アヤカシ奇譚

MaiKa

煙突

 母は、不思議なひとだ。

 赤毛が似合う美女だというのに、竹を割ったようなサッパリとした男前な性格をしている。家事はとんと苦手だが、外でバリバリ働くキャリアウーマン。何でも道筋を立て、論理的に思考するのが彼女の基本スタイルである。

 それなのに、なぜか、幽霊や物の怪といった非科学的な存在を信じる。かといって、そういった人ならざるものが視える体質ではないようだ。

 むしろ、仲間と噂の心霊スポットに出かけて行ったものの、自分だけが何も感じないという、すこぶる鈍い感覚をしている。横では友人たちが、何かに怯えてギャーワーと騒いでいても、ひとりで置いてけぼりを食らうタイプだ。


「うむ。以前、知り合いの霊能力者には『おまえは守りが強いんだろ。神仏か地霊の加護とかの』と言われたことがある。私自身は、特に思い当たる節はないのだがな」


 と、さも自然に首を傾げるあたり、我が母ながら大物と認めざるを得ない。そんな羨ましい体質だからこそ、非科学的な存在を検証したいようだ。


「証明できないからといって存在しないとは断言できないぞ。是非とも、いつかこの目で拝んでみたいものだ」


 だから、視えなくとも縁はある。

 これは、そんな母が体験した話のひとつ。





 大学時代。

 サークルの先輩が、教えてくれた噂が始まりだった。その先輩を仮に、矢島やじまと呼ぶことにしよう。どうやら、母はその先輩の名前を忘れたらしい。

 彼が、高台にあるアパートへ帰る途中。毎日、上り下りする坂道から見える風景で、一点だけ気になる場所があった。

 街の中からのびる高い煙突。それだけなら、特におかしいとは思わなかったが。ごくまれに吹き出す煙は、白だったり黒だったり、赤だったりする。

 火葬場か、ゴミ焼却場か、銭湯か。知り合いを手当たり次第に訊ね歩くと、偶然にもゼミ仲間が地元に伝わる噂を教えてくれた。

 その煙突のある施設は、銭湯だったらしい。商売をしている内は何の問題もなかったが、経営難で廃業したあと、取り壊しもせずに建物だけが残った。人々の興味が薄れ、夜な夜な忍び込む若者が増えてきた頃、異変が起きる。暇つぶしに侵入した人間が行方不明になった。しかも、ひとりやふたりの話ではない。肝試し気分で入り込み、探索中に姿が見えなくなる。それが共通のパターンだった。ことが発覚する度に、警察は行方不明の捜索に乗り出すが、いまだ誰も発見されていない。

 矢島先輩が聞いた話によると、その銭湯は煙突の真下、ボイラーには決して辿り着けないようだ。レンガの囲いで塞がれていて、中には入れない。誰かが何らかの理由で封印したのだ。そこに行方不明の若者たちは閉じ込められ、燃料にされたことで絶命している。日によって煙の色が違うのも、死体を燃やしていたからだ。相手は、火葬場のようなプロじゃない。人体を燃やし尽くす温度調節なんて知るはずもない。だから、日によって煙突から出る煙の色が違う。


 ――――今夜、行って確かめてみないか?



「まさか、そんなの信じてついてったの?」


 黙って拝聴していた身では、そう反応するしかない。かなり都市伝説として脚色されてるっぽい。ツッコミどころは満載だ。怖い話として脅えるより、胡散くさくて怪しい。

 こんな話で肝試しについていったのかと疑わしげに見つめれば、母はきっぱりと否定する。


「いいや。明らかにおかしいだろう。話が矛盾している」

「というと?」

「レンガで囲い込まれたボイラー室に、どうやったら侵入できるんだ? また、中を確認できない状態で何故、行方不明者が監禁されたとわかる? 密室の中で起きた出来事を誰が見聞きできるんだ?」


 ずっぱりハッキリ明瞭な解答である。オカルト好きにしては、ナンセンスとも言える発想だ。

 だが、母はあくまで続ける。その後の論理展開は、なかなか愉快だった。


「おそらく、最初に流れた他愛ない噂に尾ヒレ胸ビレ腹ビレ尻ビレがついて、メダカというより熱帯魚のような優雅さを身につけて勝手に泳ぎ出したんだろう。その内に元が何だったか忘れるくらい、事実とは違うねじ曲がった怪談になったというのが妥当な見解だな」


