倉庫

「お父さん! お父さんッ!」


 スマートフォン片手に家中を歩き回る。ことの真相を確かめたいのに、探している人物は見つからない。


「お父さんってば!」


 電話をかけてもメールをしても返事がない。


 くそぅ。

 逃げたな。

 私の父、周防すおうあきらは妙に勘が鋭いところがある。幼い頃は、悪いことをしたら即座に見破られ、困っている時には助けてくれたりと、子供心にどうしてわかったのだろうと首を傾げたものだけど。


 こういう場合は、つくづく厄介だ。父が雲隠れを決めたなら、私たち家族では見つからない。


「もう止せ。あの人が、帰ってこなくなる」


 そうたしなめるのは、私の母だ。

 優雅に紅茶をたしなむ彼女の姿は、昼下がりの有閑マダムといった感じだ。正確には、キャリアウーマンの休日なのだが。私が手伝いができるようになるまでは、全ての家事は父がやっていた。


 私は自然とこめかみの辺りが細かく痙攣してしまう。父に話を訊きたくなるよう焚きつけた張本人なのに。


 躍起になって捜索しても発見できない。それは彼女自身が骨身に沁みている経験なのだろう。何か直感めいた力でも持つのか、都合が悪くなると父はふらっといなくなる。いや、家庭不和とかではなく大抵が母の熱烈すぎる愛情表現から逃げているだけなのだが。


 連絡手段も絶たれては、お手上げだ。それでいて、こちらの意志が折れた頃にひょっこり顔を出すのだ。かなり侮れない。


「ムキになって探すと余計に帰って来なくなるから止めてくれ。一晩も戻らなかったら大変だ。いくあてもなく行きずりの女と浮気……」

「お父さんにかぎって、それはないと思う」


 さらりと問題発言をする母には否定しておく。

 あの人は何だかんだ言ってて、結局はこの女性まるごとが好きなのだ。私に優しいのも自分の娘というより、母の顔立ちに似ているからだと思う。


 癪だから絶対に教えてあげないけど。

 留守電サービスの音声が繰り返されるスマートフォンを見つめた。


「ただ訊きたいことがあるだけなのに」


 父には、どうやら霊感があるらしい。

 死後の世界を視ることができる瞳に、彼はどう向き合っているのか。二十年も一緒いたのに全く気付かなかった。好奇心で詮索したいわけじゃない。せめて隠していた理由が知りたいのに。


「それが嫌なのかもしれん。おまえに特別な力がないと知った時、あのひとはとても喜んでいたからな」


 考えていることを読まれたみたいだ。カップに口をつける母は謎めいた理由を明かす。


「……どういうこと?」

「今、そんなことはどうでもいい。とっとと諦めろ。私は、あのひとと交渉しているの最中なのだ。これ以上、避け続けられてはたまらない」


 やはり、当然のように教えてくれない。

 今度は何を言って父を困らせているのか。どうせ一緒にお風呂に入りたいとかいう、くだらない用件に違いない。


 すると、もしや父が行方不明の原因はそっちなのだろうか。何となく腹が立ってくる。


「霊感ゼロのお母さんの話なんて、全然あてにならないから訊きたいのに」

「失敬な。心霊体験なら私にもある」


 売り言葉に買い言葉。母はムッとした口調で語り出した。


「あれは、私が大学生の頃だ。おまえの父親ときたら、それはもう鈍感な奥手で押しても引いても、全く気付かなくてな」

「……それ、心霊体験と関係あるの?」


 いや、そうだとしても娘相手に自分たちのなれそめを赤裸々に語らないで。



 つまり、母の粘り勝ちでようやく付き合うまでにこぎつけた頃。


 父は学生時代にいくつものサークルや部活をかけ持ちしていた。頼まれると断れない性分で、人数が足らないと泣きつかれては名前を貸してしまうという始末。それでも、文芸部には自分の意思で入ったらしく、定期的に小説や本の評論を書いて、部誌を作っていた。

 だが、いかんせん男だらけの濃ゆいメンバーたちで、新人は父ひとり。指示されれば素直に何でも書くため、先輩たちはこぞって父を可愛がった。

 特に、父が三年の時は多忙を極める。先輩たちも就活や卒論に専念するため、最後の部誌制作に明け暮れていた時のことだ。文字通り、連日連夜、全員が部室に泊まり込み。原稿を書いては、自宅アパートで食事と風呂をすませ、また部室に戻っては原稿を書くという日々が続く。

