第30話 別世界6

「別にいいんだ。俺も軽率だったよ。確かにリスクが大きすぎる」


 真田は壁伝いに立ち上がった。申し訳なさそうな顔で頭を下げる野島の肩に手を置き、静かな声で言った。


「これで取り乱さないほうがおかしい。明らかに異常事態だ。君の意見は正しいよ。情報という不可視なものでは全てを知ることはできない。申し訳ないことをしたのは俺のほうだ。焦っていたのかもな、生きている人間のマイクロチップがこんなことになっているなんて……」


「どんなことだ?」


 ベッドから声が聞こえた。

 先程まで仰向けで寝ていた疋嶋が体を起こしている。電極パッドを外し、あぐらをかいて座っていた。


「起きたのか……少しお前のマイクロチップを見させてもらったんだけどな……」


 それから目を覚ました疋嶋に二人が目撃したことを話した。

 この八年間、記憶を失っている疋嶋にとってはマイクロチップなど未知の神具だ。スマホのような自分の身から切り離した電子端末しか知らない。

 そのため、人の生と共にマシンが生きるという根本的な原理をあまり理解できないのだ。しかしこの八年の移り変わりをその目で体験した二人には開示されいない個人の情報までもが、人の手によって改竄されているということは、あまりにも異常なことであり、目の前の疋嶋という例にも実感が湧かなかった。


「俺の脳みそ自体が記憶を喪失した期間のものとは違う……そういうことなのか」


 その話を聞き、疋嶋は自分なりに要約して話をまとめた。


「簡単に言えばそうだ。マイクロチップの記録とは忘れることのない記憶なんだ。つまり……」


「陽介はこの八年間、世界から認知されていなかった。もしくは本当に病院に運ばれる前に死んでいるのか……」


 野島が声を低くして言った。


「心臓が止まって無くとも、脳死と言う形ならマイクロチップは停止するんだろ」


「だが脳の活動が再開されれば、マイクロチップの活動も再開する。その時、脳死以前のデータが残っているかは不明だ。でも何かしらの破損が無い限り、データも復活すると思う」


 それを聞き、深く頷いた。


「じゃあ、仮に脳死以前の記録が復活するものだと仮定しようぜ。すると俺が事故で記憶を失ったのが八年前、そして脳内にマイクロチップを埋め込んだのが六年前……この二年の間に真田と別れ、東洋脳科学研究所に勤めていた。そこから考えると、マイクロチップの手術が失敗に終わり、俺は脳死状態に陥った。そして六年間眠り続け、意識を取り戻したのがこの間の病院とか……」


「でもそれなら、なぜ陽介の死を偽装する意味があったの? しかも六年もの間、医者はずっと家族にさえ、そんな重大なことを隠していたことになるわ」


「疋嶋の葬式が行われたのはほんの一か月前だ。例え、手術の失敗を隠蔽する目的だとしても、その期間で何をやっていたんだか……」


 真田は首をかしげる。


「じゃあ俺の推理は違うか」


「全部とは言い切れないけど……」


 野島の言葉を付け加えるように真田が言う。


「ここじゃ……推測の域を出ることはない」


「じゃあやっぱり、真実があるのは“東洋脳科学研究所”か」


 疋嶋は焦る様子もなく、二人の表情をじっくりと見つめながら言った。


「そうね、そこに何かあるのは間違いないと思う。空白の八年間が始まった場所だもの」


 三人は互いの目を合わせて、深く息を吐いた。


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