 真剣な口調の母を前に、笑いをこらえるのが大変だった。


「……ってことは、その矢島先輩の誘いには乗らなかったってこと?」

「怪しいとは思ったんだがな。私は、なし崩し的に人数に入れられてしまったのだ。彼は別の人物を誘うのに必死だったもので」


 当時を思い返すように、母は自然を宙に彷徨わせた。

 こんな場合、言い出しっぺが熱心に誘う相手なんて決まってる。噂の心霊スポットなら、本物か見極められる人間を入れたいもの。


「誘われていた人なら覚えている。私より、ひとつ上の先輩でな。大学内では霊感が強いともっぱらの噂だった」


 名前は、後で訊かされた。これも言ったつもりで忘れていたようだ。時間軸として不自然だが、区別をつけるため、ここで周防すおうあきらとして紹介しておく。まったく、母のずぼらさには呆れるばかりだ。


 閑話休題。

 彼、周防先輩と母は、共通の友人を介して知り合ったらしい。学部も学年も違ったが、素朴で優しくて、何でも器用にこなす(ここは母の独断によるものだから、あまり参考にならない)。人あたりもよく容貌も悪くはないからこそ、大学の中では浮いていたという。

 時折、周防先輩は謎の体調不良に見舞われ、挙動不審な言動をする。講義中、唐突に倒れることもあったようだ。同じ高校だった学生から噂は広まり、あっという間に特定の人物しか寄りつかなくなる。

 母のように、周防先輩の人柄だけを見る人間か。矢島先輩のように、底の浅い好奇心のみで探ってくる人間か。周防先輩も、最初は丁寧に断っていた。霊感があるかどうかの真偽はさておき、噂が定着したなら不快な思いをしたことは、これが最初じゃないはず。

 それでも、自分勝手な連中は食い下がるもので。周防先輩は渋々と誘いを受けるしかなかった。


 目的地は、あっさり見つかる。

 サークルの飲み会のあと、件の銭湯跡に辿り着いた。参加者は、先輩たちと母、他にふたりの仲間の五人だった。

 敷地内は雑草がのび放題。

 痛んだ壁は至るところがひび割れ、落書きに汚れている。夏の夜だったこともあり、虫の音と風に揺れる草花が昼間とは違う雰囲気を醸し出す。もちろん、矢島先輩の目的はボイラー室の発見だった。どう探索するか思案する最中、すでに周防先輩の顔色はよくない。


 ――――とてもじゃないけど中には入れない。


 そう主張する彼に、矢島先輩は明らかに不満を覚えた。無理に引き込んでおいても良心が咎めることもなく、今さら往生際が悪いとまで罵られる。そこまで言われたら母も黙っていられない。本物の心霊スポットならこうなることも予測ずみだったはずだ。まさか、単なる冷やかしで周防先輩を呼んだなら失礼にもほどある。謝罪しろと言ったら、もはや後の祭りだった。

 当然、矢島先輩は激怒し、仲間ふたりと共に施設内へ入っていく。母と周防先輩は、玄関の前で待たされる羽目になった。

 引っ込みがつかなかったとはいえ、個人的には矢島先輩が少し不憫だった。お門違いの同情をしてしまう中、母はとんでもないことを口にする。


「……今でも謎のままだが、矢島は何故あんなにも依怙地になっていたんだろうな?」


 不思議そうに首を傾げる彼女の仕草には、心底あきれるしかない。娘の私でさえ、気付いたというのに。


 きっと、彼は母にアピールしたかったのだ。

 周防先輩を道化ピエロに仕立てて、未知の存在に対しても動じないタフな男を演出したかったのかもしれない。そんな一計を案じたのも、矢島先輩は多大な勘違いをしたのだろう。

 周防先輩にしたら、いい迷惑だ。勝手に母の彼氏候補と勘違いされ、なかば強引に肝試しに誘われたなら、一番の被害者は彼である。

 ちょっと考えを巡らせば誰だってわかりそうなものなのに。

 母はオカルト的なものを知ることより、まず他人の機微について理解するよう努力すべきなのでは?

