第67話 慈愛1

 真田兜斗の人生は決して幸福ではなかった。

 人の誕生は祝福に包まれる。しかし兜斗の誕生だけは例外だった。分娩室に駆けつけた親族は見えず、その場にいたのは産婆と母のみだった。生まれたその時から父と言うものを知らない。それが人生の始まりだった。

 片親で祝福されずに生まれた兜斗は親族からも煙たがられる存在だった。母である亜依の軽率な行動が生んだ温床。それでも兜斗はその母にだけは感謝していた。親族から出産を反対されても尚、この世に生を与えてくれた母には感謝していた。しかしそれも儚く消え去ることとなる。

 兜斗は祝福されない子供でも強く生きるように歯を食いしばった。それは何者でもない母のためだ。母だけは自分を裏切らない。母だけは自分を祝福してくれると思っていた。

 しかし、その頼みの母は真田と結婚した後、兜を残して姿を消してしまった。

 その瞬間、自分は誰からも祝福さなかったことを知った。強く生きてきた人生が、過去が酷く馬鹿馬鹿しく思えた。

 やはり、自分は生まれてくるべき存在ではなかったのだと兜斗は思ってしまった。十三歳にして突きつけられた現実。存在理由を探すことを諦めざるを得なかった。

 なぜ自分は生まれたのだろうか。そしてなぜ生きているのだろうか。自問自答の日々を繰り返し、答えに至るたびに落胆し、失望し、吐き気を催す。

 そんな時に聞こえるドア越しの真田の声に腹が立った。祝福された子供に祝福されなった子供の気持ちが分かるわけがない。

 この世に生きる全ての人間は皆、別々の価値観を持ち、分かり合えることはないのだ。それなのに、大人たちは偉そうに口弁を垂れる。

「死んじゃだめだ」

「学校に来い」

「友達だって出来れば、楽しくなる」

 しかし、兜斗にとって、生も死も友人も親も全て些末な存在に思えた。キャンディーの入った袋は開封した後、意味を持たなくなった袋はゴミ箱に捨てられる。それはその袋に利用価値がなくなったからだ。

 その点ではある意味、真田と兜斗は亜依にとって同じ存在だったのかもしれない。子育てに飽きたから、邪魔になったから捨てられた。恋愛に、家族ごっこに飽きたから捨てられた。

 この上田の山奥にある集落の端に建てられた診療所の母屋は一人の女に捨てられた塵の集まりなのかもしれない。

 だが学校とは違う。学校とは可能性を育てる施設。しかし人としての価値を喪失した兜斗には不要な場所だった。

 ――自分もそろそろ覚悟を決めなければ

 自ら命を絶つという、最期の使命に対する覚悟を持った兜斗は、ズボンの紐を抜いた。この紐で首を絞めれば、使命を果たすことが出来る。


「よし、行くぞ」


 兜斗は何日ぶりかに声を出した。あまりにも声を出さなかったため、声帯は弱くなり、掠れた小さな声しか出すことが出来ない。

 しかし、この小さな声は自分の心を奮い立たせるために必要だった。大きく息を吐き、クローゼットに紐を掛ける。小さな台に上り、丸く空いた穴に首を突っ込めば、全てが終わる。


「よし、行くぞ」


 兜斗は再び呟いた。

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