪がサスケの胸に飛び込んでくる。


「えっ……お前……」


 ソフィアだった。

 子どもサイズの方。


 夢じゃない。

 リアルな温かさが感じられる。


「ど……ど……どうしてここに⁉︎」

「会いたい、というサスケの気持ちを受信したのじゃ!」

「嘘つけ! 最初から隠れていただろう! あっちの世界に帰らなかったのかよ!」

「だって、だって、だって」


 ソフィアは手足をバタバタさせて抗議してくる。


「サスケの本音を聞きたかったのじゃ!」

「はぁ⁉︎」

「サスケは本心を隠していたのじゃ! 私がそれを見抜けないと思ったか⁉︎ 何としても本当の気持ちを知りたかったのじゃ!」

「そんなことのために……」

「そんなことじゃない!」


 ぎゅ〜!

 頬っぺたを引っ張られた。

 けっこう痛いな。


「サスケは私のことが好きなのか?」

「そりゃ、まあ……」

「私とずっと一緒がいいのか?」

「ああ、そうだ」

「ふむ」


 ソフィアの体が淡い光に包まれた。


 しゅるるるる〜。

 時計の針を進めるみたいに、手、足、胸などが成長していく。


「サスケ、大好き! 愛しております!」

「ちょっと、待て! いまのソフィーは全裸じゃないか!」

「だって、だって、これから愛を育むのですから!」


 サスケは押し倒された。

 全身凶器みたいなソフィアの体が覆いかぶさってくる。


「2人でそういうことをしましょう」

「そういうことって……」

「うふふ……いまサスケが想像したこと全部ですよ」


 いきなり口をふさがれる。

 脳みそがドロドロに溶けちゃいそうなキス。


「ソフィー、本当にいいのか?」

「はい、睡眠不足になっても、私を恨まないでくださいね」

「こいつ……」


 この夜、サスケとソフィアは、東の空が明らむまでイチャラブした。

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