 もはや、指摘したところで無意味っぽい結論に到達した頃、当人がぽろりと呟きをこぼした。


「そんなことより。後は、不可解なことだらけだったんだ」

「どんな風に?」


 続きを促しつつも、矢島先輩に同情を禁じ得ない。淡い恋心を、そんなこと呼ばわりされた。

 外にいる分には、周防先輩の具合も悪化せずにすんだ。中に入っていったサークルメンバーを待つ間、世間話をしながら、彼は銭湯にまつわる情報をぼやく。母も特に深い詮索はせずに、相槌を打っていた。たぶん、こんな会話をしていたんだと思う。


「……ここは一種のパワースポットみたいだ。かなり弱くなってるけど」

「なんだと? 今、流行りの神社仏閣巡りのことか?」

「ちょっと違う。そんな神聖な力じゃなくて……人々が活気にあふれてて、街が栄えていた様子。このあたりは、その力がまだ残ってる」

「エネルギーが残ってるなら、いいことなんじゃないか?」

「うーん。ひとによるかな。俺にとっては人混みの中にいる感じ。ザワザワして落ち着かない」

「それが都市伝説の原因なのか?」

「どうかな。ここにいるひとたちは、そんなに悪質なものじゃない。毎日を懸命に生きて、その記憶が残像として灼きついてる」


 玄関の奥にある暗闇をじっと見つめる周防先輩は、それ以上は口を開かなかった。



「……どういう意味?」

「私にも、さっぱりわからん。訊ねても、本人がよくわかっていないらしい。言葉で伝えるのが難しい、概念みたいなものだろう」


 あやふやな昔話にイラッとする。

 長い時間をかけて理解したことが、その程度?


 こちら側の勝手な言い分だろうけれど、はっきりしない出来事というのはモヤモヤする。


「すると、中から仲間のひとりが飛び出してきた。矢島の様子がおかしいと騒いでな」


 さらに、状況は複雑になった。


「どうやら、矢島がひとりで騒いでるらしい。彼らも混乱していて、私たちに助けを求めてきたのだが」


 できるわけがない。

 当事者の仲間ふたりにも原因がわからないのだ。的確な判断どころか、見当すらつかない。

 その時点で、母は警察か救急車を呼ぼうとした。自分たちの手で対処できないなら、行政サービスや専門家に頼るしかないと思ったのだろうが。案の定、サークル仲間ふたりに止められた。当時大学一年生の母ならともかく、矢島先輩と同じ三年の彼らは就活と卒論を控えている。下手に騒がれては困る身分だった。

 周防先輩も無関係だと見捨てる気はないらしく、とりあえず矢島先輩を敷地内から引きずり出そうと提案する。


「え、大丈夫なの?」

「かなり危なかったと思うぞ。中に入った途端、顔色が悪くなる一方だったから」


 まぁ、周防先輩のコンディションも気になるけどさ。

 呑気に話す母に危機感は見えない。恐怖を感じないというより、単に深く考えていないだけだろうが。


 当然、誰も住んでいない廃墟なので電気など通っていない。懐中電灯が照らす頼りない視界だけが、朽ちていく景色を映し出していた。矢島先輩は奥のボイラー室(やっぱり、レンガの囲いはなかった)の中でうずくまっている。


「知らない」とか「俺じゃない」とか。ぶつぶつと小声で洩らしていたという。脈絡がなさすぎて、第三者の私は置いてけぼりだ。


「……とり憑かれたの?」

「彼が言うには、視えただけだろうと」


 それは、周防先輩の見解ってわけね。

 とにかく、矢島先輩をこの場所から移動させるしかない。男三人がかりで引きずるも、彼の様子は明らかに尋常ではなかった。額から大量の汗を流し、がくがくと全身を震わせる。目の焦点も合わず、手足も驚くほど冷えていた。


 何かに怯えている、もしくは恐ろしいものでも見たような狼狽ぶりだった。サークル仲間は、すでに青ざめて沈黙している。ただの肝試しのつもりが想像もしていない状態に直面し、後悔し始めていたのだろう。

 母も周防先輩も、彼らを責める気にはなれない。一緒にきた時点で自分たちもさほど変わらないのだから。

 ずるずると矢島先輩を引きずって脱出を試みている最中、反応が徐々に変化していく。身体を硬直させ、驚いた表情で後ずさろうとする。掴んで引き戻そうとすれば、大声で泣き叫ぶ。「いやだ」とか「来るな」とか「知らない」とか。

 さすがに大の男に全力で暴れられると移動は困難になる。知り合いの異常な態度や暗闇の中にいる恐怖で、思考がうまく働かない。生物とは違う存在を感じない母でも、日常とは違う現状に疲労と不安を感じた。