 やっと恋人関係になれたばかりの母は多少の不満はあるものの、彼らが体調を崩して倒れないかが心配だった。そこで、差し入れ片手に文芸部の部室を訪ねることにする。



「……で、その本音は?」


 腕組みして質問すると、母はワクワクといった様子で答えてくれた。


「一度やってみたかったんだ。『うちの主人がお世話になっております』的なよくできた妻っぽい挨拶」

「それ、当時は早すぎたんじゃないかな……?」


 父も不憫なことだ。

 このハイテンションに付き合わされ、結婚までさせられたのだ。今現在も衰えないとなると逃げたくなる気持ちもわかる。

 急に、産まれてきてすみませんと父に謝りたくなった。

 自分の存在意義を疑いつつ、話を強引に戻してみる。


「それのどこが心霊現象と繋がるの?」

「だから、文芸部の部室が曲者だったのだ」


 棘を含んだ言葉にも、まるでこたえていない。しかも、いつの間にかすでに異変は始まっていた。


 文芸部の部室は、およそ文化系とは思えない位置に建っていた。クラブハウスが並ぶ敷地内の外、鬱蒼とした雑木林の奥にある。有力なサークルや部活との競争に負け、活動の場を追いやられてしまったらしい。どこの学校にもある話だが、文芸部の扱いはもっとひどかった。

 雑木林の中には他にも似たような待遇の部室はあれど、明らかに人の手が入っていない自然の最も奥にあったという。さらにその林、山の麓に繋がっているため、勝手がわからないのに入ると遭難して熊に食われるという噂まであった。母がこっそり文芸部の先輩に詳しい場所を訊き出せば、近くにある小さな倉庫を目印にすればいいと教えてもらう。


「なんで、まずはお父さんに訊かないの?」

「サプライズで訪ねた方が喜ぶかと思って」


 そして、文芸部の先輩も驚く父の顔見たさにあっさり教えちゃったのね。

 父の知り合いは大抵、母に並々ならぬ興味を抱く。あるいは彼女を絡ませて、狼狽える父の姿を拝みたいようだ。それだけ父が浮き世離れしているイメージがあると見るべきか、母の変人ぶりを知っているからか。

 今さらながらに、すごい両親の元へ産まれてきたものである。


「……ただ、ここからが何が起きたのかよくわからんのだ」

「迷ったの?」

「そうではない。ちゃんと倉庫を見つけたし、一番側の部室に入った」


 道は迷わなかった。

 そもそも雑木林の奥にあるといっても、歩いて五分以内の距離だった。部室も鍵もかかっていないので、中に入ってみる。

 薄暗い室内には、ひとりの部員がいた。もちろん、その男子学生は父ではない。光が差し込まない部室の中で、何故か帽子を目深に被っていたという。


「最初から変だなと思った。私が来る時間は先輩たちに伝えてあったし、あのひとを釘づけにするようにも頼んだから」

「……ちょっと文句を言いたいところだけど、まぁ、いいや。お父さんや他の先輩たちは?」


 訊ねると珍しく母が口ごもった。

 その部員は、何を言っても答えなかったという。

 当然、父や他の部員の行方はわからず、世間話も弾まない。押しつぶされそうな沈黙に弱り果てた頃、携帯電話の着信音が鳴り響く。


 ディスプレイに表示された名前は、父だった。


「よかったね。入れ違いになっただけとか?」

「……そう単純な話でもなかった、ようダ」


 だんだん、口調が尻すぼみになり、語尾が裏返る。母にとって、いまだにどう処理していいかわからない現象が起きたようだ。

 スピーカー越しの父の声音は、妙に焦っていた。近くに先輩たちもいるのだろう。微かに笑声も耳に届く。父の口ぶりでは、母の思惑や先輩たちの企みを知っていそうだった。仕方なく、これまでの経緯と部室にいることを白状すると、さらに父は狼狽する。はじめは先輩たちに冷やかされて動揺しているのかと思ったが、違うらしい。


