ヴィンセントさんが風邪で寝込んでしまいます

「げほっ……ごほっ!」


 仕事中、ヴィンセントさんが咳き込んでいました。


「どうされましたか? ヴィンセントさん。随分調子が悪いみたいですが」


「申し訳ありません。アイリス様、自分の自己管理のできてなさを深くお詫びします。本日の業務は他の者に代わります」


「待ってください」


 私はヴィンセントさんのおでこに手をやろうとしました。


「うーっ」


 私は必死に手を伸ばします。しかしおでこまで手が届かないのです。


「どうしたのですか? アイリス様」


「うーっ! 背が高くて手が届かないんですっ! 少しかがんでください! 熱を計りづらいんですっ!」


「わ、わかりました。申し訳ありません。アイリス様」


 ヴィンセントさんはかがみます。そうすれば私だって手が届きます。


「熱がありますね」


 私は熱があるのを確認した。


「まさか……件の流行り病でしょうか?」


「病にはいろいろな病があります。中には普通の風邪の場合もあります。ヴィンセントさんの様子を見ているに、普通の風邪ですね」


「なんだ、良かったです」


 ヴィンセントさんは胸を撫でおろします。


「ただの風邪を舐めてはいけないですっ! 風邪は風邪でもヴィンセントさんの風邪はすごい高熱なんですっ! 寝てないとダメなんですっ! それとお薬もちゃんと飲まないと! それと、風邪薬を調薬するからちゃんと飲んでくださいっ!」


「そ、そんな、アイリス様!! 滅相もありません、そんなお手間を!!」


「ダメですっ! ヴィンセントさんが万全でないと私の仕事もはかどらないんですっ! それと今日はもうお仕事終わりにするんで、あとはヴィンセントさんの看病をします」


「い、いけません! アイリス様! アイリス様の貴重なお時間を私の看病のために割くなど、という真似」


「いいんですっ! 私がしたいからしたいだけなんですっ! 気にしないでください。それにヴィンセントさんには普段お世話になっていますから」


「は、はぁ……ではアイリス様。お言葉に甘えさせてもらいます」


「はい。普段私が甘えている分、存分に甘えちゃってください」


 私は笑います。こうして私はひいたヴィンセントさんの看病をする事になったのです。


 ◇


「はい。あーん……」


「あーん……」


「おいしいですか? ヴィンセントさん?」


「はい。おいしいです。アイリス様……ですが」


 私はヴィンセントさんの自室で看病をしていました。流石は執事らしく、男の人ではあるんですが綺麗に清掃された部屋です。塵一つないという表現が大げさではない程です。綺麗に整理整頓されています。


 私はヴィンセントさんの口に食事を運ぶのです。いわゆる『あーん』ってやつです。


「些か恥ずかしい事ではあります。私は子供ではありませんが故」


 ヴィンセントさんは顔を赤らめています。普段冷静沈着に見えますが、彼でもやはり恥ずかしいものは恥ずかしいようです。


「そうですか。でもせっかくですし今日だけは。あーん」


「あーん……」


 私は『あーん』を継続します。こうして私はその日一日、ヴィンセントさんの看病をしていたのです。


 ◇


【執事ヴィンセント視点】


「すーっ……すーっ……すーっ」


 気づいたら朝になっていた。ヴィンセントを看病していたアイリスはベッドで眠っていた。

 仕方なく、ヴィンセントはソファーに移動して眠ったのだ。全く、自分を何だと思っているのだ、この無垢な少女は。男の部屋で無邪気に、無防備に眠りにつくとは。

 

 男が獣だという事を一切知らないのか。あるいは自分を信用しきっているのか。


 あまりに無垢にして清廉。


 そうであるが故に愛おしい。ヴィンセントはそう思うようになっていた。彼女の事を見ていると笑みが絶えないのである。

 こんな感情は他の女性に対しては決して抱かないような感情だ。


「うー……おはようございます。ヴィンセントさん、私寝ちゃってましたか」


 そうこうしているうちに、彼女が目を覚まします。


 ◇


 私は寝ちゃってました。看病しているつもりが、患者の代わりにベッドで寝るとは。肝心のヴィンセントさんはソファーで寝てましたし。

 これでは本末転倒です。そして、薬師失格です。


「おはようございます。ヴィンセントさん。す、すみません、私、ベッドで寝ちゃってたみたいで。風邪の具合はどうですか?」


「アイリス様のおかげ様で、すっかりと良くなりました」


「そうですか……それはよかったです」


「アイリス様、ひとつだけよろしいでしょうか?」


「はい。なんでしょうか? えっ!? ええっ!?」


 そんな時の事でした。ヴィンセントさんは突然私を抱きしめてくるのです。


「……どうしたんですか!? ヴィンセントさん」


「私とアイリス様が主従関係にあるのは百も承知です。アイリス様は国賓。そして私はただの執事。付き人にすぎません。ですが、もうこれ以上、自分の気持ちをごまかせそうにないのです」


「な、何を……」


「アイリス様……」


 な、なんだかヴィンセントさんの様子が変です。風邪でおかしくなっちゃったんでしょうか。今すぐにでも口づけをしてきそうです。


 と、その時でした。


「え? エル王子」


 ヴィンセントの部屋の入口にエル王子が立っていた。み、見られた。ヴィンセントさんに抱きしめられているところ。


 別に私に何かやましいことがあったわけではないけど、この後の展開が凄まじくなりそうで、私の胸中は穏やかではなかった。


 なんだかまた嵐の予感がしています。






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