 このまま、外に出られないのではないか。

 そんな想像が頭をよぎった時、気付いた。膝をついた周防先輩が、ずっとある方向を見つめている。

 矢島先輩が恐怖に引きつる視線の先。そこに何かがいるようだった。

 無言のまま、射抜くように見返す。一秒か、十数秒かは覚えていない。彼の横顔と視線の先を交互に見比べていたと思う。


 やがて、周防先輩がにこりと微笑む。


『はい。とても、いいお湯でした』


 と言うなり、矢島先輩の意識がぷつりと切れ、その場に倒れた。驚きと怖さで、全員がまともな反応ができなかった。とりあえず、矢島が倒れたのは幸い。仲間ふたりは、さっさと担いで脱出しようとする。


 茫然としていた母の前に手が差し出された。


『きっと、もう大丈夫……行こう』


 自分だって、ふらふらなのに。

 母は、周防先輩の手を取って立ち上がった。



「で、矢島先輩の具合は?」

「う~ん……私も気になってはいる。銭湯の敷地から出た途端に目を覚ましてな。一応、病院に行った方がいいと勧めたのだが、あれきり疎遠になってしまってな。今はどうしていることやら」


 はっきりとした後日談がないあたり、母の関心の薄さが見てとれる。サークルの仲間ふたりも、顔も名前も思い出せないようだ。きっと、いろいろ気まずくて顔を合わせられなくなっちゃったのね。


 まぁ、正直、矢島先輩が私の父親とかじゃなくてよかった。同情はするけど人柄的には、答えに迷う人だ。


「じゃ、結局、何が起きてたの。その銭湯で」

「別に、何も」

「んん?」


 短くすます母に、思わず顎を突き出してしまう。

 これで終わられたら、何もかも謎のままだ。せめて、周防先輩が発した言葉の意味を知りたい。


「私は……何度、説明されてもよくわからんのだが、あの街一帯は過去の記憶が刻まれているようだ。何らかのエネルギーもある。だから、そのエリアの住人は少なからず影響を受けるようだ。矢島が混乱したのも、過去の残像が見えたんだろう。相手は、その銭湯を切り盛りしていた女将がいたらしいが」


 ――――よく来てくれたねぇ。

 ――――湯加減は、どうだい?


 彼女の生前の行いが、建物の中に沁みついている。敷地内を巡り、すれ違う人間に声をかけるのが何よりの証拠だ。矢島は、たまたまピントが合ったに過ぎない。


「すると、その先輩が『いいお湯』って言ったのは」

「そうだ。女将の心中を察し、おそらく最もほしい言葉を口にしたのだ」


 きっと彼女は確かめたいだけ。


 普段と同じ、客の賑わう自分の居場所を。

 肉体を失い、魂が離れても、記憶はまだ残っている。


「その先輩、とっても優しい人ね」


 頬杖ついて、ぼやく。

 そんな状況じゃ、誰もが吐ける台詞じゃない。記憶といっても、本人が持っているものとは違う。ビデオとか写真、メモリーみたいに機械を通した無機質なもの。


 それを瞬時に察しても、まるで張本人を相手にするかのように接することができるとは。

 私には真似できない、と思う。

 本音をいえば、周防先輩に霊感があろうがなかろうが興味はなかった。確かめようがないし、証明もできない。だが、彼について留意しておくべき点は、そこではないのだ。

 その瞳に映るもの全てを受け入れる、芯の強さ。

 母を含め、多くの人が彼を慕い、側にいたいと思わせる魅力があるのだろう。

 ようやく、ひとつの結論に辿り着いたら、母は何故か満面の笑みで頷く。


「そうだろう。そうだろう」


 やたら嬉しそうだ。

 周防先輩を誉めただけなのだが、自分のことのように喜んでいる。その子供みたいなはしゃぎ方で、私は別のことが気になった。


「その先輩、今はどうしてるの?」

「うん?」


 意外すぎる質問だったのか、母がきょとんとした顔でこちらを見返す。


「何を言っている。その先輩は、おまえの父親だろう」


 頭を殴られたような衝撃に、唖然とするしかない。


 周防彬は、確かに私の父親だが。

 この時になって、ようやくわかった。娘の私が大学生になってなお、両親は新婚みたいに仲がいい理由が。

 ちなみに、今現在の父はやはり体調が思わしくない。家庭でも仕事でも、どこか危なげで迷惑をかけまくっている。それでも、母が幻滅することはないし、むしろ嬉々として彼の面倒を見ている。彼女がオカルト的な世界に惹かれるのも、もっと父を知りたいという欲求の表れだろう(結構、父にはいい迷惑だが)。

 仕事でも、上司や同僚、友人たちが助けてくれるらしく、よく家に遊びにくる。


 こうなると、娘の私が何も持っていない常人であることが、やや悔しい。





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