第61話 研究所2

 すると染白の手が水面に落ちたかのように扉に波紋が広がった。鏡がうねり、銀色に輝く硬い扉が水銀に変わったようだった。


「なんだこれは」


「ハンドスキャンセキュリティです。この扉一面が生体認証をするシステムとなっているのですよ」


 染白の手紋をシステムが読み取ることにより、扉が上下に割れた。

 来訪を許された三人はドームの中へと足を踏み入れる。中身は高級マンションのエレベーターのようになっていて、シャンデリア型の薄暗い電灯が灯っていた。扉の脇には開閉ボタンのみが取り付けられて、染白はそれを指先で押し込んだ。

 扉が再び閉まるのと同時にエレベーターは海底へと沈んでいく。音もなく、静かな浮遊感が体を包み込んだ。数秒後、エレベーターは静止して扉が開く。フロアに降りると、ワイシャツ姿の男が出迎えた。


「お待ちしておりました」


 男は四十代半ばくらいで、額から毛が薄くなり始めている。他の研究員と違い、白衣は着ておらず、腕まくりしたワイシャツ一枚のみだった。痩せ型で、優しそうな顔をしている。


小泊こどまりさん、後はよろしくお願いします」


 染白はそう言って、深々と頭を下げた。


「分かった、君もご苦労だったね」


 男が笑いかけると、染白は踵を返し、再びそのエレベーターに乗り込む。間髪入れずに扉を閉め、閉ざされる隙間から軽く会釈すると、去っていってしまった。


「どうも、今は所長代理をしております。小泊敬一こどまりけいいちと申します。染白からだいたいのことを聞いていたのですが……」


「俺が生きていることが信じられないですよね」


「ええ、私も何分、葬儀に参列したので……すみません。亡くなってないのですよね」


 小泊はすぐに訂正し、愛想の良い笑顔を向けた。


「別に気を遣わなくて結構ですよ。もう慣れましたから。そんなことよりも俺たちなんかがこんな場所に入って本当に大丈夫なのですか」


「それはもちろん、疋嶋さんの席はまだこの研究所ありますから」


「それってあたしも含まれるの?」


 野島が横から問いかけた。


「ええ、問題ありませんよ。機密を護ることを約束していただくなら」


 小泊はこの研究所内の案内を始めた。

 新しく建造された東洋脳科学研究所は三つのフロアに分かれている。エレベーターによって地上と繋がっている地下一階は研究員の共同フロアである。奥には食堂や住み込みで働く者たちの寮がある。しかし寮を利用する者は少なく、今では夜勤の時に休憩室として使うくらいらしい。

 そして地下二階は専門フロアとなっている。このフロアでは専門的な研究を各々の研究室で行うことを許されている。実験室もあり、主に研究員はこの地下二階で仕事をすることが多いそうだ。

 そして地下三階は管理フロアとなっている。このフロアにはこの研究所の脳ともいえる巨大サーバーがあり、この研究所の管理を行っている。

 そしてフロアの最も奥に隠されるように鏡の扉があった。


「こちらがタカマガハラの運営を行っている第一管理室です」


 小泊はそう言うと、染白と同様に扉に手を置いた。

 ここまで来て、このように厳重なセキュリティが施されていたのは入口とこの管理室だけだった。

 同じように波紋が広がり、扉が上下に割れる。疋嶋はその中に入り、驚いた。まるで宇宙船のブリッジのような光景が広がっていた。

 正面には巨大なモニターがあり、タカマガハラの夢想現実を一望できる。白衣姿の研究員がそのモニターの下に座り、四六時中この巨大空間の管理を行っているのだ。


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