第10話 不謹慎な高揚感


 ユナが〝施設〟と呼称していたのは、所謂いわゆる孤児院と呼ばれている所で、両親がいなくなって、引き取り手の見つからなかった子どもや、その子の親が経済的に、精神的に、子どもを育てることが難しいと判断された場合、入所する施設なのだそうだ。

 しかも、その孤児院は国が建てたものではなく、個人が所有しているもので、名前は〝浜田ハマダ児童福祉施設〟と呼ばれている。

 浜田というのは、この孤児院を立ち上げた人間の名前で、フルネームを浜田はまだ 幸三こうぞうという。数年前まで国会議員をやっており、現在は冬浜市議会議員をやっているのだそうだ。俺自身、〝浜田幸三〟という名前にはピンとこなかったが、〝ハマゾー〟という略称は知っていた。

 口の悪いおっさん。

 それが俺の、ハマゾーに対しての第一印象だった。数年前の国会中継で、他の議員なんか罵声やヤジを浴びせていたのは、今でも印象に残っている。

 しかし、そんなおっさんが、まさかこの冬浜市で孤児院を運営していたとは思っていなかった。しかも結構立派。

 敷地面積は俺がいつも通っている中学校ほどはあり、その周りをぐるっとコンクリートフェンスに囲まれていた。中からは子どもたちの楽しそうな声が聞こえてきたり、よくボールなんかが、ポーンと打ち上ったりしているのを見る限り、特に問題はなさそうに思えた。

 俺はとりあえず、ユナから話を聞いた翌日の放課後、この浜田児童養護施設へと足を運んでいた。もちろん、変身はしていない。



「……あの」



 不意に声を掛けられる。

 周りには俺以外に人間はおらず、その声が俺に向けられていたことは、即座に理解できた。

 俺は振り返り、声の主を見てみると、そこには中年の、おそらく40後半の女性が、まるで不審人物を見るような目で俺のことを見ていた。



「なにか、当施設に御用でしょうか?」



 丁寧な口調。どこからどう見ても中学生である俺に対して、ため口でなく敬語で話してくることに、ほんの一瞬の違和感を覚えたが、それはそれ。たまにこういう人もいるな、と自分自身で勝手に納得した。



「ああ、いえ……すみません。特にこれといった用があるわけじゃないんですけど……」



 普段使い慣れていない敬語を使っているためか、すこしだけ、いつもより口がなめらか・・・・に動かない。



「そうですか。子どもたちも怖がっているので、できればどうか……」



 お引き取りください、と言いたいのだろう。

 それにしても、〝怖がっている〟か。何か不自然だな。俺が大人の男で、さらに目つきが鋭かったり、ガタイが良かったりしているならともかく、どこからどう見てもただの中学生にしか見えないのに、怖がるものなのか? たしかに、小学生の時は中学生というものが高圧的に見えたが、この施設内にユナの友達がいるということは、少なくとも俺と同世代の子どもがいるという事。そんな俺が、ぐるっと施設を一周しただけで、子どもたちに怖がられるのだろうか。

 まあ、とはいえ、ここでゴネて話をややこしくしてもしょうがない。

 こうやって、施設の職員ぽい人がわざわざ出張ってくれたんだ。この機会にすこしだけ話を聞いておこう。



「ああ、すみません。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」


「は、はい。なんでしょうか?」


「この施設に……俺の友達の、美里さんがいると聞いたんですけど」


「美里さん……ですか?」



 微妙な反応。なにやら芳しくない様子。



カツラ 美里ミサトさんです。冬浜市立第2中学校に通っているのですが……」


「第2中……ですか。でも、あなたのその制服、2中のものではないですよね」



 そうだ。しまった。そこを突っ込まれるとは。せめて家に帰ってから来ればよかった。



「あの……学校は違いますけど、美里さんとは小学校のころからの友達で……」


「あの子、小学校の頃に親から虐待を受けていて、満足に学校に通えなかったと聞いているのですが」


「げ。そ、そうなんですか……」



 聞いてないよ、美里さん……。そんな設定だったなんて。

 でも、これだとユナから聞いた話と食い違うな。ユナはたしか、そもそも美里なんて子はいないって言われたはずだろ? でも、俺の前の前にいる女性は、少なくとも美里さんを、桂美里という女子を認識している。

 どういう事だ?

