第14話 逃走の果てに


 長く、暗い道路を抜け、その先で俺たちを待ち受けていたのは……どこかの道路だろうか、さきほどまで俺たちのいた道路とは打って変わり、まるで高速道路にあるトンネルのような場所だった。天井にはオレンジ色の、すこし眩しいくらいに明るい電灯が等間隔に備え付けられており、道幅は二車線分の広さとなっていた。道はそこから左側に一車線分かれており、その道が、今まで俺たちがいた場所に繋がっているようになっていた。

 車が通る様子はない。

 エンジン音も聞こえない。

 そもそも現在が何時かもわからない。

 バッと振り返ってみるが、追手なんかも来る様子はない。



「……逃げ切れたの、かな?」



 背中にいた桂が俺の気持ちを代弁してくれた。

 ちらりと横目で桂の顔を見てみるが、どうやら全然大丈夫そうだ。背中にも生ぬるい感覚はない。



「わからん。とりあえず、ちょっとおろすぞ」



 俺はそう断ると、着物を着たままの桂を背中から下すと、腰に手をついて、思いきり上体を後ろへと逸らした。凝り固まっていた筋肉が解され、多少血行が良くなったのを感じる。ずっと人ひとり背負っていたからか、腰と肩が凝ってしょうがない。体自体は何ともないのだろうけど、やはり心が疲れる。



「ふふ、お疲れ様」



 桂はそう言うと、労うようにぽんぽんと俺の腰を叩いてきた。いままで座ってたり、抱えてたり、背負ってたりしてわからなかったけど──



「でも意外と身長低いんだね、ジャスティス・カケルって」



 今度は桂が俺の思考を先読みしたように茶化してくる。



「まだ成長途中だからな」


「へえ? 何センチくらい大きくなる予定なの?」


「3メートルはいきたいな」


「ぷ。なにそれ」



 桂はそう言って、笑ってみせた。

 その瞬間、俺の肩の荷が下りた気がした。

 よかった。

 俺はこいつを、桂美里を助けてよかったんだ……。そう思えるような笑顔だった。



「……まあ、とはいえ、さっきも言ったけどまだまだ気は抜けない。追手も今のところ来る様子はないし、あと少し休憩したら、桂を知り合いの家に──」



 ──ブォン!