 早く、その場所から出ろという。


「……どうして?」

「その時点では話せないの一点張りでな。とにかく出ろ、その男には急用ができたとでも言えと」


 前回以上に脈絡がなさすぎた。


 明らかに、父は恐れている。

 部室か、母の安否か。

 今までの発言から察するに、その場所に母がいることがまずいような気がする。

 とはいえ、理由もなしに指示されても、本人としては戸惑うだけだ。母も、部室で待っていれば合流できると思ったらしく、わざわざ外に出る意味がわからない。

 じわじわと言いようのない不安が掻き立てられる。それでも原因がわからないため、無視してしまう。気のせいだと渋る母に、たたみかけるような説得を始める。

 自分たちは、近くのコンビニにいる。

 急に原稿のミスが出て、しばらく修正に時間がかかるから、ここへ来てくれないか。

 しどろもどろに言い訳を並べる父に、心が傾いた。だが、うまく事情が呑み込めない母は、なかなか腰をあげようとしない。当然ではある。その時点では、彼女の手元にほとんどの情報がない。父がひとりで慌てているようにしか思えなかっただろう。


 とはいえ、さすがは運命の相手。

 最後の駄目押しに、父はやけっぱちに叫ぶ。


『ごめん。声を聞いたら、会いたくなって……今すぐ君の顔が見たいんだッ!』


 もちろん、母は真顔で即答する。


『わかった。すぐに向かおう』


 電話越しに父を冷やかす先輩たちの笑い声が、何よりも心地いいBGMだったという。


「……どうした。いきなりテーブルに突っ伏して。行儀が悪いぞ」

「別に」


 どうして、この人は父相手だと、こうも単純になれるのか。最愛の人に毎回うまく誘導されていることに気付いていないのだろうか。

 父は、たまに母の扱いに困ると超直球な愛情表現をする。下手に反対したり拒否するより、優しい言葉をかけて譲歩させるといった策士ぶり。まぁ、父も心にもないことを言ってるわけじゃないと思うけど……


 止めよう。

 この夫婦のバカップルぶりに、ツッコんでも時間の無駄だ。私は脱力した姿勢を直し、先を促した。


「……どうぞ。話の続きを」

「うむ。そう言われたからには私も行かなければならないだろう」


 つまるところ、無性に父に会いたくなったんだな。


『ごめんなさい。急用ができたので帰ります。これ、差し入れ……皆さんでどうぞ』


 恋人の言いつけ通り、母は当たり障りのない挨拶を残し、適当に買ってきたパンや菓子類を置いていく。


 逸る気持ちを抑え、部屋を出ようとすれば。

 背後から、右手首を掴まれた。

 強い力で、引き止める。

 母が驚いて振り向いても、男は無言で手を掴んだまま。この時、母は唐突に「取り込まれる」と思った。一気に心臓を鷲掴みにされるような恐怖に襲われる。


『放せ!』


 全力で手を振りほどき、部室を飛び出した。無我夢中で林の外を目指して走り続ける。必死に足を動かすも、何かがおかしいと異変に気付いた。走っても、走っても、出口が見つからない。


