第5話

 バシャーン!


 湯船からあふれたお湯が、洪水となって流れていく。

 サスケは手足を伸ばして、水の浮力を感じながら、全身で気持ちよさを味わっていた。


「ふぃ〜、今日も1日、がんばったぜ〜」


 今夜は入浴剤を入れてみた。

 九州出身の後輩がお土産でくれたやつ。

 開封するきっかけがないまま、半年くらい放置しておいたのを、ソフィアが掃除で見つけてくれたのだ。


『なあなあ、サスケ、これは食えるのか? おいしいのか?』


『いや、それは入浴剤といってだな……』


『なんじゃ、食べ物じゃないのか』


 あやうく飲み込むところだった。

 たぶん、注意書きとか読まないタイプだな。


「たまらね〜」


 お湯がスベスベしている。

 ほんのり香る硫黄いおうしゅうが、ここが自宅だということを忘れさせてくれる。


 いいな、温泉。

 久しぶりに一人旅してみるか。

 近場なら一泊二日でも十分楽しめるだろう。


 温泉といったら、やっぱり懐石料理かいせきりょうりだよな。

 ビールを片手に天ぷら……いや、そこは地酒がいいか。


「気持ち良さそうじゃのう」

「まあな。少しだけ非日常って気分だ」

「おお、お湯に色がついておる。ミルクみたいににごっておるのじゃ」

「温泉だよ、温泉。その成分を粉にして、うちの風呂に溶かした、いわばエセ温泉だけどな」

「ほうほう、愉快なことを考えるな。さすが神秘の国ニッポン」


 ん?

 ちょっと待て。


「なんでソフィーが入ってきてんの⁉︎」


 サスケはひっくり返りそうになる。


「サスケは知らんのか。お風呂はみんなで入った方が楽しいんだぞ」


 ソフィアはシャワーで体を流すと、勢いよく湯船にダイブしてきた。


 バシャーン! と気持ちいい水柱が立つ。

 ずぶ濡れになったソフィアは、ぶるぶると犬みたいに首を振る。


「ぷは〜! ポカポカなのじゃ〜!」

「豪快すぎるだろう。おじさん、びっくりしたよ」

「あっはっは。私が一緒だと楽しいじゃろう」

「う〜ん……」


 ソフィアの顔をまじまじと見つめた。


 外見は10歳くらい。

 お父さんと一緒に入浴しても許されるレベル。


 まあ、いっか。

 吸血鬼と暮らせるチャンスなんて、一生に一度だろう。

 もしかしたら、吸血鬼と一緒に入浴した唯一の日本人だったりして、とかバカっぽいことを想像してみた。


「なあなあ、サスケ、何秒息を止められるか勝負しよう」

「嫌だよ。硫黄の匂いがするし。ヴァンパイアに勝てる気がしないし」

「むむむ……。それじゃ、私が潜るから、サスケが秒数をカウントしてくれ」

「それならいいぜ」


 自己ベストが何秒なのかいてみた。


「50秒ジャストなのじゃ」


 ふ〜ん。

 人間よりもちょっと長いくらいか。


「よ〜い、どん!」


 息を吸ったソフィアが、ぶくぶくぶく〜と沈んでいく。


 1……2……3……。

 サスケは声に出してカウントした。


 18……19……20……。

 このあたりは余裕そうだ。


 40……41……42……。

 お、これは新レコードの予感か。


 46……47……。

 ソフィアの体がモゾモゾしている。

 がんばれ、あと一歩だから。


 50……51……。

 ここからは限界との戦い。

 どこまで自己ベストを伸ばせるか。


 61……62……63……。

 あれ? けっこう粘るな。


 71……72……73……。

 おいおい、記録を20秒も塗り替えちゃったよ。

 さすがに根性ありすぎじゃない⁉︎


 81……ソフィー!

 82……生きてるか⁉︎

 83……OKサインをくれ!


 ち〜ん。

 呼びかけても無反応。


 絶対に窒息ちっそくしていると思ったサスケは、ソフィアをお湯から引き上げた。

 バスマットに横たえて、呼吸をチェックする。


 くそっ。

 水を飲んでいる。

 人工呼吸するしかない。


「なんてこった……事故じゃねえか」


 見かけは人間でも、中身はヴァンパイアなんだ。

 簡単にはくたばらない……と信じたい。


「すまん、ソフィー、唇に触れるぞ」


 空気を送り込もうとした、その瞬間。


 クックック。

 ソフィアの肩が上下に揺れた。

 ルビー色の瞳がいたずらっぽく光っている。


「大成功なのじゃ」

「はぁ?」

「まんまと引っかかったのじゃ」

「ああっ⁉︎」


 さすがのサスケもだまされたことに気づいた。


 死んだふりの手口を食らうなんて。

 何年ぶり、いや、十何年ぶりだよ。


「お前なぁ〜!」


 ソフィアの体を抱きしめる。


「うわっ⁉︎ サスケ⁉︎」

「メチャクチャ心配しただろうが〜!」

「あわわわわっ⁉︎ そんなにキツく抱かれたら⁉︎」

「ソフィーが死んだと思ったんだぞ! もう二度と目を覚まさないかと!」

「すまん……すまん……やり過ぎた……悪いことをした……許してくれ」

「バカやろ〜。ソフィーに万が一があっても、病院がちゃんと手当してくれるのか、分からないんだぞ!」

「ごめんなさい、なのじゃ」


 反省している様子のソフィアを解放してあげる。

 不覚にも、サスケの目の奥がツーンと痛くなった。


「なんじゃ? 泣きそうになっておるのか?」

「うるせえ。人間、歳をとったら涙もろくなるんだよ」

「サスケはいいやつだな。出会ったばかりの私のために怒ったり、悲しんだり」

「出会ってからの長さが関係あるか。どれも大切な命だろうが」

「うぅ……たしかに……」


 しゅん、としているソフィアをもう一度抱きしめる。


「あぁ……うぅ……サスケよ、私はこう見えても、中身は一人前のレディなのじゃ。心臓の音が聞こえそうなシチュエーションというのは、いささか恥ずかしいのじゃ」

「あ、そうだった、すまん、つい」

「照れおって、かわいいやつめ」

「あのな……」


 この後は平和に入浴した。

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