 突然、トンネル内にエンジン音が鳴り響く。

 それも、1つ2つなんてもんじゃない。相当数だ。そのエンジン音の群れ・・が、俺たちを挟み込むようにしてやってきている。逃げ道は今来た道だけ。

 どうすればいい。ここまで来て引き返すことなんてできるはずがない。


 ──そう考えているうちに、黒塗りの高級車が俺たちを取り囲んできた。

 1、2、3、4、5……ダメだ。

 数えている余裕もないし、数えられるほどの台数でもない。

 俺は桂をかばうように、後ろへ後ろへ、壁と俺とで桂を挟むように、後退していった。

 やがてピタッと、すべての車のエンジン音が止むと、俺たちから見て一番近くの車の扉が開き、そこからひとりのおっさんが現れた。

 見たことがある。テレビでも新聞でも雑誌でも見たことのある、俺が一方的に見知っている顔だ。

 浜田幸三。そいつだった。

 浜田が車から出たのを皮切りに、他の車からも一斉に、黒服で強面の男たちが姿を現した。



「なんだァ? ただのガキじゃねえか。……てめぇら、こんなのにてこずったのかよ? ああ!?」



 浜田は俺たちを一瞥すると、ドスのきいた声で黒服たちを怒鳴りつけた。



「いえ、ですが、あそこにいるのは、現在冬浜を騒がせているジャスティス・カケルとかいうやつでして……」



 黒の服の一人。浜田の横に控えていた男が、遠慮がちに言った。



「はあ!? ジャスティス・カケルぅ!? なんじゃそら!」


「は、はい、あの……背丈は低いのですが、ものすごく腕っぷしが強くて……下部組織の者も何人か……」


「チッ、最近アガリ・・・が少ないと思ったら……腕っぷしが強いとか言っても、所詮はガキだろうが。ごっこ遊びに付き合うのも大概にしろよ、コラ」



 浜田はそう言うと、黒服のネクタイを掴み、閉め落とす勢いで思いきり首を絞めた。



「ぐっ……! いや……! そ、その、実際、あいつを止めようとした警備員は、ろ……ろっ骨を折られていましたし……」


「はあ? ろっ骨を、折られたあ?」



 浜田の素っ頓狂な声がトンネル内に響き渡る。けど、驚いたのは俺も同じで……でも、ろっ骨って……嘘だろ。

 警備員っていえば、あの、あそこで俺を止めようとしてきたやつだよな。そこまで強くぶつかった覚えは……あるにはあるけど、まさかそこまで重傷だったなんて思ってなかった。なんか今になって罪悪感が……。



「は、はい。まるでトラックにはねられたような感じで、その後ろの扉も思いきりひしゃげていて……」


「トラック……ねえ……」



 会話が終わったのか、浜田が今度は正面から俺を見据えてきた。

 その目には怒りというよりも、俺に対しての興味のほうが強いといった印象だった。



「おう、ジャスティス・カケルとかいうガキ!」



 浜田が、相変わらずドスのきいた声で俺に話しかけてくる。俺は特に何も返事はせず、背後で震えている桂を気遣いながら、前方の浜田に意識を持って行った。



「なんのつもりかは知らんが、よくもここまで賑やかしてくれたじゃねえか。ったく、大事なお客様に迷惑かけやがって……うちは健全な大人の社交場がウリなのに、どうしてくれるんだ? ええ?」


「健全、だと……? あれが? 孤児院の子どもを文字通り売り物にして、健全? バカ抜かせ」


「ククク……、ガキのくせに肝が据わってやがる。だが、口には気ぃ付けろよ。今、おまえらの命は儂が握ってんだ」


「……何が狙いだ。悪いけど、戻れったって──」


「ふたつだ」



 浜田は人差し指と中指を立てると、これ見よがしに突き出してきた。



「……は?」


「たったふたつ、儂からおまえに提示する条件だ。この二つを守れるのなら、そのままおうちに帰してやるよ」


「……なんだ」


「ひとつめ。今日見た事……正確に言うと、昨日と今日、おまえが今来た道で見た事、聞いたことは忘れてもらう。他言無用ってことだ。わかりやすく言うと」


「もうひとつは?」


「おまえの後ろにいる女を渡せ」



 浜田が俺……というよりも、俺の後ろを指さしてきた。その瞬間、後ろにいた桂の体も、ビクッと震える。



「いいか、ガキ。生まれて初めて女と一発ヤッて、勘違いしたのかどうかは知らんが……」


「だ、だれが……! 誰も何もやってねえわ!」


「はあ? じゃあなんでそいつ助けてんだてめぇは!?」


「そ、それは……」



 言えない。ユナとの約束だなんて言えっこない。そんなことを言ってしまえば、ユナもどうなるか。それに、万が一、俺の素性もバレてしまうかもしれない。



「……チ、恋愛と性欲の区別もつかねえガキが。どのみち、そいつは儂ンとこの商品なんだよ。おめえが勝手に持ち出してどうこう出来るもんじゃない」


「しょ、商品・・って……! ふざけんな! こいつは、桂は人間だ! 物扱いしてんじゃねえ!」


「〝人間の〟商品だ。いいか、ガキ。そいつを、商品を勝手に好きになるのは構わねえさ。けどな、そいつの所有権は儂にあるんだよ。勝手に持ち出したりするんじゃねえ。……それに、親に教わらなかったのか? 人の物を勝手にとったら泥棒だと」


