戦争が始まってしまいます
偵察隊からの報告があったそうです。
「報告です。国王陛下、エル王子」
偵察をしていた兵士達がそう報告をしてきます。
「北方、遥か遠方に帝国ビスマルクから大量の兵士が送られてきているそうです」
「そうか……やはりな」
「いかがされましょうか?」
「隣国アーガスと共同戦線を準備している。その兵士達を動かせ」
「はっ……了解しました!」
こうして、帝国との戦争が本格的に始まってしまうのでした。
恐れていたことがついに現実となってしまうのです。ですが覚悟していたことでもあります。この為にエル王子や私達はできうる限りの準備をしていたのですから。
ショックは思ったより大きくありませんでした。意外と平静としていられる自分に多少なり驚いています。
それは他人事だからというのもあるかもしれません。私が直接傷を負い、命を落とす可能性は低いです。
戦場で傷つくのは兵士ですから。心は痛むかもしれませんが、肉体的な痛みや生命の危険は恐らくはないのです。
ですがエル王子の辛そうな表情を見ていると私まで辛くなってくるものでした。
どうか、この戦争が早く終わりますように。そして傷つき、命を落とす兵士が一人でも少なく済みますように。
私はそう祈るばかりだったのです。
◇
偵察隊からの報告を受けた後、私とエル王子は空き部屋で二人きりになります。
「エル王子……辛そうな顔をしています」
エル王子の辛そうな顔は最近見ていませんでした。こんな辛そうな表情は私が最初にエル王子と会った時からありませんでした。
つまりはエル王子が病気で床に伏せっていた時くらいのことです。
辛いに決まっています。これから戦争が始まるのですから。多くの兵士が傷つきます。命を落とします。血が流れるのです。兵士は兵士ですが、当然のようにその大部分は国民から選出されているのです。
亡くなれば勿論、本人も可哀想ではありますが、その家族も悲しむことになるのです。
国民が亡くなるとはそういうことです。
ですが、ただの一介の薬師である私にはできることなどありません。
「……すまない。アイリス。君にこんな表情を見せるなんて」
「無理もありません。戦争が起こるのですから。平静を取り繕えと言われても難しいことだと思います。エル王子だって、人間です。時には弱気になる時もあります。他の誰かに見せられなくても、私にくらい弱いところを見せてくれてもいいんですよ」
「……アイリス」
「エ、エル王子」
私はエル王子にベッドに押し倒されてしまいます。エル王子の美しい顔が間近で見えます。それはもう、吐息がかかってくるほどに。
わ、私はこれから一体どうなってしまうのでしょうか。
「だ、だめです……エル王子。私達にはまだ、そういうのは早いです」
早いです、と言ったものの。エル王子は屈強な男性です。そして今、部屋には私達二人しかいないのです。やはり男の人の力には敵いません。エル王子がその気になってしまえば、私はされるがままになってしまうことでしょう。
「……すまない。アイリス。君からまだ返事も聞いていないうちにこんな真似をして」
「……い、いえ。私は別に気にしていません」
はぁ……。私はため息を吐きます。このままエル王子が野獣のように襲い掛かってきたらどうしようかとも思いました。だからほっとしましたが、何となく残念でもあったようにも感じています。もしかして私は期待していたのでしょうか。
「ありがとうアイリス。君と一緒にいれて少し元気が出てきたよ」
「は、はい。そういってもらえれ嬉しいです。エル王子。これだけは言えます。嵐はいずれ過ぎ去るのです。今はエル王子は戦争のことでいっぱいです。嫌なことで頭がいっぱいになっています。ですが、いずれは終わります。必ず。明けない夜はないのです」
そう、私の夜もいずれは明けたのです。母を亡くし、継母と義妹ディアンナに虐げられた毎日でした。ですがそんな日常もいずれは終わりを迎えます。終わらないものなどないのです。嵐はいずれ過ぎ去りました。あの日、あの雨の日に私の夜は明けていったのです。
だから、エル王子にとっての夜もいずれは明けるのだと私は確信しています。
「そうだな。いずれは夜は明ける。その通りだ。止まない嵐はないんだよ」
時間が解決しないことはありません。時が流れれば、いずれはこの大きな問題も解決します。大きな問題であればあるほど、解決にかかる時間はかかるかもしれませんが。それでもいずれ必ず。
「そうです。その通りです」
「僕はこれから雑事があるから、そっちへ向かうよ」
「はい。じゃあ、私も調薬に向かいます。それが私の仕事ですから」
こうして戦争が始まってしまいました。ですが私達にできることには限界があります。私達の力はそれほど強いものではないのです。個人にできることなど限界があります。
ですから私達はできることをできるだけやるしかなかったのです。たとえ目の目にある問題がどれほど大きかったとしてもです。
その小さな一歩がいずれはこの大きな問題に立ち向かっていける大きな一歩となる。私達はそう信じています。
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