第89話 刺客5

 研究員たちはすぐにバベルタワー攻略のための攻勢に出た。タカマガハラのシステムは複雑怪奇に暗号化されていて、外部からアクセスすることは出来ない。しかしここは長きにわたって監視と管理を続けてきた場所である。

 一時間に一度のペースで変更される暗号のパターンを以前のデータから解読すれば、外部からでもバベルタワーにアクセスが出来るかもしれなかった。

 しかしその難易度はナンバーズエリア攻略と比べれば雲泥の差だ。さらにナンバーズエリアが消失し、ハコニワが露になった状態でも疋嶋が何一つ行動を起こさないのが不気味だった。

 ハコニワの管理に相当の自信があるのか、それとも他の何かに勝算があるのか。現状では全てが霧の中であり、成功する打算は皆無に近かった。


「やはり誰かが中に入って、直接バベルタワーの管理権を奪うしか道は無いのか……」


 小泊がそう呟いた。それには誰もが同意見だった。外部からのクラッキングははっきり言って時間の無駄である。

 タカマガハラのプログラミングはもはや制作当初からは見違えるほどに変わってしまった。利用ユーザーが増えると同時にそのサービスも自動変化していく。夢と言う人の結集で創造を繰り返したタカマガハラはアプリと言うよりは一つの文明のように進化していた。

 そのため管理者である東洋脳科学研究所もその文明によって変化したプログラミングをこの短時間で、ただのキーボードを使って解読するのは不可能に近かった。


「確かに、それしか手段はないかもしれん」


 士錠はそう言って、目線を少し下に下げた。疋嶋が管理しているハコニワに突入するなど正気の沙汰ではない。電脳に支配されたあの場所ではその一挙に集まったシステムを握る者が全てなのだ。

 ユーザーがいくら集まろうとも運営の前では烏合の衆であり、それは管理するシステムの一部に過ぎない。そもそもタカマガハラにダイブして、奪還を試みる方法は勝負にすらならないのだ。


「そのための俺なんだろ」


 皆が目を逸らす中、人知れず声を上げたのは疋嶋だった。


「無茶だわ、相手は管理者よ。まるであたしたちが地球に勝負を挑むようなものなのよ。仮にバベルタワーの奪還に成功したとしても、そのときにハコニワが消失したらもう戻っては来られない。はっきり言っては死にに行くようなものだわ」


 野島がそう言って、必死に説得した。


「ノンコ、ここは俺にやらせてくれ。俺のことは俺が片付ける」


「ちょっと、何を言っているのよ陽介! 社長も何か言ってよ! 行くなって!」


 野島が必死に叫ぶものの、士錠はうつむいたまま、微動だにしなかった。頷くとも首を振ることもない。ただじっと目を合わせずに、奥歯を噛み締めていた。


「ダイブするならあなたが行けばいいじゃない! だってこれは……」


「ノンコ!」


 野島が士錠に向けた非情な言葉を疋嶋が遮った。そして、疋嶋は士錠の前に立ち、言うのだった。


「ここはあんたの研究所だ。研究員たちを置いてきぼりにして指揮を放棄するな。だからここは俺に行かせてくれ」


 それは本気の目だった。士錠が見たことのない疋嶋陽介と言う男の熱き眼差しであった。

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