「て、てめぇ……! ぶっ飛ばす!」



 俺が一歩踏み出した瞬間──周囲の黒服が全員、銃を取り出し、その銃口を俺たちに向けてきた。

 生まれて初めて向けられる銃口に、俺の体は、俺の意思とは無関係に固まってしまう。

 脅しでもなんでもない。なにせ、俺の背後には桂しかいないのだ。さきほどまでいた視界を埋め尽くすほどのギャラリー・・・・・は、もうここにはいないのだ。

 まだ何も言われていないのに、まだ撃つと宣言されてすらいないのに、その鉄の塊は殺意を以て俺に警告している。


『これ以上進めば命の保証はないぞ』と。


 俺の額から汗が流れ、頬を伝い、足元へと落ちた。……気がした。



「へえ、ガキにしては利口じゃねえか。……察しの通り、こいつらがおまえに向けてんのは玩具じゃねえ。れっきとした武器・・だ。引き金を引いたら、照準さえ合っていれば、簡単に人の命を奪える代物だ」



 疑ってなんていないさ。ただ、言葉にされてようやっと確信する。

 俺の目の前で、数えきれないほどの男たちが握っているのは、たしかに本物の銃なのだと。



「……ああ、そうだ。〝もしかすると、当たらないかもしれない〟なんて甘い考えは捨てたほうがいい。こいつらは昨日今日ではじめて武器・・を手にしたやつらでもないし、なにより数撃ちゃ当たるって言葉があるだろ。ここまでぐるっと囲まれてりゃ、一発ぐらいはおまえか……その後ろの女に当たるだろ」



 どうする?

 ここは浜田の言う通り、下手に動く事は出来ない。かといって、戦うこともできない。そんなことをすれば、間違いなく集中砲火を受けてしまう。俺の体もある程度まで強化されているとはいえ、銃弾を無効化できるほどなのかどうかも分からないし、最悪、桂も死なせることになってしまう。



「……カケル!」



 不意に背後から声を掛けられる。見なくてもわかる。桂だ。

 桂は震える手で俺の服の裾を掴み、震える声で言ってきた。おそらく何度も俺に語り掛けてきていたのだろう。



「桂、待ってろよ。今考えてるから……」


「もう、いい。もういいよ……」


「は? も、もういいって……なんだよ……」


「ありがとう、カケル。こんなあたしを助けてくれて」


「た、助けるって……、まだ助かってないだろ……!」


「ううん。助かったよ、本当に。それに、最後に同級生の男の子と話せて楽しかった。……カケルの本当の名前はわからないけど、ここまでありがとう、カケル・・・


「だから、おまえは──」


「ゆ、ユナにも言っておいて。もう桂美里は遠くのほうに転校しましたって。今まで仲良くしてくれて、ありがとうって。あと、あんたの彼氏独占しちゃってごめんって……」


「彼氏って……な、何言ってん──」


「転校の理由は……ほら、カケルって、そこらへんの言い訳上手っぽいし、任せよっかな。だから、さよなら。最後に、やっぱり、カケルの素顔ちょっと見たかったかも……たぶん、すごくカッコイイんだと思うし」


「いやいや、俺はおまえを──」


「──浜田さん! あたし、戻ります。あそこへ……だから、この人は、この変な仮面をかぶった人は、撃たないでください……!」



 桂は茫然と突っ立ってる俺を押しのけ、まるで俺を銃から守るようにして立ちはだかった。体は依然、小刻みに震えている。声も、すれ違う時に見た悲しそうな桂の瞳も。

 だけど桂は俺を守るために、俺をここから逃がすために、あえて俺の前に立っている。

 計り知れないほどの恐怖心を抱きながら、それでも俺の為に、あの地獄へと戻ろうとしてくれている。

 なのに俺は……ジャスティス・カケルは……佐竹翔は……何もしないでいいのか?

 あんなに助けると息巻いていた女子の前で、俺はこんな醜態を晒して──



「──撃て」

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