見えない恐怖
聡美は生まれつき目が見えない。苦労を苦労と思わない明るい性格のおかげで友人も多く、大抵の事は1人で出来るので生活に支障はない。ただひとつを除いて。
聡美は仕事を終え自宅に帰ると、日課のストレッチを欠かさない。実家暮らしの恩恵とも言える母親の作った夕食を食べ、お気に入りのクラシックを聴いてから入浴する。この入浴が聡美にとって何よりの苦痛だった。
この数週間、湯船に浸かると必ず気配を感じる。それも目の前に。しかし、確実に自分しか浸かっていない。
感覚的には、自分の顔の前数センチ程度からじっとこちらを見られているような、そんな気配がするのだ。
初めの頃は恐ろしくてすぐに呼び出しボタンで母を呼んだが、何も無いと言われるだけだった。1週間が経つ頃には、申し訳なさと恥ずかしさで母を呼ばなくなった。どんなに怖くても、気のせいだと自分に言い聞かせた。
職場の友人と食事をしている時、ふと気配を感じた。お風呂で毎日感じているあの気配を。
突然黙り込む聡美を心配した友人は、これまでの話を聞いてこう言った。
「私ね、小さい時からちょっとだけ
「そうだったんだ。じゃあ、何か視えてる······?」
「うん。実は時々ね、あなたのことをじっと見つめてる人が視えるの。人······じゃないんだけどね」
「やっぱりそうなんだ······どんな感じなの?」
「なんだか優しい感じがするの。ずっと、隣に、隣であなたを見てる。今もね、あなたの隣に居るの」
聡美は、守護霊みたいなものかと思って少し安心した。
「でもね、容姿がちょっと······。顔が
幸い聡美には、友人の話す容姿がわからなかった。爛れたものというのも、目という物も見たことがないからだ。
しかし、その容姿に思い当たる人物がいた。聡美が2歳の時に亡くなった実母である。
出来たてのスープが入った鍋をひっくり返してしまった聡美を庇い、顔に重度の火傷を負い感染症で亡くなってしまった。
母方の祖父は聡美をあまりよく思っておらず、祖父が亡くなる前に聡美の所為で母が亡くなったこと、無惨な顔になっていたことを話した。
聡美は不思議と、この母なんだと確信した。
それから聡美はお風呂で気配を感じると、こっそり母に話しかけた。その日の出来事や悩み相談など、他愛のない話をした。
ある日、そんな聡美の様子が気になった姉の優子が、浴室の前で聞き耳を立てていた。中から聡美がヒソヒソ話す声が聞こえる。
翌日、優子は精神科の受診を勧めたが、聡美は頑として頷かなかった。しかし、心配した父親に説得され渋々受診することにした。
精神科を受診したが問題はなく、脳波なども診てもらったが、どこにも異常はなかった。
聡美はそれ以降も毎日お風呂で"母親"に話しかけた。返事はなかったが、お母さんに話を聞いてもらっているという安心感から、日に日に聡美の入浴時間が伸びた。
堪りかねて姉が声をかけたが返答がない。慌てて浴室の扉を開けると、聡美が浴槽に浮いていた。
父と2人がかりで引き上げ、看護師をしている姉が心肺蘇生を試みた。しかし、聡美は息を吹き返さなかった。
聡美は病的な発作などではなく溺死だった。しかし、そうとは思えないほど優しく微笑んでいた。
不思議に思った優子は、これまでの聡美の話を思い出し、気休めにでもなればと思い霊能者に話を聞きに行った。
霊能者の話では、全盲で生んでしまった罪悪感を抱えたまま幼い娘を残して逝った母親が 、娘を案じるあまり引き込んだのだと。
あんなに子供想いだった母がそんな事をするのだろうか。疑問は増えるばかりだった。
線香をあげにきた聡美の友人が部屋を見せてほしいと言った。そして、クローゼットから家族も存在を知らなかった日記帳を見つけた。点字で書かれたものだ。
日記には何気ない聡美の日常が書かれていた。しかし、亡くなる3日前から様子が一変する。
──ママ、もっともっとたくさんおはなししたい──
──ママ、ずっとさみしかったよ──
──ママ、むかしみたいにさーちんのことぎゅってしてて──
友人は聡美が亡くなった浴室を見たいと言ったので、言われるがまま見せた。
友人曰く、聡美は自分には母の守護霊が憑いていると信じた結果、入浴時に精神が混濁し母親に縋るようになった。そして、母親に抱きしめられている幻想をみながら亡くなったのだそうだ。
随分と具体的に言い当てているようなので霊感があるのかと優子が尋ねると、友人は「多少あります」とだけ答えた。
優子は時々友人が自分の背後を見ていることが気になっていたが、あまり気にしないほうが良いだろう。
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