第9話 出発2

 主治医の口から当たり前のように飛び出した“マイクロチップ”という単語に困惑した。


「君のいた八年前の日本では本格的に施行されていなかった。でも実はその頃から世界的に見ればかなり標準化されているものなんです。北欧では二十年も前から一般人を対象に施行されている」


「俺も聞いたことくらいはありますが、それは都市伝説じゃなかったんですか」


「人は新しいものに対して恐怖を感じ、その恐怖から身を護るために信じないようにする。だから都市伝説という都合の良いフィルターを使うのです。でも信じられないことはこれまでの歴史でも常に起こってきた。平安時代の藤原家に産業革命を説明しても誰が信じようか。つまり時代は急速に進んでいる。八年前まで都市伝説の域を出なかった話が目の前で現実になることはよくあることです」


 疋嶋からすれば信じ難い話だ。人体の中、それも脳内と言う重要な器官に人工的な異物が組み込まれている。考えるだけでも気分が悪くなった。


「では今では皆、俺と同じように脳内にそんなものを入れているんですか」


「いやそういうわけでもありません。マイクロチップにもグレードがあります。一般的なのは手の甲に入れるものだけど、君のようにグレードの高いに高級品になると脳内から通信を行うことが出来る」


「何のためにそんなことを……」


「まぁ人は便利な物は次第に自分の体に近づけたがる衝動を持っている。例えば黒電話が携帯電話になったのも同じです。眼鏡からコンタクト、現金から電子マネー。技術の発展共に道具は日々コンパクト濶、肉体的になっていく。人類の技術はついに人体の内にまで手を広げたのですよ」


「でもそれって、一度入れたものはもう二度ととれないんですよ。そうなると私たちのプライベートは無いも同然ではないですか」


 疋嶋の頭は悪い想像で溢れかえっていた。


「では君のスマホを見せてくれますか。マイクロチップをいれるときは必ず同期アプリをインストールする。そのアプリからマイクロチップの情報を確認できたり、電源をオフにすることができます。一度電源を切ってしまえば、コンピュータは死んだも同然。位置情報やプライベートが盗まれる心配はない」


 主治医はそう言いながらスマホを操作し、アプリを開いて見せた。そこの設定画面から電源を切り、マイクロチップが機能しなくなったことを証明するためにカルテを手に取った。


「このカルテにはICカードがついています。ちょっと君の手を貸してくれるかな」


 そう言って疋嶋の手の甲にカルテの裏面を当てた。


「この状態だとなにも反応しないが、もう一度マイクロチップの電源を入れると……ほら情報が読み取られる」


 カルテの下部に装着されていたランプが赤く光り、読み取っていることを表示する。


「俺のマイクロチップは脳内にあるんじゃ?」


「それがグレードの大きな違いですよ。僕は右手でしが使うことが出来ないが君のなら全身どこでも読み取るが出来る。まぁこのマイクロチップも検査ではかなり利用させてもらったが僕の目では異常が見当たらなかった。流石に僕も現代人とは言え、この手の機械工学は専門外でね、あまり詳しくないんですよ」


「そうですか。でも色々教えていただけましたし、この検査や診察にも俺にとっては意味がありましたよ」


 疋嶋はそう言って、席を立った。

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