 本当に、ユナが覚え違いをしていただけなのだろうか?



「……あ、あなた、何が目的なんですか?」



 女性がスマホ片手に俺に詰め寄って来る。

 これはまずいな。

 いまさら本当のことを言っても、どうせ聞いてもらえない。そろそろ撤退しないと、警察のお世話になってしまうかもしれない。



「ああっ!!」



 俺は女性の後方──指さして、大声を上げた。

 俺の鬼気迫る演技に、女性もバッと振り返ったが、そこにあるのはすこしオレンジがかった空と、流れる雲のみ。あとは雁という鳥が並んで飛んでいるくらい。

 俺は女性が振り返った途端、身を反転させると、脱兎の如くこの場から立ち去った。

 しばらくして後方から「あ!」という女性の声が聞こえてくるが、時すでに遅し。もう俺を捕まえることもできないし、通報することもできない。そんな俺は、とりあえず体力の続くかぎり走り続けた。

 それにしても、やっぱりこの浜田児童養護施設とやら、何か臭う。

 無論悪臭とかそういった意味ではないのだが──ああ、もう駄目だ。



「ぜはぁーッ! ぜはぁーッ! ぜはぁーッ!」



 俺は足を止めると、その場で膝に手をついて息を整えた。時間にして1分もないくらい。総走行距離にしておよそ1キロ未満。どうやら俺には謎を解こうとする気概よりも、まずは体力が必要らしい。ただまあ、もうさきほどの女性の姿を視認できないくらいの場所まで来ている。とりあえずは安全のようだ。



「……ふぅ」



 一度大きく息を吐き、無理やり息を整え、再び思考する。

 さきほども思ったが、やっぱり臭う・・。たしかに今までと同じように、軽犯罪みたいなのを追うのも悪くはないが、俺としてはこちらの問題のほうが気になる。

 突然消えた児童養護施設の女子。そんな女の子は知らないと言い張る職員。すこし施設の周りをウロついていただけで通報してくる職員。

 もうすこし色々と調べてみたいが、どうやら聞き込みはこの辺りが限界ぽいな。周辺住民の聞き込みもしてみたいが……如何せん、中学生の話なんて誰も聞かないだろう。

 やっぱりここはもう一度、美里という女の子について、ユナから訊いたほうが──



「──んんんんんんんぅー!!」



 俺の思考を遮り、声が聞こえてくる。それものっぴきならない感じの、妙にひっ迫しているような声。くぐもった声。私生活では、普段聞き慣れないような声。

 俺は垂れていた汗を強引に手で拭うと、周囲をきょろきょろと見回した。しかし、特に何もない。そういえば、声の感じからして、すこし遠いところから聞こえた気がする。



「へ~んしん! ジャスティス・カケル!」



 俺はすぐさまジャスティス・カケルに変身すると、近くの電柱によじ登った。幸い人通りが少ないため、俺を通報してくる真面目な一般市民はいない。俺は電柱を登りきると、そこから改めて周囲を見回してみた。



「ああ!」



 演技ではない地声が俺の口から漏れる。

 俺の視線の先──件の孤児院の中に黒塗りのセダンが止まっており、複数人の黒服の男たちが、がっつりと、ガムテープや縄で拘束されていた女子を、中へと運び込んでいた。



「いやいや、やばいだろ、これ」



 まさに〝物語フィクションの中の世界〟と呼ぶに相応しい場面に、この平凡な中学生が出くわしている。ああ、まずいな。

マスクの中が汗で蒸れていくのを感じる。喉が渇き、視野が狭窄していくのがわかる。だけど。だけど。こんな悠長で、ともすれば、不謹慎ととられる言葉を今から発してしまうわけだが──俺はこの局面で、少しだけワクワクしていた。

 だが待て。

 まだだ。まだ焦るような時間じゃない。

 あの手際、あの黒服たち、そして謎の孤児院。

 どう考えても、これが初犯なわけがない。

 ここは一旦やつらを泳がせておいて、目的地を探ろう。車にあの女の子を詰め込んでいるという事は、すなわちここから移動するという事。たしかにやつらを見失う可能性もなくはないが、ここら一帯は住宅街だ。俺の存在に感付いているならまだしも、変身した俺の足から逃れる事は出来ないだろう。目的地に着いたと同時に、一網打尽にしてやる。

 俺はそう考えると、そのまま車の後を追った。

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