 雑木林から出られない。

 方向は間違っていないはずなのに、見慣れた景色が現れない。



「……それで、どうしたの?」


 いきなり過ぎる急展開に、声が上擦った。図太い神経の持ち主だからと侮った報いか。

 鬱蒼とした雑木林から抜け出せない恐怖。想像しただけで、ぞっとする。

 なのに、母はあくまで淡々として話を続ける。


「しばらく走ったな。息が切れても、立ち止まったらあの男が追いかけて来そうで……振り返ることもできなかった」


 夢中で走って、とうとう足がもつれ、転倒する。もう駄目だと思った時、右腕に陽の光が当たっていた。

 開けた視界には、大学の校舎やクラブハウスが現れた。遠くには血相を変えて、こちらに駆け寄ってくる父の姿も見えた。


 ほっと安堵するも、陽光の熱で温かくなった右手を見ると、

 くっきりと人の指のあとが残っていた。



「時間が経つにつれ、内出血したかと思うほど青黒く変色してな。やはり、あの男は人間ではないと思う」


 二十年も経った母の右手首には、何の傷痕もない。病院でも異常なしとの診断をもらったが、完全に消えるまで不安は去らなかったという(主に、父が)。


「やはり……って、いうか、正体は何だったのよ?」


 聞き終えた感想として、真っ先にそれが気になる。母も、後からわかったことがいくつかあるという。当時を思い出しながら、手探り状態で説明を始めた。


「具体的にアレだと明言はできんが……あのひとが言うには倉庫に何かいたようだ」

「文芸部の隣にあったっていう?」

「ああ。人間でもない、動物でもない。複数の念が集まってできたものだと聞いている」


 長い年月を経て、徐々に発生した悪意の念。それらが互いに引き寄せられ、形をなしたもの。その場所が、たまたま倉庫だったという話だ。


「でも、お母さんはその隣の部室に入ったんでしょ?」


 無関係ではないかと問いかけると、意外にも母は曖昧な返事をした。


「だと、思ったんだが……後々、青い顔したあのひとに『君、どこにいたの?』と訊かれてな」

「はぁぁぁ?」


 私は思わず眉間に皺を寄せた。

 わけがわからない。特に、父の言動が。両親も互いにひとつひとつ状況を確認してみたところ、全体像が見えた途端、背筋が凍る思いだったという。


 まず、文芸部にいたはずの父たちは、確かにコンビニへ移動したという。重大なミスが発覚し、レイアウトの見直しが必要になった。大幅の修正を余儀なくされた部員たちは、母との約束を忘れるくらい、慌てふためいた。


 問題は、その時だ。

 文芸部の全員が部室を出たという。当然、戸締まりもした。部室を訪ねた母が見た男は誰だったのか。それ以前に、部室に入れないはず。


「……入る部室を間違えた~とか?」

「それも考えたんだがな」


 私の希望的観測にも、否定する声は固い。何しろ、その当時は部室荒らしが数件ほど発生していて、学生課より戸締まりの徹底を注意されたばかりだ。よって、他の部室も施錠には気を使っていたはずだと主張する。


「じゃ、考えたくないけど、件の倉庫……」

「――――は、元から使用されていないし、鍵は学生課が持っている」


 私の言葉を引き継ぐようにして、浮かぶ疑問は消去されていく。一般の学生が悪戯を仕掛ける余地はないということ。自分の身に起きた災難だというのに、母は他人事みたいに検証していく。


「残る仮説は、現実的にはかなり低いが……例の男が部室荒らしの犯人だった場合だな。電話をしていた最中、あのひとはそれを恐れていたらしい」

「うん。まぁね。生きてる人間の方が怖いよね」


 確率として低いが、全くあり得ない話でもない。母は最初、文芸部員だと勘違いした。生身の人間なら、正体が露見した時が最も危険だ。相手が妖怪でも、素早くその場を立ち去るのが賢明だと父は判断したのだ。もし、これで母が帰らぬ人になっていたら、私は存在していない。


 どちらにせよ、物騒なエンディングにならずにすんだ。ホッと安堵する束の間、母は忘れかけていた重大要素を思い出す。


「でも、私はどこにいたのやら……」

「やっぱり部室じゃないの?」


 犯人である念の塊が、母を誘い入れる空間でも作り上げたとか?


 むちゃくちゃすぎる仮定に、自分で笑ってしまう。そんな物理法則を無視した現象、そうそう起こりっこない。頭をかすめたイメージを皮肉っていると、母はしれっと告げてきた。


「なら、私が持ってきた差し入れは?」

「あ」


 問われて、口を噤む。


 そうだ。

 母の入った部屋が現実に存在するなら、手みやげが残っているはず。だが、後日、文芸部の室内全体をひっくり返してみても、袋すら見つからなかった。


 倉庫も同様で、それらしきものは発見できなかったという。わざわざ父が学生課を言いくるめて鍵を借りきて確かめたのだ。人為的な悪戯でないかぎり、母が入った部室は別の場所ということになる。それとも、今も食べ物を残したまま、どこかに存在しているのだろうか。


(……まさかね)


 飛躍しすぎた発想に、我ながら苦笑する。

 例え、それが事実だとしても、体験した母には何の実害もない。羨ましい反面、いささか同情する。彼女自身が知りたい世界について、わずかな片鱗さえ感じ取れないのだから。


 わざとらしく母が唇を尖らせる。


「むぅ。改めて考えると、あれは心霊体験だったのか」

「かぎりなく、お母さんの記憶捏造だね。現時点では」

「むむ……ッ」


 証拠がなければ、逞しい妄想力だと言ってみた。母を疑っているわけではないが、相手の目的がわからないなら信じようもない。みたいなことを伝えれば、ムッとした表情で反論された。


