第15話

 ふいにサスケの視界が暗くなる。


「だ〜れだ?」

「ソフィーだろう」

「えへへ、当たりです」


 ソフィアと一緒にいると、時間の流れが早かった。

 入園ゲートを抜けたのは60分前で、ランチを食べたのは30分前という感覚だが、それぞれ6時間前、3時間前だった。


 魔法だろうか。

 楽しさを倍加させる、みたいな。


 でなけりゃ困る。

 今日という1日は直近の1年間でもっとも楽しくて、サスケのこれまでの人生が、いかに平凡で退屈だったか、突きつけられた気分になる。


 ダメじゃないか、サスケ。

 土日を楽しむのは控えめにしないと。


 お前はサラリーマン。

 土日は何のためにある?

 平日のハードワークに備えて心身を休めるためじゃないか?

 なのに全力でスワンボートを漕ぎやがって。


 やめろ、それ以上楽しむな。

 じゃないと、月曜から出社するのが辛くなるだろう。


 サスケは心の警告を無視した。

 それほどソフィアという存在は魅力的だった。


 とても名残惜なごりおしいことに……。

 最後のアトラクション、観覧車の時間がやってきた。


 遠くから見たときは大輪の花のように思えたが、こうして真下から見上げると、70mを超えるスケールに圧倒される。


 上空は絶景だろうな。

 順番がくるのを待ち切れないのか、ソフィアは全身からわくわくオーラを飛ばしていた。


「密室ですよ、密室。サスケと2人きりの密室です」

「そういう言い方はよせって」


 まったく。

 サスケの理性にも限界があるのに。


「これは期待できます。愛の言葉が聞きたいです」

「いわねえよ」


 いざ、ゴンドラの中へ。

 学生時代に戻ったかのような安心感に包まれる。


「ほぇ〜、上から見るとパーク全体はこんな形をしているのですね」


 人も、木も、建物も、ミニチュアみたいに小さい。

 ジェットコースターだって細長いヘビのようだ。


「サスケ、私たちの前に並んでいたカップルの会話、聞きましたか?」

「ああ、この遊園地の伝説みたいなやつか」


 ゴンドラが真上に到着したとき。

 キスしたカップルは幸せになれるらしい。


 なんでも、観覧車が建っているポイントには、100年前まで縁結びのおやしろが存在したそうだ。


 神様のご利益りやくが今日まで残っている。

 実際、たくさんのカップルが毎年結ばれている。

 そんな話だった。


 バカらしい。

 どうせ遊園地のスタッフが思いついた嘘八百だろう。


「そもそも、縁結びの神様とか、100年前にいるのかよ」

「サスケは夢がないですね〜」


 ソフィアはぺろりと舌を出した。

 席から立ち上がり、サスケの真横へ移動してくる。


「ほらほら、もうすぐ頂上ですよ」

「あのなぁ〜」


 地上からおよそ70m。

 胸がドキドキするのは、高さのせいか、ソフィアのせいか。


「私はサスケに幸せになってもらいたいのです」

「ソフィーはあと数時間したら旅立つだろう」

「私よりもステキなレディが、サスケの前に現れるかもしれないじゃないですか? サスケは神様のパワーを疑うのですか?」

「そんな都合のいい話……」

「あります!」


 むにゅ!

 顔をサンドイッチみたいに挟まれる。


「サスケには、たくさんの魅力があります。それは私が保証します。この先も恋人ができないなら、こっちの世界の女どもは、全員の目が節穴ふしあなということになります」

「ソフィーは、時々、いいことをいってくれるな」


 ソフィアがカウントダウンをはじめる。

 頂上まであと10秒……9秒……8秒……。


 サスケは迷っていた。

 理性はすでに溶けかけている。

 ドロドロのチョコレートみたいに。


 7秒……6秒……5秒……。


 やるか、キス。

 最後の思い出として。


 4秒……3秒……。


 ソフィアが幸せになるのなら。

 恥ずかしい伝説、信じてみるか。


 2秒……1秒……。


 カウントダウンは止まった。

 サスケがソフィアの口をふさいだのだ。


 頭の中がまっ白になる。

 心臓がガンガンと早鐘はやがねを鳴らす。


 とても気持ちいい。

 恋愛映画のワンシーンにいるみたい。

 まさか32歳になって青春っぽいことをするなんて。


「……」

「…………」


 愛のセリフなんて必要なかった。

 そこに互いの体が存在すればいい。


 サスケは恋した。

 ヴァンパイアの少女に心を奪われた。

 あと数時間でお別れなのに。


「着いちゃいましたね」

「着いちゃったな」


 ゴンドラから降りる。


 もう一周乗りましょうよ。

 そういう言葉を期待したが、ソフィアの口から出てきたのは、ありがとうの気持ちだった。


「とっても、とっても楽しい1日でした。私は大満足です。ありがとう、サスケ。私のワガママにたくさん付き合ってくれて。信じられないくらいステキな1日になりました。とっても感謝しています」


 パーク全体が夕陽の色に染まっていく。

 帰路につく家族連れの姿が目立つ。


「よしっ! 帰るか!」

「はい!」


 ニコリと笑ったソフィアの瞳は、本物のルビーみたいに輝いていた。

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