【夏風色の少女】②ラスト
自然とコラボした玲夏を写していると、玲夏がふいに呟いた。
「あたし、子供の頃から体が弱くて。お医者さんからは十五歳くらいまでしか生きられないって言われていたんです」
ボクは、レンズ越しから外れて裸眼で玲夏を見る。
草原の中で風に吹かれながら、シャボン玉を飛ばしている彼女の姿は、とても可憐で無邪気に見えた。
「でも、頑張って二年間生き抜きました……この高原に来て、良かったです。だって大樹さんに出逢えましたから」
(玲夏にとっては今を、一日一日を精一杯、生きるコトが腺病な体との闘いなんだ)
ボクは、少し涙ぐみながら、微笑む玲夏の最高の一枚を写した。
その日、民宿の仕事が一段落して遅めの夕食を食べているボクに叔母が言った。
「最近、大樹の表情明るくなったね……来た時は、沈んだ顔をしていたけれど」
「そうかな」
ボクは思いきって、柏木さんと玲夏がいつまで高原の別荘に、滞在しているのか聞いてみた。
「昨年は夏休みが終わって、少し涼しくなるまで滞在していたけれど……玲夏ちゃん、あの体質だから平地の暑さは厳しいみたいよ。柏木さんも長めの夏期休暇をとってテレワークで、少しでも長く娘さんと一緒にいたいみたい……あと何回、高原の別荘に、娘と一緒に来れるのかわからないって漏らしていたわね」
ある日の午後──急な豪雨に高原にいたボクと玲夏は、慌てて近くの東屋に避難した。
びしょ濡れになった、玲夏が滝のような雨が降ってくる、真っ黒な空を見上げて言った。
「急に降ってくるんだもん……雨やみそうにないね」
玲夏がワンピースの裾を絞ると、濡れた服から水滴がしたたった。
少し寒いのか、体を冷やした玲夏は震えている。
この時、ボクは冷えきった玲夏の体を少しでも温めようと、自然に玲夏の体を抱き締めていた。
「大樹……さん」
「変な意味じゃないから……冷えた玲夏の体を少しでも温めたくて……嫌なら離れるから」
「ううん、嫌じゃない……大樹さんの体温が伝わってくる……温かい」
玲夏はギュッとボクの体を抱き締め、ボクも玲夏の体を抱き締めた。
いきなり玲夏が号泣する。
「怖いよう! 死にたくない! 死にたくない! 大樹さんと、ずっと一緒にいたい!」
玲夏の号泣は、雨が上がり雲の隙間から日の光りが差し込むまで続いた。
泣き止んで落ちついた玲夏が体を離して涙を拭う、ボクは玲夏に訊ねる。
「大丈夫?」
うなづいた玲夏がポツリと言った。
「あたし、子供の時からの夢があるんです……元気になって世界中を見て回るって夢が」
「きっと、叶うよその夢」
ボクは気休めの言葉でも、夏風色の少女にそう言うしか無かった。
その後、民宿の仕事が忙しくなったボクは、以前より頻繁に写真撮影には行けなくなった。
久しぶりに高原に足を運んでも、玲夏はどこにもいなかった……一日、二日、三日、一週間。いくら待っても玲夏は現れなかった。
嫌な予感がした、ボクは叔母に柏木さんの別荘の場所を聞いて行ってみた。
別荘では柏木さんが、玄関先に段ボール箱や、室内の物品を運んでいた──玲夏の姿は見当たらない。
ボクの姿に気づいた柏木さんが作業の手を休めて言った。
「君が来る前に別荘から去るつもりだったが……これも玲夏に引き寄せられたというコトか、来なさい君に見せなければならないモノがある」
柏木さんに案内されて、別荘の中に入る。
それは入ってすぐの部屋にあった。
隠しようのない現実をボクは突きつけられる。
荷物が整理された部屋の中央に、飾られた玲夏の遺影写真、白い布で包まれた桐の箱、祭壇に飾られた花瓶の花……そして、玲夏の写真の前に置かれたストローハット。
残酷すぎる現実に、足から力が抜けて、その場に座り込んだボクに、柏木さんは玲夏が被っていたストローハットを手渡して言った。
「玲夏は、高原から帰ってくると、いつも君のコトを楽しそうに話していた……ありがとう、玲夏に最後の素敵な思い出を残してくれて、亡くなる間際に玲夏は『できる限り大樹さんには知らせないで、心配をかけたくない、今までありがとう』と言っていたから……何も伝えずに去っていくつもりだった……許してくれ」
ボクはストローハットを抱き締める、涙が溢れてきた。柏木さんが言った。
「玲夏が好きだった帽子は、良かったら君が譲り受けて大切にしてくれ……玲夏も喜ぶ」
ボクは、何も言えずに泣き続けた。
玲夏が亡くなった現実に直面してから、数日後──しばらく、ふさぎ込んでいたボクに叔父が、有名な写真展への出展をすすめてきた。
「必要な金は全部オレ出してやるから、やってみろ。大樹には才能がある、気に入った写真があったらタイトルつけて写真展に出してみろ、プロアマを問わないみたいだから」
ボクは数点の写真と『夏風色の少女』とタイトルをつけた、玲夏を写した写真を写真展に出展した。
そして、驚くコトに『夏風色の少女』がアマチュア部門の特別賞を授賞して、それがきっかけでボク人生は大きく変わりはじめた。
ボクが『夏風色の少女』で賞を授賞してから十数年が経過した──今では少しは知名度がある、風景写真家として海外を飛び回っていたボクも結婚して子供もいて、それなりに幸な日々を送っている。
雑誌の取材で家を訪れた記者に、ボクは書斎で取材を受けていた。
「その写真ですか、世界中の美術館を巡り、今も展示要請が絶えない秀作写真『夏風色の少女』は」
「秀作だなんて、自然のままの姿を写しただけです」
雑誌の取材記者が帰ると、ボクは書斎の壁に飾られている写真を眺める、棚には古いストローハットがずっと飾られている。
壁の写真の中には、海外の美術館を巡って展示されてきた、生前の玲夏の写真も飾られていた。
玲夏の生きていた証しの一枚……玲夏の父親から「その写真は君が持っていた方が、玲夏は喜ぶ大切にしてくれ」と言われた写真。
ボクの人生を大きく変えた写真を、ボクは眺める。
あの夏の日にバイトをした高原も開発が進み、レジャーランドやホテルが建てられ、すっかり風景も変わってしまった。
写真に玲夏と一緒に写っている樹だけは、今もあの高原にある。
(大樹さん……あたしの夢叶っちゃった)
写真から、当時と変わらない笑みを浮かべている。玲夏のそんな言葉が聞こえたような気がして、ボクの目から涙がとめどもなく溢れた。
夏風色の少女~おわり~
夏風色の少女 〔現代ドラマ・ヒューマン〕 楠本恵士 @67853-_-
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