「私は、嘘は言ってない」

「そうだろうけど、他に物証がないんじゃね」


 母が、そこにいたという証明ができなければ、考えられる仮説も決定打に欠ける。


「大体、なんでお母さんが狙われたのか……」

「きっと、ひとりだったからだろうな」

「は?」


 特に期待していなかった疑問に答え返された。しかも、即座に。


「あの人も部室を行き来する度に、何かの気配は感じていたようだ。近くでも複数で行動するかぎり、接触してこないと知ったから放置していたらしく……」


 頭を掻きながら、さらりと怖いことを言う。少しだけ、父を取り巻く日常の生活水準がわかった気がする。もちろん、霊的レベルで。


「要するに、サプライズに固執するあまり、確認しなかった私が悪かっただけなんだが」

「……普通なら、そんなハプニングには発展しないだろうしねぇ」


 しみじみ呟く。


 真剣に悩むわ。

 恋人を喜ばせたくて画策した計画で、生命の危機に瀕する確率はどれくらいだろうか。それと同時に、そんな危ない存在を知りつつも、極力、周囲に黙っておく父の度胸がすごい。むやみに怖がらせないようにという配慮なのか。どうにもできないから放置していたのか。


 どちらにせよ、並の胆力では乗り切れない環境だ。他人に、ほいほいと簡単にカミングアウトできる話ではないな。娘の私にも隠していた理由も、それなのだろうか。腕組みして母の言葉を反芻する内、別のことも思い出した。


「そういえば、お父さんと何の交渉中なの?」


 あまり気乗りしないが、この場に父がいない理由を確かめたくて訊いてみる。案の定、母はめちゃめちゃ嬉しげな顔をした。


「ふふふ。知りたいか」

「ん、まぁね」

「そんなに知りたいか」

「うーん。たぶん、それなりには」


 くどいように念を押してくるが、自棄になる方が面倒くさいので適当に相槌を打つ。父に関してのみ、頭のネジが弛んでるんだと言い聞かせる。すると、再びワクワクと瞳を輝かせた母は興奮ぎみに教えてくれた。


「うむ。思いもがけない昔話で、あの人への気持ちを再認識してな。おまえも、そろそろ手がかからなくなってきたから、もうひとり家族を増やそうかと……」

「はいッ!?」


 声を遮った私は、悪くないと思う。しかし、向かいに座る母の表情は怪訝そうだった。


「だから、おまえに弟か妹をプレゼントしようかと」

「いーやー! やめてよ! 今さら弟妹が増えるなんて、嫌だからッ!」


 真っ青になって叫も、母の目は本気だ。何を反対されているのか、よくわかっていない。


「たかが20歳差だろう。何が嫌なんだ? 晩婚化や年の差婚という単語が浸透しつつある現代、さして問題は……」

「あるでしょう、いろいろとッ!! そういう諸々の事情とか、娘にぶっちゃけるタイミングとか! お父さんは何て言ったの!? たくさんある問題の中で、お父さん意見が一番、大事でしょうぉぉぉッ!?」


 精一杯、早口でまくし立てる。

 ここで彼女に呑まれてはいけない。一瞬でも怯んだら終わってしまう気がする。具体的に、これと明言はできないけれど。


 私の尋常でない慌てっぷりが伝わったのか、母も少しだけ表情を曇らせた。


「むむ。確かに、あの人もえらい動揺して涙目のまま『それだけは勘弁してください』と謝ってきたが……」

「当たり前だよ! 今すぐ、その計画はキャンセルして! メッセージで『嘘。ごめん。冗談だったのヨ』って送って!」

「いや、不可能だとは言わなかったから、まだ望みはあるかも……」

「ないない! 絶対ない! というか、望んでるかぎり、お父さん帰ってこないから! 私、今すぐ会いたいよ!」


 混乱のあまり、意味不明なことを口走ったかもしれないが、この際どうでもいい。


 あらゆる手段を講じて阻止せねば。歳だからとか、反対されたからとか、母にとって大した障害ではない気がする。放っておいたら『あと半年で、おまえはお姉ちゃんになるぞ』とか告げられるかもしれない。こんなグダグダな雰囲気の中で。


 絶対、嫌だ。断固拒否する。

 最悪な未来を想像した直後、ガチャッと玄関の扉が開いた音がする。


 まさか、このタイミングで!?

 かなりまずくない!?


「むッ。まさか帰ってきたのか! これは好機ッ!」

「やめて、やめてッ! ほんとにシャレになんないからッ!」


 脱兎のごとく玄関に向かう母を慌てて追いかけた。

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