第14話

『お父さん! お父さん! もっとスピードを出して!』


 スワンボートで汗だくになっている父の背を、ポコポコと叩いて励ます。

 そんな過去があったなと、サスケは遠い記憶に思いを馳せていた。


「サスケ! サスケ! もっとスピードを出してください!」


 まさか、昔の父みたいな立場になろうとは。


 ごめん、父さん。

 スワンボートは思ったより苦しいよな。

 全力でぎまくったら脚の筋肉がパンパンだよ。


「早くあの子たちに追いつきたいです!」


 ソフィアが胸を押しつけて応援してくる。


「わかった、わかった……でも、少し休ませてくれ」

「まだ開始から5分しか経っていないですよ。それがサスケの限界ですか?」

「くっ……」


 しくじった〜!

 隣に女の子がいるから、つい張り切っちゃった〜!

 サスケは自分の浅はかさに呆れてしまう。


 ちなみに、ソフィアが『あの子たち』と呼んだのはカモだ。

 その他にも、コイとか、アヒルとか、子どもの好きそうな動物がたくさん泳いでいる。


 ソフィアが片手に持っているのは動物のエサ。

 1個150円なり。


 子どもにはエサやり体験を。

 父親には筋力トレーニングを。

 同時に2つの楽しみを提供してくれるのが、ここのスワンボートの魅力なのである。


「あっ、コイがたくさん集まってきました」

「ソフィーのエサの匂いに反応したんじゃねえか」

「おもしろいです。私たちのボートを追いかけてきます」


 パラパラパラ。

 平民に向かってお金をばらまくお姫様みたいに、ソフィアは優美に笑っている。


「ほらほら、たくさん食べなさい。でも、みんなで分けないとダメですよ」


 へぇ〜。

 ヴァンパイアでもエサやりは楽しいんだな。

 なんか微笑ましいかも。


「サスケ、漕ぐのを代わりましょうか?」

「しかし、女の子にこんな重労働をさせるわけには……」

「忘れたのですか? サスケよりも私の方が、何倍も強いのですよ」

「ぐっ……」


 そうだった〜!

 最初から手伝ってもらえばよかった〜!


「それに私の魔法をつかえば……」


 ソフィアが近くの空気をかき回す。

 途切れることない追い風のできあがり。


 すごい!

 ペダルがさっきよりも軽い!

 小さな補助エンジンが付いているみたい。


「もしくは、水に直接はたらきかけることも可能です」


 おおっ!

 水流だ!

 川をくだる小舟みたいに猛スピードで進んでいく。


「すげぇな。風が気持ちいいぜ」

「うふふ、風と水を組み合わせると、ほら」


 右に曲がったり、左に曲がったり。

 一台だけ性能の違うボートに早変わりした。


「あっはっは! イルカの背中にでも乗っている気分だぜ!」


 白い波を立てながら快走する。

 近くで休んでいたアヒルの家族が、びっくりして逃げていった。


 おっと、いけない。

 これ以上やると目立ちすぎる。


「ねえねえ、サスケ、あれを見てください」

「ん? 次はなんだ?」


 別のボートに若い男女が乗っていた。

 湖のど真ん中で熱々のキスを交わしている。


「私たちもアレをやりましょう」

「アホか。こういう場所でやるのは不謹慎ふきんしんだろうが」

「そうなのですか?」

「常識だぞ」


 ソフィアはあごに指を当てて、じぃ〜と考え込んでいる。


「でしたら、不謹慎な彼らにはお仕置きが必要ですね。私の魔法でボートをひっくり返してあげましょう」

「や〜め〜て〜! 遊園地のスタッフに迷惑がかかるから!」


 不服そうな目を向けられる。


「サスケは私とキスしたくないのですか?」

「それは……だな……」


 メチャクチャしたい。

 何回でもキスしたい。


「なぜキスしてくれないのですか? 私という存在が不浄だからですか?」

「それは違う。ソフィーのことを避けているわけじゃない」


 だって、キスなんかしたら……。

 別れるのが辛くなるだろうが……。


 女は上書き保存する生き物とかいうけれども、男は名前をつけて保存する生き物だから、一生ソフィアとのキスが忘れられなくなるんだよ。


 いわば、未練を残さないため。

 サスケなりの保身である。


「サスケは複雑すぎます。なんでも我慢しすぎです。食べたいから食べる。遊びたいから遊ぶ。寝たいから寝る。それが生きるってことじゃないですか?」

「そうはいかないんだよ。少なくとも、この社会じゃそうはいかない」

「誰が決めたのですか? 国ですか? 会社ですか? サスケの親ですか?」

「またまた難しい質問を……」


 サスケが答えあぐねていると、ソフィアはお上品に笑った。


「ごめんなさい。サスケの困った顔を見るのが好きなのです。でも、さっきの質問。答えがわからない、ということは、サスケがサスケ自身を、モラルとかルールとか、目に見えない鎖みたいなやつで、ガチガチに縛っているのでは?」

「ああ、そうかもしれん」

「真面目すぎます」


 ソフィアに首を抱かれた。


「恥ずかしいから。目を閉じて」

「お……おう」


 チュッと。

 唇に温かいものが触れた。

 目を開けると、頬っぺたを赤らめたソフィアの顔があった。


「これで私たちも不謹慎の仲間入りですね」

「まあ……そうなるかな」


 チュッと。

 もう一回キスされる。


「ボートの上でキスした少女のことを、サスケは忘れますか?」

「いや、忘れない。何年経っても、何十年経っても、絶対に覚えている」

「うふふ」


 ソフィアの匂いが遠くなる。


「そうそう。早く戻らないと、ボートの延長料金を取られますよ」

「あっ! いけねぇ!」

「サスケ、ファイトです! 本気を見せてください!」

「ぐおぉぉぉらぁぁぁ!」


 漕いで、漕いで、漕ぎまくった。

 ソフィアに格好悪いところを見せたくない。

 そう思うくらいには、男のプライドが仕事してくれた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 ギリギリセーフ。

 全身が汗でびしょ濡れになっている。


「サスケ、パーフェクトです!」

「サラリーマンのド根性、めるな」

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